アトランティス奇譚 最果ての星の物語 第三話
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♢記憶の石♢
それは、風の神殿の初代主風早(かざはや)の身に、何の前触れもなく訪れた。
シリウスへの神戻りを経た夏のある日、風の神官たちの目の前で、風早の身体は、端からまるで砂のように崩れはじめたのだ。
あまりにも突然の出来事に事態が呑み込めなかったのだろう。風早は表情ひとつ変えることなく、ただ透明な風へと還るように、空気に溶けるように、さらさらとその姿を失っていった。
この異常な出来事は、直ちに朱斗(トト)へと伝えられた。
非物質と物質の境界を行き来していた風早の粒子は、朱斗の手により、星の御技をもって「知恵と記憶の塊」へと形を変え、この地上における「物質」として現されたのである。
それが今、天狼星(てんろうせい)の手にある「風早の石」である。
♢
天狼星は優しく手の中の石を見つめる。
風早ー銀色の粒子を内包して輝く青い石は、手のひらに余るほどの大きさで、キラキラと嬉しそうに光っている。天狼星の笑顔に、祭壇に並べられた他の石たちも、嬉しそうに光を返した。
石に目を落としたまま天狼星は呟くように言う。
「記憶の転写がない石はすべて、花依のグリッドに使う。風早と歴代の神官の石は、すべて幼生に転写する」
その言葉に、黒曜はぴくりと眉を上げた。
風早を転写する? 祭壇の石をすべてグリッドへ移す?
「主上、いったい何をなさるおつもりですか?」
愕然とした表情の黒曜に対し、天狼星はあくまで静かな眼差しで答えた。
「言葉の通りだ。風早を含む歴代の神殿主の石は、すべて幼生に転写し復帰させる」
「そんな……! センターツリーには、もはやそのような力は……」
言いかけて、黒曜は言葉を飲み込む。
この街を維持してきたすべての力、そして祭のエネルギーすべてをセンターツリーに集める指示は、神官たちの転写のためだと言うのか。
なんとかあと一日保たせなければ。先程花依に向けた天狼星の言葉の意味が、突然重くのしかかる。
押し黙ったままの天狼星に、黒曜は一人思いを巡らせる。
風早を幼生に乗せる? たくさんの神の御技が失われた今、果たして可能なのであろうか。恐らく儀式は一度しかできない。時間があまりにも足りない。一度? そう、一度きりだ。主上は一度に何人孵すおつもりなのか。
天狼星の意図は未だ掴みきれず、なにかすでに覚悟を決めてしまったかのような頑なな彼の様子に、黒曜は自身が今までに感じたことの無い、沸き立つような不安と焦燥が、腹の底からじわじわと噴き出すのを感じていた。
そもそも今の朱斗さまに、どれほどの力が残されているのだろう。もし仮に七つの幼生すべてを孵すとして、今実りを待っている菫(すみれ)と、颯(はやて)は転写されるのか?儀式を行ったとして、仮に失敗に終わったら、朱斗さまはどうなる?
部屋に重い沈黙が落ちた。
♢
と、石の神殿の広間の入り口から、パタパタと軽い足音が近づいて、カーテンの向こう側でぴたりと止まる。
厚い布越しに、石の神殿の巫女見習い・翡翠(ひすい)の声がする。
「お話のところ大変失礼致します。主上、風の主さまがお見えになりました」
黒曜は軽く息をつくと、天鵞絨のカーテンを開ける。そして少しの動揺も見せずに年若い巫女見習いを見つめると、にこりと微笑む。
「ありがとう、翡翠。こちらに通してくれ」
黒曜の笑顔に、翡翠は嬉そうに頷くと
「はい、すぐにお連れします!」
素直な様子でくるりと踵を返した。
翡翠の軽い足音に続き、コツコツと固い足音がして、衣擦れの音と共に青鷲が到着した。
「風の主さまをお連れいたしました」
天狼星と黒曜が振り返ると、青鷲は覇気の無い表情で入り口に立ち尽くしていた。
ぺこりと一礼して翡翠は戻っていく。その足音が消えても、青鷲は動かずにいた。いつもは精悍な鋭い眼光が、麻痺したようにぼんやりとしている。
「どうした、青鷲?」
天狼星が問いかけても、目の焦点が合わず、答えも返さない。
黒曜の表情が険しくなる。
「なにか催眠のような気配がします。主上、お下がりください」
黒曜は懐から黒い小さな石を取り出すと、ふうっと息を吹き掛ける。さらにもうひとつ、キラキラと光る金属を取り出すと、手のひらの黒い石と打ち合わせる。
――きいん。
鋭い音が空気を裂いた。その音に青鷲は肩をびくりと震わせる。青ざめた頬に赤みが差す。ぼんやりとしていた瞳が数回瞬くと、はっとしたように周囲を見渡した。
「主上、黒曜さま……私は、いったい……」
少し混乱した様子の青鷲に、黒曜は石を握らせて腰かけるよう促すと、足元に石を並べはじめた。
「何があった?」
天狼星が尋ねると、青鷲は首を捻りながら答える。
「はい……主上の指示の通り、すぐにセンターツリーに向かい、幼生の実を探しておりました。枝という枝を、隅から隅まで探しました」
「実はいくつあった?」
「7つです」
答えながら、青鷲はさらに首を捻る。
「7つ数えて、そのあと何が起こった」
天狼星が問うと、青鷲はぐっと眉根を寄せ、少し考え込んだあと小さな声で答えた。
「センターツリーが、突然白く染まりました」
予想外の答えに、天狼星と黒曜は、思わず顔を見合わせる。
「私がツリーを離れようとした時でした。まるで明かりが点るように、ツリーの根元が白く光りました。そして光は幹を上っていくと、枝に広がり、葉も白く染まりはじめました。そして」
青鷲はそこで一旦言葉を切ると、ごくりと喉を鳴らす。
「白く染まった枝のそこかしこに、小さな白い花が咲き始めて…そのあとの記憶がありません」
「センターツリーに花が咲いたと言うのか?」
天狼星が問うと、青鷲は目を細めて、記憶を手繰りながら答えた。
「はい。あまりよく覚えていませんが、幼生より小さく重なり合う花びらが、まるでセンターツリーに灯を灯すかのように、満開に花ひらいておりました」
そこまで言うと、青鷲は体をぶるりと震わせる。
「何より、ツリーが白く染まるとは、この目を疑いました。なにか恐ろしいような、美しいような……」
と、そこで言葉を止め、はっとした顔をする。
「思い出しました。白い花が咲きはじめた頃に、まとわりつくように濃い甘い香りが漂いました。その香りを嗅いだところから後の記憶がありません」
黒曜は思わず天狼星を見つめる。
センターツリーは朱斗の砦である。そこに異変があったということは、朱斗自身にアクシデントが起こったに等しい。
「我らもセンターツリーに向かおう」
三人は石の神殿を出ると、足早に街の中心部へと向かう。
夕暮れに向かう夏の空が、まだ明るく道を照らしている。
しかし、先程までは賑やかだった街が、今は異様なほどに静まり返っていた。その静けさが鼓動を早くさせ、三人はさらに道を急いだ。
神殿の森を抜け、水路に差し掛かればそこにはもう巨大なセンターツリーの姿が見えてくる。
しかしながら、それはいつもの緑溢れる豊かな姿ではなかった。アトランティスのちょうど中心に位置し、そのシンボルたる堂々とした幹も、ドームの天井を覆い尽くすほどに繁る葉も、すべてが白く変わり果てていた。
「これは、一体……」
言葉を無くす黒曜に、天狼星は小さく呟いた。
「あの白い塊は、おそらく、氷というものだ。遥か昔、氷でできた星を見たことがある」
真っ白に染まったセンターツリーを前に立ち尽くす彼らの頬を、冷たい風がふわりと撫でる。巨大樹の根本のあたりから、氷混じりの冷気が吹き出しているのが見える。
空は夕暮れに迫りつつある。このまま夜を迎えれば、ツリーを伝わり広がる冷気で街全体が凍りつくだろう。
青鷲は、知らず体をぶるりと震わせる。そして先ほどからずっと燻り続けていた疑問を口に出す。
「なぜこんなにも突然に、ツリーが凍ってしまったのでしょうか」
青鷲の言葉に、天狼星ははっとする。あまりの異様さに思考が止まっていたが、何の原因もなくこんなにも急激に状況が変わるはずがない。
センターツリーに異変が起こったということは、朱斗の棲むコアクリスタルにも何らかの影響が出ていることは確実だろう。
なにより、今までドームによって環境の変化から守られていた島の住人たちは、この冷気にさらされてしまえば、簡単に器を失うだろう。
天狼星は表情を引き締めると、横に控える青鷲に呼びかける。
「青鷲、この風は汝の体に障る。街の様子も明らかにおかしい。花依を探し、共に星の神殿に向かってほしい。隼たちが戻ってくる頃だ」
いえ、主上と共にここにおります、と答えようとして、青鷲は自分の体が小刻みに震えていることに気がついた。指先の感覚がまるでない。思わず自分の掌を見つめる青鷲に、天狼星は重ねて告げる。
「この冷気は汝の体に障るのだ。長く留まればきっと器を失うだろう。早くここから離れよ。花依も気掛かりだ」
青鷲は何か言いかけたが、吹き続ける冷気に諦めたように首を振ると、自らを抱え込むようにして立ち上がり、深く一礼し、少しふらつきながら神殿の方へ戻っていった。
その後ろ姿を見送ると、天狼星はツリーに向き直る。
「黒曜、念のため守護を頼む。朱斗さまのもとへ急ごう」
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