「詩」(「翻訳道中記」より)
あるとき、翻訳講座の受講生と帰り道が一緒になって、話しながら帰ったことがあった。当然、話題は、翻訳や言葉のことになる。
そのうちに彼女が、先生はこれからどんなものを書きたいと思っているんですか、とたずねてきたので、いつか詩をつくりたいと思っています、と答えると、彼女はびっくりしたように私の顔をみると、視線をそらしたまま、黙ってしまった。
どうやら、私と詩のとりあわせが、彼女の意表をついたらしい。
たしかに、私は中原中也のような面構えはしていない。どちらかといえば、引退直前の清原に似ている。
だが、私は本当に詩をつくりたいのである。
私のいう「詩」とは、心のなかに棲みついて生きつづける言葉たちのことである。
心のなかに棲みついて生き続けるものは、人によっては言葉ではなく、音楽なのかもしれない。絵画かもしれない。
とすれば、それらが私のいう「詩」である。
では、どうすれば、言葉は「詩」になるのだろうか。
それがよくわからない。
言葉が詩になることだけはわかっている。
私の心のなかにも、そうした言葉たちがいくつも棲みついているからだ。
そしてそれにすがりつくようにして生きていた時期もあった。
だからこそ、いつか自分でもそんな言葉をつくりだしたいのである。
ところが、そのためにどうすればよいのかがわからない。
詩をつくるには何が必要なのか。
生まれついての才能なのか。それにふさわしい人生なのか。それとも言語的な技術なのか。
いくら考えてもよくわからない。
ただ、考えてもわからないということは、自分にもいつかつくれる可能性がないわけではない、などとも考える。
まあ、こんなことをいくら書いても仕方がないので、私の心に棲みついている詩のひとつをご紹介しておく。
つまりは、こんなものを私はつくりたいのである。
ハーレムの夜の歌
ラングストン・ヒューズ、木島始 訳
おいで、
夜をいっしょにぶらつこう
歌いながら。
きみが好きだ。
ハーレムの屋根の
てっぺんごしに
月が輝いている。
夜空はブルーだ。
星たちは 金色の露の
大きな 滴だ。
通りでは
バンドが 演奏している。
きみが好きだ。
おいで、
夜をいっしょにぶらつこう
歌いながら。
(2010年5月13日)
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