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支えることと、背負うことは違う|子どものことで気づいたこと


もしあなたが、

子どものことで
胸が苦しくなる夜を
経験したことがあるなら——

この話は
きっと他人事ではないと思います。

前回の番外編で私は、
子ども達のことで
心が折れそうになった2月のことを書きました。

立て続けに起きた出来事。

揺れる気持ち。

それでも私は、
「被害者」で終わらずにいられた。

今回は、そのうちの片方の出来事について、
もう少し深く考えてみたいと思います。



私が一番怖かったこと


正直に言うと、
出来事そのもの以上に怖かったことがあります。

それは、
子どもが
「がんばっても報われない」
と思ってしまわないか、ということでした。

努力しても意味がない。
やっても無駄だ。

そんなふうに思ってしまったら——
親として、それが一番つらい。

この「搾取されない生き方」シリーズを書き始めたきっかけの頃、
私自身が
「がんばっても報われない」と感じてしまったことがありました。

あの感覚は、本当に苦しかった。

だからこそ、
子どもには同じ思いをしてほしくなかった。

何とかしたかった。
希望を失わせたくなかった。

でもその思いが、
いつの間にか「背負う」になっていたのだと思います。
 

支えるつもりで、背負っていた


私は、
「子どもの問題は子どもの問題」だと
頭では分かっていました。

けれど、心は違っていました。

まるで自分のことのように感じ、
まるで自分の責任のように感じ、
力が入りすぎていた。

その結果、
余裕がなくなり、
きつい言葉を投げてしまった事もありました。

支えるつもりだったのに、
背負っていたのだと思います。
 

子どもが口にした「次の一歩」


そんな中で、
子どもが自分から、次の一歩を口にしました。

大きな宣言でもなく、
強い決意でもなく、
いつもの声で、ただ淡々と。

その瞬間、
胸の奥が、ふわっと軽くなりました。

ああ、この子は
ちゃんと自分で立とうとしている。

私は、
立てないと決めつけて、
先回りして背負おうとしていただけかもしれない。

守りたいあまり、
この子の力を信じきれていなかったのかもしれません。
 

支えることと、背負うことは違う


背負うとは、
相手の人生を自分の責任にしてしまうこと。

支えるとは、
相手が自分の足で立とうとするのを
信じて、そばにいること。

背負えば、
親は疲弊します。

支えれば、
親にも余白が残る。

前回の記事で私は、
「自分の心まで壊してしまわないことも大切な役目」と書きました。

今回あらためて分かったのは、
それは
“背負わない”ということだったのかもしれない、
ということです。
 

搾取されない生き方は、家庭の中にもある


これまで私は、
副業の出来事を通して
「搾取されない生き方」を考えてきました。

でも今回気づいたのは、
搾取の構造は仕事だけではない、ということです。

休めない。
抱えすぎる。
自分の限界を無視する。

それは家庭の中でも、簡単に起こります。

子どもの問題まで
自分の責任にしてしまうこと。

それはある意味で、
自分を削る行為でした。

そしてそれは、
子どもの「自分で立つ力」を
私が信じきれていなかったからなのかもしれません。

それでも、私は大丈夫


今回の出来事は、ショックでした。

今も完全に平気になったわけではありません。
揺れる日もあります。

それでも——
揺れながら、私は進んでいくのだと思います。

子どもにも、
その力があると信じたい。

支えることはできる。
でも、背負わなくていい。

そう思えたことが、
この2月で、私の中に残ったものです。

あなたは今、
誰かの人生を
支えていますか?

それとも
背負ってしまっていますか?

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