山田宏一写真集『NOUVELLE VAGUE(ヌーヴェルヴァーグ)』 : ゴダールの聖骸布
書評:山田宏一写真集『NOUVELLE VAGUE(ヌーヴェルヴァーグ)』(平凡社)
日本の映画評論家・山田宏一による、「ヌーヴェルヴァーグ」の、当時の「現場」を撮ったスナップ写真集である。

当時の山田は、映画評論家ではなく、一介の熱心な映画ファンでしかなかった。だが、それが高じて、1960年代半ば、大変な盛り上がりを見せていたフランス映画界における「ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」運動の現場に立ち会うべくフランスへと渡り、コネを伝ってその渦中に身を投じ、日本人唯一の『カイエ・デュ・シネマ』誌の同人にもなった。
そして、その現場から、「ヌーヴェルヴァーグ」の動向を日本に紹介した、日本におけるフランス映画紹介の第一人者の一人である。
『1964年3月、東京外国語大学フランス語学科卒業。同年11月、フランス政府給費留学生としてパリに移住。「カイエ・デュ・シネマ」の同人となる。
『アルファヴィル』の助監督についていたジャン=ピエール・レオに頼み込み、1965年2月5日、同作品の撮影現場に潜り込む。このとき初めて(※『アルファヴィル』を監督していた)ジャン=リュック・ゴダールと会った。同年、天沢退二郎の紹介により、パリで蓮實重彦と知り合う。1967年に帰国。
1968年5月のカンヌ国際映画祭に、羽仁進監督の『初恋地獄篇』がコンペティション外特別招待作品に選ばれた。山田は羽仁プロから宣伝と販売を委託され、ポスターやスチール写真など宣伝材料をかついでカンヌに向かい、中止事件を目の当たりにする。同年10月、『季刊フィルム』が創刊。同誌の編集に携わる。』
(Wikipedia「山田宏一」)
このあたりのことは、山田の主著と呼んでもいいだろう 『友よ映画よ、 わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』 のレビューに詳しく紹介しているので、ここでは繰り返さないが、同書のクライマックスとなっているのが、上に紹介されている、1968年の「カンヌ映画祭中止事件(カンヌ国際映画祭粉砕事件)」である。
この事件は、平たく言うならば、映画界への政治的な管理を進めようとしていた時のフランス政府に対し、苛立ちを募らせていた、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどの「ヌーヴェルヴァーグ」の映画作家たちを中心とした中堅映画関係者が、その年に開催されたカンヌ映画祭においてボイコット運動を決行して、映画の上映を妨害するなどの実力行使により、映画祭を実質中止に追い込んだ、という事件である。


無論、これは当時もり上がっていた「学生運動」などと空気を共にしたものである。
この後ゴダールが、ベトナム反戦運動への連帯から、急激に左傾化していくことからも明らかなとおりで、フランスの映画界においても、「映画祭」が象徴するような、世界の動きから遊離したかのような、「派手な資本主義」的な身振りに対する反発が高まっていた。
そもそも「ヌーヴェルヴァーグ」とは、1950年代後半までは当たり前だった、徒弟制度的な映画撮影所システムに反抗して、映画に対する情熱とセンスさえあれば、若くても映画を撮ることは可能なのだということを示して見せた、映画界の革新運動であった。
言い換えれば、低予算・短期間で映画を撮り上げるゴダールに象徴されるような、「映画を人民の手に取り戻せ」的な反体制運動であったため、ハリウッド的な大資本による商業主義的独占には反発があり、「映画祭」とは、まさにそうしたもの象徴だったのだ。
「映画祭」とは、その名のとおりに「映画のお祭」なのではなく、その本質は「映画の見本市」である。
その際にしばしば開催される「映画賞」の授与というのも、身も蓋もなく言えば、所詮は「商品の箔付け」のためになされるものでしかない。
「菓子」の世界的な賞としての「モンドセレクション」のフランス映画版が、カンヌ映画祭における「パルム・ドール」を最高賞とした各賞であり、これのドイツ映画版がベルリン映画祭における最高賞である「金熊賞」以下の賞なのだ。
無論これらは、アメリカ映画界(ハリウッド)の「アカデミー賞」の影響力に対抗しようとしたものであり、アメリカ映画の世界的な市場の独占に抵抗しようとした、国策でもある「見本市としての映画界」なのだ。
言い換えれば、映画界における「アメリカ帝国」の一強的な覇権に抵抗する、ヨーロッパ「列強」による「植民地拡大政策」とでも呼ぶべきものだったのである。
だから、民主革命の国であり、国家による統制を嫌う気風の強いフランスにおいて、映画界の革新を担った「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちが、フランス映画のハリウッド化に竿さすような映画界に反発したのは、ごく自然なことだった。
「ましてやベトナムでは、アメリカによる資本主義侵略戦争によって、多くの人たちが虐殺されている最中だというのに!」
ということだったのである。
当然、本書で紹介される写真に付された文章の主たるもの(当時書かれた文章)は、当時のそうした反体制的な空気を、共感を持って伝えるものとなっている。
当時、山田宏一は『カイエ・デュ・シネマ』の仲間だったのだから、それは当然のことだったのだ。
だが、「1968年革命」と呼ばれることもある、学生を中心とした世界的な反体制運動は、その年を頂点として、政府の強権的な弾圧によって、1年と待たず急速に収束へと向かうことになる。
のちに復帰するとは言え、ゴダールが商業主義映画界を去るまでに至ったのも、こうした挫折があったからだ。

しかしながら、こうした挫折を受けて、それでも信念を貫こうと踠いたゴダールのように人は、そう多くはなかった。
ゴダールと並んで「ヌーヴェルヴァーグの旗手」と並び称され、『カイエ・デュ・シネマ』での評論家時代は無論、「カンヌ映画祭中止事件」でも、切り込み隊長の役を担ったフランソワ・トリュフォーは、数年後には「商業主義」映画に転じて、ハリウッドを目指すことになり、もと同志であったゴダールから「裏切り者」呼ばわりされて、決定的な決別を迎えることにもなる。
本書に収録されている、当時の山田宏一による文章は、主に2本で、そのひとつは前記 『友よ映画よ、 わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』 所収の「カンヌ映画祭中止事件」に居合わせた際の状況を帰国後に綴った文章と、もうひとつは、「カンヌ映画祭中止事件」から、その後のゴダールの状況を「共感と反感」を相半ばさせながら綴った文章である。
前者については、先に紹介した、 『友よ映画よ、 わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』 のレビューに、ほぼ全文引用しているので、是非そちらをご参照願いたい。
一方、後者の文章は、1968年から翌年にかけて書かれた「五月革命あるいはゴダールの決別」と題されたものであり、だからこそ、メジャー映画界を去ったゴダールが撮り始めた「政治的な前衛映画」に対する、「心情的には理解したいけれども、映画としては理解不能だ」という、当時の山田宏一のアンビバレンス(二律背反的)な感情を、ハッキリと反映したものとなっている(ただし、のちに手を入れている可能性はあろう)。
以下は、それの締めくくり部分だ。
『 かくしてカメラを持った男ゴダールは、それまでかれの映画の主要な動因力となっていた「映画とは何か」という美しい問いをもはや捨てて、いまや映像と音響を武器として「何をなすべきか」という問いにのみ迫る。(※ ゴダールの新作)『東風』はこの「何をなすべきか」の果てしない自問自答である。「階級闘争を無視して映像はありえないのだ」と叫びつつ、「批判と闘争と変革」を求めて巨大な迷路を彷徨する悪夢の爆薬である。
『東風』は、1969年の5月から9月にかけて、「五月革命」の若き闘士であったダニエル・コーン=ベンディットをスタッフ(脚本)に加えて、「マカロニ・ウエスタン」としてつくられた作品なのだが、ウエスタンどころか、とてもこれが映画とは思えないようなでたらめな作品だ。そのなかで、ゴダールは、かれが最も私淑していた映画作家エイゼンシュテインをののしり、自作の『中国女』について(※ 左翼学生を描きながらも、プチブル的に不徹底な作品だったと)「自己批判」を行ない、かつてかれ自身が発見し擁護してきた「シネマ・ヴェリテ」の虚偽を告発し、ついに、映画への愛をはぐくんでくれたハリウッドの最も代表的なジャンルとしての西部劇を罵倒し、否定するのである。要するにこれは、あらゆる「ブルジョワ的な表現と理念」の根底からの否定と廃棄、果てしない闘争の映画なのだ。さらには映画としてのよしあしの評をくだす批評すら、この革命的、というよりはむしろ暴力的な映画は、断固として拒絶しているかのようである。これはもう文化そのもの一一たとえばコミュニケーションをも含めて一一を否定してしまいかねない「出口なき」ラジカリズムだ。
事実、この映画には、映画そのものを破壊し、粉砕しようとする極度にアナーキーな志向がある。たとえば、ネガ・フィルムを故意にガリガリひっかいて傷つけ、映像を最も直接的に解体しようとしたりしているのである。しかし、映画を粉砕し、映画を壊滅した次元に、ゴダールは果たして何を求め、何を期待しているのだろうか。
映画『東風』には、映像というものがない。すくなくとも、そこでは映像は何かを語ることを拒否している。そして言葉が暴力的に氾濫している。そこでは言葉はコメントや対話ではなく、逆に、映像が言葉のイラストレーションでしかないのだ。
『東風』は、映画における映像表現の終末を告げる黙示録とも言うべきものである。「いまや闘争を準備することはすでに勝利である」とゴダールは叫ぶのだが!
(1968-69年、「共同通信」/「キネマ旬報」/「映画芸術」/「ユニフランス・フィルム」より) 』
(P 86〜87/原文の傍点部は、ゴシック表記に変えた)
商業主義映画に反旗を翻した「ヌーヴェルヴァーグ」に共感した者の一人として、商業主義に徹底抗戦を貫こうとするゴダールの姿勢には共感する。
だが、そんなゴダールの作る映画は、厳しく「商業主義的な妥協」を拒絶する、作家の美意識や思想を表現するための「芸術主義」的に先鋭なものとなり、もはや一介の映画マニアでしかなかった山田宏一の理解し得る「映画」の範疇を超えたものだったのだ。
つまり、私たちが当たり前に「映画」と考えているものは、一般的に「商業映画」なのだ。
私たちが「映画」と言う場合、そこには、マイナーな「芸術映画」や「前衛映画」や「プライベート映画」など含めてはいないし、それを頭の片隅にも置いてはいない。
だが、映画というものは、当初から「商業主義的」であった反面、当然のことながら「実験」的なものであり、「自由」なものでもあった。
だから、ゴダールとしては、その「表現の自由」にこだわったわけなのだが、実際問題として、作るのに金のかかる「映画で食っていくため」には、商業主義への妥協も止むを得なくなる。
トリュフォーが「商業映画」に寝返ったのも、結局は「好きな映画を撮って、それで食っていきたかった」からであり、そのために、せっかく手にした「映画作家としての地位」を捨てることなど出来なかったから、に他ならない。
これは、山田宏一とて同じことで、当初はゴダールに心酔していた山田が、ゴダールの「反資本主義」の先鋭化についていけなかなったのは、単純に、ゴダールの「前衛的な芸術映画」が理解できなかったからではなく、それを支持し続けることと、せっかく得た「映画評論家」の立場を両立させることが、きわめて困難だと感じたからであろう。
ゴダールの「前衛的な芸術映画」を理解し、支持することとは、とりも直さず「資本主義映画」の欺瞞性を批判することでもある。
だが、人々の目にとまる映画の「99%」が「商業映画」である以上、それを否定して「職業的映画評論家」を続けるのが困難だというのは、火を見るよりも明らかなことだったのだ。
無論、この困難を見事に克服して見せた映画評論家いる。一一蓮實重彦だ。
蓮實はもともとは「文芸評論家」としてデビューした人だから、山田宏一のように、わかりやすい「商業映画」しか論評できないというわけではなかった。
「映像のない映画」にまで突き進んだゴダールの前に、山田が手も足も出なかったのに対して、蓮實の場合は、もともと「映像」の無いところに映像を見せる「文学」を論評していたのだから、ゴダールの「映像のない映画」にも、十分対応し得たのである。
また、文芸評論家でもあれば大学教師でもあった蓮實重彦の場合、専業映画評論家にならなくても良かったので、メジャーな商業映画に「媚びる」必要も無かった。
だからこそ、メジャーな商業映画でも、自分が認める作家(映画監督)の作品は褒めても、認めない作家の作品は、それがいかに世間でもて囃されようと、各種の映画賞を受賞しようが、一顧だにすることなく、嘲笑することさえ出来たのである。
そんなわけで、映画評論家としては「凡庸」でしかなかった山田宏一は、ほとんど必然的に、ジャン=リュック・ゴダールを見限って、フランソワ・トリュフォーに接近することで、資本主義的な「フランス映画評論家」としての地位を確たるものにすることとなる。


しかし、それでも本書の表紙をゴダールが飾っているのは、やはりジャン=リュック・ゴダールこそが「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」の顔であり、その精神を貫いた人だったからだ。
山田宏一が、トリュフォーを批判して以降のゴダールを、身過ぎ世過ぎのために否定するようになるのも、それでも、自著のタイトルや表紙では、しばしばゴダールを前面に立てざるを得なかったという欺瞞も、すべては「資本主義」的な商業主義の故だったということである。
本書に収録された、後のインタビューなどでは山田は、「その後のゴダール作品」について、「理解不能」になったとか「ついていけなくなった」という謙虚で温厚そうな語り方をしているが、これは無論「謙虚に自分の限界を認めた」ということではなく、映画ファンの大半が、自分と同様に「ゴダールを理解できない」のだと見越した上での、そうした「世間=同類」への「商業主義主義的な目配せ」だったのである。
「私にはわかりません。けれども、あなただって本当はわからないんでしょう?」
と。

けれどもこれは、ある意味では、ユダヤ教の改革者であったイエスを、「キリスト(救済者)」だとさんざ持て囃したあげくに最後は見捨て、イエスが磔刑にされるのを、嘲笑を持って支持したユダヤ人たちのそれと、相似的なものだも言えるだろう。
イエスは、磔刑台の上から、こうした裏切り者たちを見ながら、それでも、
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、(※ 自分たちが)何をしているのか自分でわからないのです。」
(「ルカによる福音書」)
と言ったのだが、神ならぬ身のゴダールは、「裏切り者」たる彼らを、心から許せなくても、それはむしろ当然のことであろう。
だが、ゴダールが、いったんは映画界を去ったものの、のちに映画界に復帰したという事実は、単にゴダールの「商業主義への屈服・敗北」を意味するのではなく、むしろ「イエスの(肉体を伴っての)復活」と類比的のものなのではないだろうか。
実際、ゴダールは映画界に復帰した後も、決して当たり前の「商業主義映画」を撮ったわけではなく、相変わらず「難解」な映画を撮り続けた。
一時期の「前衛的表現」に振れ切ったものではないとしても、やはり当たり前の商業映画などではなかったからこそ、山田宏一は、復帰後のゴダール作品をまともに論評することが出来なかったのである。
本書、写真集『NOUVELLE VAGUE(ヌーヴェルヴァーグ)』は、山田宏一が、まだ「ゴダール信者」であり得た時代の形見であり、そしてまた、その後の背教者たる山田を生かし続けた「裏切りの遺産=ユダの金貨」だとも言えよう。
そして喩えて言うなら、本書は「ゴダールの聖骸布」なのだ。
つまり、そこに「真の信仰」など無くても、無知な信者を騙すための「資本主義的な道具(見せ物)」としては、十分な「ネタ」だった、ということである。
(2025年11月14日)
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