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#148 公民連携のリスク分担

この記事は、公民連携(PPP/PFI)の契約設計や調達に携わる実務者(公民問わず)に向けて、自身の経験を踏まえて書いている。現場でリスク分担の議論に直面したとき、立ち戻れる論理の軸を示しておくことが目的だ。

背負えるリスクの裏打ち

公民連携の議論において、私たちがつい見落としがちな前提がある。それは、公共と民間では「背負えるリスクの総量」が根本的に違うという事実だ。

公共には最後の砦がある。事業運営が失敗し赤字に転落しても、議会の承認を経て一般財源を投入し、条例を改正して料金を改定する手段がある。公共サービスを止めるわけにはいかないという使命の裏側には、こうした制度的な拠り所が控えている。

ただし、ゆえに「官の責任は無限だ」という表現は正確ではない。財政破綻した自治体が示すように、税収にも議会の政治的合意にも限界はある。官が持つのは「無限責任」というよりも、「民間よりはるかに大きなリスク許容量」と表現する方が誠実だろう。

対して、民間はどこまでいっても「有限責任」の存在である。どれほど志が高くとも、資本の裏付けがないリスクは取れない。倒産という明確な終わりがある以上、民間が負えるリスクには上限がある。イコールフッティングの思想は重要だが、この当たり前の事実を無視した片務的な契約設計が、時としてプロジェクトを破綻へと導く。

責任と権限は不可分

リスク分担と切り離せないのが「役割分担」だ。責任(リスク)を負わせるならば、それに見合う権限(役割)を渡しているか?という論点である。

もし公共側が、大きな物価変動や不可抗力など、自らでもコントロールできないリスクを民間に転嫁しようとするならば、論理的な帰結として、民間側に一定の「料金設定権」を委ねる必要が出てくる。コストが跳ね上がったとき、自らの判断で収入をコントロールできなければ、有限責任の組織は早々に限界を迎えるからだ。

しかし、多くの公共サービスにおいて、料金設定権を完全に民間へ渡すことは現実的ではない。特に上下水道事業では、公共性の担保という観点から、価格のコントロール権は公共側が握り続ける。だとするならば、答えは一つだ。誰もがコントロールできないリスクは、公共が引き受ける。それ以外に、構造的な整合性を保つ方法はない。

この原則「リスクを管理できる者にリスクを割り振る」はPPP理論の基本命題であり、英国のPFI導入以来、国際的な標準的枠組みとして広く共有されてきた考え方だ。リスクを管理する手段を持たない者にリスクを負わせることは、無駄なコストを生じるだけでなく、事業そのものを不安定にする。

動的ガバナンスの必要性

ただし、ここで議論を止めてはならない。リスクを適切に配分することは、出発点に過ぎないからだ。

PPP/PFIは10年・20年・30年にわたる長期契約である。契約締結時点でのVFM(Value for Money)算定の前提は、社会経済環境の変化によって必ず陳腐化する。インフレ、人口動態の変化、技術革新、パンデミック。想定外の事象は必ず発生する。

問われるのは、スタート時点で誰がリスクを持つか?という静的な配分の問いだけではない。状況が変わったとき、誰がどのように再交渉し、契約を調整するのかという動的なガバナンスの設計こそが、長期事業の成否を分ける。リスク配分の正義と、それを運用し続ける仕組みの両方が揃って、初めて契約は機能する。

損失の社会化・利益の私有化という批判

公民連携に対しては、根強い批判がある。「リスクは社会が負い、利益は民間が得る」という非対称性への疑念だ。

民間としては「負ったリスクに見合うリターンを得ているに過ぎない」と反論したくなるところだが、この批判を軽視し続けると市民の信頼を失う。問題の本質は、その反論が正しいかどうかではなく、市民がそれを検証できる情報に接しているかどうかにある。

すなわち、情報の非対称性こそが、この批判を根強くさせている構造的な要因だ。民間事業者の収益構造は契約の外側からは見えにくく、コストの妥当性も判断しづらい。そのため、たとえ適正な利益であっても「ブラックボックスで儲けている」という印象が生まれやすい。

この批判を無効化するためには、透明性の確保と収益配分の再設計の両面が必要になる。収益構造を開示する仕組みを契約に組み込み、一定水準を超えた利益が生じた場合には公共側へ還元するゲインシェアリングの条項を設けること。ダウンサイドだけでなくアップサイドも公共と共有する構造を持つことが、納得性を生む一つの答えになる。

ただし、透明性確保には構造的な難所がある。再委託先への利益移転だ。元請の民間事業者が原価を開示したとしても、その事業者が子会社や関連会社へ業務を再委託し、そこで利益を吸収する構造になっていれば、開示された数字は実態を映さない。原価の完全開示は契約上・実務上のハードルが高く、現実的でない場合も多い。

だとすれば、問うべき問いを変える必要がある。「いくら儲けているか」ではなく、「リスクも一緒に移しているか」だ。再委託先が利益を得ているとしても、それに対応するリスクも負っているのであれば、構造としての整合性は保たれる。逆に、利益だけを再委託先に移し、リスクは元請が形式的に保持したままというのであれば、それは契約の趣旨を骨抜きにしている。公共側が確認すべきは、再委託の連鎖においてリスクと利益が対応関係を保っているかどうかである。

背負うと上手く背負うの違い

さらにもう一つ、見過ごせない問題がある。「公共がある範囲のリスクを引き受けるべき」という結論が正しいとして、現実の多くの自治体に、そのリスクを適切に管理する専門的能力があるかという問いだ。

PPP/PFI契約のモニタリング、財務モデルの検証、交渉の技術。こうした高度な専門性を、人口数万人規模の地方自治体が庁内に抱えることは、現状では困難な場合が多い。「リスクを引き受ける権限を持つ」ことと、「そのリスクを上手く管理できる」ことは、まったく別の話だ。

したがって、リスク配分論と並行して、公側の「リスク管理能力の維持・構築」という議論が不可欠になる。専門人材の育成、広域連携による知見の共有、民間や第三者機関との協働によるモニタリング体制。こうした能力基盤の整備なくして、適切なリスク引受けは絵に描いた餅に終わる。

リスク分担の設計・運用・能力維持

ここまで論じてきた三つの問いを整理しておきたい。

設計:契約時点でリスクを管理できる者に適切に割り振り、誰もコントロールできないリスクは公共が引き受ける。同時に、透明性確保とゲインシェアリングによって収益の非対称性への批判に応える。

運用:長期にわたる契約を静的なものとして扱わず、状況変化に応じて再交渉・調整できる動的なガバナンスを設計に組み込む。

能力:公共がリスクを引き受ける以上、それを管理するための専門能力を組織として持ち続ける。広域連携や外部機関との協働も含めた体制整備が前提となる。

リスクを管理できる者にリスクを割り振る。民間が負いきれないリスクは、より大きな許容量を持つ公共が引き受け直す。この原則は正しい。しかしそれだけでは足りない。

設計と運用と能力、この三つが揃って初めて、公民連携は「受益者の幸福に資する」という本来の目的へと走り出すことができる。構造を理解することは、スタートラインに立つことだ。そこから先に、本当の仕事が待っている。


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