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スピノザ(翻訳道中記より)

スピノザという哲学者の名前を知っているひとは、それほど多くはないだろう。

バールーフ・デ・スピノザ、
または
ラテン語でベネディクトゥス・デ・スピノザ。

1632年にオランダのユダヤ人家庭に生まれて1677年に死んだ。
享年44歳。

スピノザは若い頃に敬虔なユダヤ教徒の家族と絶縁し、長じてはドイツの国王から招聘を受けた大学教授の座を固辞した。

家庭を持たず、アムステルダムの片隅にある下宿宿の小さな部屋でレンズ磨きをしながら、一人きりのつつましやかな生計を立てた。

汎神論と呼ぶべきその哲学思想は、当時のキリスト教とユダヤ教の双方から危険な無神論として激しく非難され、そのため、みずからの思想を世に発表することはできなかった。

主著『エチカ』が世に発表されたのは、スピノザが死んだのちのことである。

生涯にわたり冨や栄誉とは無縁であり、家庭にも恵まれなかった。しかしその性格はきわめて穏やかで明朗で、人々への思いやりに満ちていたという。

当時のヨーロッパ社会においてスピノザはあらゆる点で異端であった。

まさに孤立無援の状態だった。

しかしそのなかでもスピノザは隠遁という名の逃避を行うことなく、つねに社会と真正面から向き合っていた。

学問という名のサンクチュアリに逃げ込むことはなく、現実の政治にも積極的に参画しようとした。

誰にも媚びず、誰とも群れず、だが誰からも逃げ出そうとはしなかった。

私にとってスピノザは特別の存在である。

多くの方と同じように、私も若い頃には、いわゆる存在不安をかかえて生きていた。

どのように生きるべきかのモデルを見つけることができなかった。

その苦しいなかで出会ったのがスピノザの『エチカ』だった。

そのときから『エチカ』は私のいわば経典となった。

正直なことをいえば、その内容はいまでもよくわからない。矛盾に満ちているとも思う。

だがそんなことはどうでもよい。

『エチカ』は私が生きていくうえでの道標なのである。

聖書を読んでも歎異抄を読んでも見つけられなかったものがそこにはある。

スピノザがいたという事実そのものが、私には大きな福音である。

そうだ、スピノザのように生きればよいのだと、いつも思う。

そしてそうやって生ききったのち、永遠の相へと戻っていけばよいのである。

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