心と言葉の翻訳(21)文体(2)異文化間で「文体」を移転させることはできるのか
翻訳は人間の仕事である。それは心と心をつなぐ営みだからである。機械には言葉と言葉はつなげても、心と心をつなぐことはできない。心と心をつなぐことができるのは、ただ人間だけだ。
言葉ではなく、人間を中心に据えた翻訳観――それが本書をつうじて流れる通奏音である。
(↑のつづき)
つぎに考えるのは、文化・言語的な違いに規定される「文体」を、異文化間で移行させることは可能なのかという点である。
文体以外の言葉の要素である「思考」「情報構造」「モダリティ」(情意)については、日本語人であろうと英語人であろうと無関係に、人類としての共通の心の働きがあると設定することができる。
だからこそ日本語と英語とのあいだでの翻訳が可能なわけである。
しかし「文体」は「思考」「情報構造」「モダリティ」(情意)とは異なり、文化的な要素や言語的な要素が非常に密接に関係する。
つまり、人類としての共通の心の働きがそこにあるとは容易には設定できない。
したがって、日本語世界と西欧世界のように文化的・言語的な差異が非常に大きい世界のあいだでは、言葉の持つ個性や特徴としての文体の翻訳は、本質的に不可能ではないかとの考え方が出てくる。

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しかしここでも、
文体そのものを翻訳するのではなく、「重厚なイメージ」「軽妙なイメージ」といった文体が心に与える影響を翻訳するのだと考えれば、日本語と英語のように文化的・言語的差異が非常に大きな言語間でも、ある程度の翻訳は可能であると、「心と言葉の翻訳」では想定する。
しかし、そうはいっても、やはり「思考」「情報構造」「モダリティ」の翻訳に比べて「文体」の翻訳には大きな制約がつきまとうと、「心と言葉の翻訳」では考える。
したがって、
「文体」の翻訳が生み出す付加価値については、あまり過大評価するべきではない。
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以上から、「思考」「情報構造」「モダリティ」の翻訳に比べて、「文体」は翻訳の優先順位としては下位にあるべきだと「心と言葉の翻訳」では想定している。
文体の翻訳にこだわるあまりに「思考」「情報構造」「モダリティ」といったその他の要素の翻訳としての価値を下げることは、できるかぎり避けなければならない。
(つづきは↓)
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