【成瀬 日本語・英語・翻訳講座】日本語編(39)文体(1)文学文体の変遷
(↑のつづき)
日本語の文体は明治期の社会革新のなかで世界でも稀な大変化を起こした。
まずその変化の変遷を簡単にみてみよう。
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文学文体の変遷
最初に文学の文体の変遷をみてみる。
江戸期の例として1814年~1842年(文化11年~天保13年)に滝沢馬琴が書いた『南総里見八犬伝』の文体を挙げておく。
初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり。是の時に當て、勇臣八人有り。各犬を以て姓と爲す。因て之を八犬士と稱す。其れ賢虞舜の八元に如ずと雖ども、忠魂義膽、宜しく楠家の八臣と年を同して談ずべきなり。
初里見氏之興於安房也。徳誼以率衆。英略以摧堅。平呑二總。傳之于十世。威服八州。良爲百將冠。當是時。有勇臣八人。各以犬爲姓。因稱之八犬士。雖其賢不如虞舜八元。忠魂義膽。宜與楠家八臣同年談也。

このような漢文読み下し文体が江戸期までの日本語の「正統的」な文体だった。
この正統性をさらに高めると漢文そのものになる。
一方で、以下に紹介する式亭三馬の『浮世風呂』(1809年~1813年)のように話し言葉的な要素を入れている文体もあった。
監るに、銭湯ほど捷径の教諭なるはなし。其故如何となれば、賢愚邪正貧福貴賤、湯を浴んとて裸形になるは、天地自然の道理、釈迦も孔子も於三も権助も、産れたまゝの容にて、惜い欲いも西の海、さらりと無欲の形なり。欲垢と梵悩と洗清めて浄湯を浴れば、旦那さまも折助も、孰が孰やら一般裸体。

覚えておかなければならないのは、正統的な文体はあくまでも漢文訓読体であったということだ。
式亭三馬のような文体で書かれたテキストは「戯作」などと呼ばれた。
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明治維新の後も漢文訓読体の影響は強く残った。
たとえば1890年(明治23年)に森鴎外が書いた『舞姫』の文体は以下のとおりだ。
石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
また漢文訓読体と同時に平安時代からの和文体の伝統も消えずに残った。
1895年(明治28年)に樋口一葉が書いた『たけくらべ』の文体は次のとおりだ。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、(略)

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そして1906年(明治39年)に夏目漱石の『坊ちゃん』の文体が世に出た。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
この漱石文体が現代文体のルーツとされている。
100年以上も前に書かれた『坊ちゃん』だが、文体的には現代に書かれたといわれてもおかしくない。
(つづきは↓)
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