「アーカイブ・サテライトの園」第10話
●あらすじ
人工知能と人工意識を搭載したアンドロイドが普及し、多くの人間が仮想世界に入り浸るようになった近未来。人類は増え続けるデータに対処すべく、データ保存に特化した衛星アーカイブ・サテライトを打ち上げた。
その衛星へ送るデータを選別するアーキビストとして働いていた五塔重法は、不審な死を遂げた妻、エリコの死の真相を突き止めようと動き始める。
車椅子に乗る元探偵の老女、雪島時子と、一人息子を持つ備品管理課所属の刑事、冠木一獅、警官型アンドロイドのキャス、エリコの元同僚の荒角から協力を得た五塔は、宇宙素粒子物理学の研究者であったエリコが残した未完成の論文を頼りに、信じ難い真相にたどり着く。
「暗い路地で舞い踊るバレエダンサーのような素粒子」
レンジに冷凍食品を放り込んで、記憶に刻まれた文章を声に出す。論文に何回も出てくるので覚えてしまった。エリコはエレクトロン・ピンボール粒子を随分ロマンチックに捉えていたようだ。
電子と同じくらいの質量があるにもかかわらず、質量ゼロの光子のように軽やかに空間を動き回る。あらゆる粒子を通り抜けるが、気まぐれに自由電子とぶつかっては弾き飛ばされるので、エレクトロン・ピンボール粒子と名付けられた素粒子。
レンジの中を覗きながら、子ども向けの素粒子物理学の本で学んだ内容を思い返す。原子核の周りを回転する電子は、増えてバランスが悪くなると、原子核から離れてしまう。その離脱した電子が自由電子。その自由電子が原子と原子の間を流れていくことで、電流が起きる。
レンジが鳴った。扉を開けると、冷凍のチキンリゾットはしっかりと温まっていた。熱そうなので蓋を少し開けて、しばらく放置する。電気が生みだすマイクロ波が、適当に選んだ冷凍食品の水分子を振動させて、加熱してくれた。原理を意識すると、発明家への感謝の念が出てくる。しかし通信技術がこれだけ進化しているのに、調理機器は一向に進化しないのは、なぜだろう。
容器の端をつまんでテーブルに運ぶ。色彩豊かすぎる蓋には、ポップなフォントで「よいクリスマスを」と大きく印刷されていた。はっとして壁掛けカレンダーに駆け寄る。今日はクリスマスだったのか。ここまで見事に忘れていたのは初めてだ。
テーブルに放っておいた使い捨てフォークを手に取り、蓋を剥がす。1口目を口に運ぶ寸前で、フォークを下ろした。あまりに味気ないクリスマスだ。ため息を吐いて、疲れている眼球にコンタクト型デバイスを着ける。数回、瞬きをして電源を入れ、メモリアル・パレスを久しぶりに起動した。一瞬で目の前にエリコの分身が現れる。またいつもの緑色のカーディガンを着て、狐の窓で遊んでいる。
「久しぶりだねぇ。もうとうとうクリスマスですよ。のり君は調子どう?」
「……普通。エリコは、どうなの」
「うーん、良くも悪くもない。つまりいい感じってこと」
本当は先週から風邪気味で、ろくに食事もしていない。調子はすこぶる悪い。このエリコにまで強がっている己が情けなくなる。ソファに姿勢よく座ったエリコは、部屋中を見回し始めた。スキャンして部屋中の情報を取り込んでいるのだろう。
よく煮込まれている鶏肉と米をすくって口に運ぶ。空腹のはずなのに美味しいと感じない。ファミレスのチャーシューメンが食べたい。時子さんと食べた、あのチャーシューメンは美味しかった。
ルミノシティ研究所から帰った後は、各々できることに集中している。時子さんと俺は論文解読と情報整理を。冠木さんとキャスさんは、今のところ唯一の容疑者である青年を追いつつ、他の同僚たちへの聞き込みをしている。
体調を崩したのでシニアホームには行ってはいない。しかし時子さんたちとは時々電話やメールで情報交換している。荒角さんからの連絡はまだ無い。正直、有力な情報は得られていないが、きっと真相に近づけると信じている。
「クリスマスですねぇ。サンタさんが欲しい物くれるかも」
やっと落ち着いた様子のエリコが呟いた。毎年エリコとクリスマスプレゼントを贈り合っていた。プレゼント選びが少し面倒だなんて思っていたが、あの儀式のおかげで俺はクリスマスを忘れずにいられたのだ。今年からはプレゼントを贈る相手もいない。誰からもプレゼントなんて貰わない。ついにフォークを置いてエリコの幻影を眺める。
「……俺はエリコからのプレゼントが欲しいよ。サンタなんて、どうでもいいよ」
馬鹿なことを呟いた俺に、エリコの幻影も戸惑っている。まったく減らないまま冷めたチキンリゾットを冷蔵庫に入れようと、重い腰を上げた時だった。インターホンが鳴った。もう深夜になりそうな時間帯だ。不審に思い、インターホンのモニターを覗く。黒いスーツ姿の男たちがこちらを睨んでいる。嫌な予感がした。
メモリアル・パレスを終了させ、コンタクトを外す。小さな長方形のデータ抽出機に差しっぱなしだったUSBメモリを、勢いよく引き抜いてポケットの中に押し込めた。再び鳴らされたインターホンで覚悟を決める。
「……はい、なんでしょうか?」
「五塔重法さんですね?中央情報管理局の者です。機密情報の強制回収に参りました。私たちの強制執行を妨害しますと、国家機密情報の不法所持と不正利用、および執行妨害の罪であなたを拘束します」
淡々と話す青白い顔の男は、懐から薄い紙を取り出し、広げて見せた。中央情報管理局の印が入った強制執行の命令書。冷や汗が出てくる。油断していた。もう気付かれるなんて。
「……少々お待ちください」
逃げるか。ここはマンションの7階だ。逃げられない。籠城するか。いや、おそらくあの男たちはドアを破壊して入ってくる。ポケットのUSBメモリを強く握る。ごまかすしかない。
「失礼します」
慎重に鍵を開けた途端、数名の男がなだれ込んできた。情け容赦なく、部屋中をめちゃくちゃに荒らしていく。
「やめてくれ!妻の遺品もあるんだ!」
「エレクトロン・ピンボール粒子という素粒子に関する論文について、奥様の江利川遠子さんから何か聞いていませんか?あるいは紺色のUSBメモリを見かけませんでしたか?」
青白い顔の執行官が俺に詰め寄ってきた。爬虫類のような目の圧力に怯んでしまう。
「……何も聞いてないし、USBメモリなんて知らない」
「おかしいですね。江利川遠子さんの職場のパソコンには、作成途中の論文データをUSBメモリに移した履歴がありました。そのUSBメモリを探し回っているのですが、どこにもないのです。職場の誰もが、彼女が亡くなった当日から見ていないとおっしゃっていましてね。行動範囲の狭い方だったそうなので、ご自宅にあるだろうと踏んだのですが。奥様の遺品を捜索させていただいても?それと、あなたの所持する情報機器や記録媒体をしばらくお借りして、中身を軽く確認させていただけます?もちろんプライバシーは守ります」
「もうとっくに家中を踏み荒らしてるじゃないか。お願いだから、どうか妻の私物は丁寧に扱うように言ってくれ」
「承知しました。お前たち、亡き奥様の遺品は特に丁重に扱えよ」
捜査員たちは、うめき声のような低い声で返事をした。竜巻に襲われたかのように部屋中が荒れていく。捜査員たちに満足そうな視線を向けている執行官から、離れる。悟られないようにじりじりと。
装着型デバイスはもちろん、処分に困って放置していた昔のパソコンや、エリコとの思い出の記録が詰まったガラス・ディスクまで、回収物と書かれた黒い袋に乱暴に詰め込まれていく。何でも持っていくがいい。ポケットの中身は絶対に渡さない。1人の捜査員が近づいてきて、執行官の男に耳打ちをした。
「……五塔さん、先ほど私の優秀な部下がUSBメモリ用のデータ抽出機を発見しました。古いものですが接続部分に埃が付いていないそうです。まるで最近使用したかのように」
執行官は口の端を吊り上げながら、俺と目を合わせた。鼓動が激しくなる。
「機密情報を故意に隠した場合も罪に問われるのですよ。正直に吐いたほうがいいと思いますが。奥様の上司、柏戸さんと言いましたか。柏戸さんはすぐに白状してくれましたよ。自分名義で発表しようとしていた論文は、本当は奥様の論文だったということを。長い間USBメモリを紛失していながら、報告しなかったことも。それから亡くなった奥様と仲良しだった同僚の方、荒角さんにもお話を伺いました。USBメモリの行方を知っていそうだと思ったのですが、今の五塔さんのように頑なに何も話そうとしない。私たちも仕事でやっていますので、そう意固地になられると困ってしまうのです。今すぐに私にUSBメモリを渡さないと、荒角さんも犯人隠避の罪に問われる可能性もあります。よく考えてください」
陰湿な脅し文句に沸き上がる怒りを抑える。どうする。とりあえず考える時間を稼ごう。
「……なんで中央情報管理局ともあろう巨大組織が、そこまでエリコの論文にこだわる?エリコは優秀だったが、研究者として国際的に名が知れているというわけじゃなかった。一研究員の未完成の論文データ1つのために、中央情報管理局が動くなんて妙だ」
「それは、あなたが知ってはいけない情報です。USBメモリを出してください。私たちは捜査対象者に怪我を負わせたくはないのです」
気付けば捜査員たちが俺を取り囲んでいた。死神のような男たちの集団から、凄まじい圧力を感じる。俺が抵抗しても、逃げ出せる確率は限りなく低いだろう。握りしめていた拳を開く。のろのろとポケットの中から取り出したUSBメモリは、すぐに執行官に奪い取られた。
「賢明ですね。ご協力、感謝いたします。ああ、耳にかけておられる携帯も回収させていただきたいのですが」
耳を引きちぎるような勢いでピアス型携帯を外し、執行官に投げつけた。
「はい、ご丁寧にどうも。それともう1つ。大事な確認です。論文を第三者に閲覧させたり、コピーさせたりはしていませんね?ちなみに虚偽の返答をされた場合も罪になります」
時子さんたちの顔が浮かんだ。もう後戻りできないほど、事件に巻き込んでしまっている。覚悟を決めた。
「……そんなことしてない。エリコが最後に残したものだと思うと、奪われたくなくて、つい隠してしまっただけだ。それに俺は宇宙素粒子物理学には疎い。何度読んでも、何が書いてあるのかさっぱりだったんだ。そんな論文のために、クリスマスに家を荒らされて散々な気分だ。渡したんだからもういいだろ。早く帰ってくれ!」
「そうですか。それならば結構。これで強制執行は完了です。回収物は後日、郵送で返却します。いくぞ」
強盗団のような男たちが出ていくのを、ただ黙って見ていた。最後の1人がドアを乱暴に閉めたところで、床に崩れ落ちた。もはや足の踏み場もない部屋の中には、もう何もない。エリコの幻影さえ消えてしまった。頭の中も空っぽになってしまったかのように、何も考えられない。
カーテンの隙間から光が漏れ始めた。もう何時間、座ったままなのだろう。一気に立ち上がると、強烈に痺れていた足が言うことを聞かず、盛大に転んだ。のたうち回りながら、痛みと情けなさで涙がにじむ。歯を食いしばって、床に落ちていた上着と鍵と財布を掴み取り、ドアまで這った。
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