岡山県猿神村奇譚(第1話)
あらすじ:5世紀ごろに築造されたとされる、主(あるじ)不詳の古墳を有する岡山県の限界集落で、移住者の猫が失踪。その後移住者も神隠しに遭ったかのように消息を絶つ。一週間後に吉備真備のスーパーマーケット駐車場で、猿神村に住んでいた祈祷師が自身の体に火を放って焼死する。焼身自殺を遂げた祈祷師と神隠しに遭った移住者。何の繋がりもないかに思われたふたりを真備交番の吉岡巡査が点と線で繋いでいくうち、恐ろしい真実に辿り着く。
序
岩見真輔の愛猫が失踪した。
日中は庭先か、裏の畑でのんびりと惰眠をむさぼるおとなしい雌猫で、狸そっくりの風貌からポンと名付けた。
岩見の前にポンがふらりと現れたのは、彼が岡山県の限界集落で古民家暮らしを始めて3度目の終戦記念日の午後だった。
どこからかふらりと現れては、岩見を遠くから眺めていた。茶色の毛むくじゃらで尻尾もふっくらとしていたので最初は狸が遊びに来たのかと思ったが、よくよく見たら野良の子猫だった。
ある日冷蔵庫にあったささ身を茹でて皿に載せ、畑の隅に置いてみた。翌日皿が空になっていたので、今度はツナ缶をパカンと開けて与えるとおいしそうに食べた。ほどなく向こうから近づいてきて岩見の足元にまとわりついてくるようになり、居ついた。
初めて見たときは産まれて半年程度と思われた。両手にすっぽりとおさまるほど痩せていた。食生活が安定してくるとふっくらとして、パッと見ただけでは猫なのか狸なのかますますわからなくなってきた。
昼間は庭に寝そべり、畑で作業を始めると一緒になって土を掘ったり草を食んだりするが、畑の作物を荒らすことはせず、そそうもしなかった。近所を徘徊しに行っても日暮れ前には必ず帰ってきて、岩見の膝の上でまどろんだ。
うっかり尻尾を踏んでしまった時以外に鳴く声を聴いた試しがほとんどない、おとなしい穏やかな猫だった。
このあたりは夜ともなると、畑の作物を狙って山からイノシシやアナグマが降りてくるので、夜は家の中に入れていた。
そんなポンが失踪したのは、家で暮らすようになって1年ほど経った小春日和の午後だった。
遠くへ出かけた様子もなかったが夜になっても姿を現さず、翌日も、翌々日も帰ってこなかった。
首輪をつけていたから野良猫と間違われ捕獲されたとは考えにくかった。
岩見が大阪の喧騒を離れて岡山県小野田郡猿神村に移住をしてきたのは2020年の年末のことだった。村は20に満たない世帯そのほとんどが高齢者という限界集落で、5世紀頃このあたり一帯を治めていたという豪族猿神氏の古墳に隣接する。仁徳天皇陵クラスの文化遺産規模ほど巨大なものではない。発掘調査が行われたことがないため猿神氏の墓というのはあくまでも言い伝えで、古墳の成り立ち自体明確ではない。石室らしき部屋がぽかんとあるだけなので出入りは自由だったが、2018年に起こった西日本豪雨で樹齢100年と伝えられる杉の巨木が倒壊して石室に入るただひとつの入口を塞いだ。ご神木なので撤収するのを地元業者が躊躇したためそのまま捨て置かれ、中に立ち入ることが出来なくなった。
引っ越しが趣味の岩見は東京、福井、京都、大阪と気の向くまま住居を転々としてきた。大阪に流れ着いて劇場勤めをしていた時に、新型コロナウイルスが武漢から日本にやってきて爆発的に感染拡大した。イベントの中止が相次ぎ劇場は長期休館に追い込まれ、役者もスタッフも突然職を失った。
ゴーストタウンと化した緊急事態宣言下の道頓堀の真ん中を自虐的に歩いていると、人が大勢集まって、マスクも付けずに「大阪都構想をいまこそ実現させよう!」と叫びながらビラ配りを行っていた。
ディストピアさながらの光景に、矢も楯もたまらず大阪から離れたくなった。
北海道でも九州でも良かった。一刻も早く大阪から脱出したかった。移住支援で検索したら、岡山県の猿神村がヒットした。
身一つで畑付きの古民家暮らしを始めて何事もなく3年が過ぎ、4年目の夏が訪れようとしていた。コロナ禍に移住してきたというタイミングもあったかもしれないが良くも悪くも村人との交流はほぼ皆無。”余所から来た人間はどこまでいってもヨソモノ”傾向は、日本という島国においては特別に珍しいことでなく大差なく珍しいことでなく、地方は特に顕著な傾向にある。とはいえ道ですれ違えば笑顔で挨拶を交わすし、お隣のおばあさんが気が向くと、畑で採れた野菜を軒先に置いていってくれるしゴミの収集日など必要なことは聞けば教えてくれるので問題はなかった。都会暮らしの喧騒を嫌って移住を決めた岩見にとっては、むしろ近寄ってきてくれないほうが気楽でありがたいとさえ思っていた。
だが・・・愛猫がいなくなって、帰ってこなくなって、ポンを探して村を歩き回ってみて、改めて気づいたことがあった。
移住してきてこのかたこの村では、猫の姿を不思議なくらい見かけた覚えがなかった。
岩美の自宅は古墳にほど近かった。
二階の窓からは、仁徳天皇陵ほど巨大なものではなかったが、それなりに見ごたえのある前方後円墳の全景を見渡すことが出来た。
古墳の手前には、戦後に食用ガエルを飼育していたという沼地が広がっていた。
いなくなった猫はもしかして古墳に迷い込んだのではないかと思い捜索に入ろうとしたら、村人に沼地の周辺にマムシが出るから危ないと止められた。
窓から古墳を眺めるたびにポンを思った。
沼にはまったか、マムシにでもやられたか・・・思いを巡らすうちに時が流れた。
その朝は、天気予報では西日本の梅雨明けが発表されたが窓の向こうは霧雨に包まれていた。
白くけぶる古墳を漠然と眺めていた岩見の目に、奇妙な光景が映り込んだ。
アオサギのコロニーと化した古墳の中腹あたりの樹林から、女が這い出してきてのそりと立ち上がってこちらに向かって歩き出したところだった。
古い壁画で見たことのあるような時代的な扮装の女性の姿・・・例えるなら高松塚古墳の壁画に描かれている女官のようないでたちの女が、恐ろしい形相で岩見を睨みつけている。
見てはいけないものを見たと思ったが後の祭り。女は滑るように宙を駈け、次の瞬間、家の窓ガラスをバンバン拳で叩き始めた。
恐怖がピークに達した岩見は、本能的にここから離れなければと思った。家から飛び出し自転車に飛び乗った。やみくもに自転車を漕いでいたらふくらはぎがつって、自転車ごと前のめりに沼地に突っ込んだ。
じたばた這い上がろうともがくうちふくらはぎの緊張から解放され立ち上がろうと顔を上げた瞬間、恐怖のあまり身がすくみ、再び足がつった。
古墳の石室へ通じる入口の扉が開いて中から細い影が、こちらへ向かって長く長く伸びてくる。
その刹那。
チリン。
生温かい風に乗って、鈴の音が聞こえてきた。
「ポン?」
鈴の音が近づいてくる。ほとんど声を発しないおとなしい猫だったので、縁の下などに潜んでいるときに所在が確認できるようにと、鈴をつけたのだ。
チリン。
岩見は鈴の音の方向に目を凝らした。小さい影がひたひたとこちらに向かって走ってくる。
「ポンッ!」
愛猫が飼い主を助けに来てくれたのか。藁にもすがるような思いで鈴の音に救いを求めた。
チリン。
愛猫につけてやった首輪の鈴の音に間違いなかった。だが岩見にすり寄ってきた猫は、首から下の胴体はあるのに、頭がなかった。
毛むくじゃらが4本の短い足をばたつかせ岩見の周りを跳ね回り、目の前にちょこんと来て前足を片方だけ少しだけ上げた。
そのしぐさは忘れもしない。
変わり果てた姿の愛猫ポンだった。
恐怖が己のキャパシティーを凌駕した瞬間、人は現実の固定観念を容易く手放す。
深みにはまり込んで腰まで泥に浸かった岩見が首無し猫を抱きしめた。
「お帰り、ポン。いままでどこに行っていたんだい。探したよ。一緒に帰ろう。」
その刹那、岩見は背中に衝撃を感じて前のめりになった。
背中を撫でた右の手の平にぬるりとした感触を覚えながらうつ伏せに倒れ込んだ。
沼のほとりに、巫女の扮装をした女が、両手で直刀を握りしめぽつんと立ち尽くしていた。
顔と体に返り血を浴び、刀の先からも鮮血がしたたり落ちていた。
慌てている様子もなく、躯が沼に完全に沈むのを見届けてから何処ともなく立ち去った。
さっきまでの雨は嘘のようにあがり、うっそうとした森林に季節外れの鶯の狂い鳴きが響いていた。
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