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手塚治虫総指揮・山本暎一監督 『千夜一夜物語』 : むかしむかしの物語

映画評:手塚治虫総指揮山本暎一監督『千夜一夜物語』(1969年)

本作『千夜一夜物語』は、私が7歳時の作品だから、無論、劇場では見たわけではない。しかも、本作は「大人向け」作品として作られ、公開されたものだから尚更である。

それでも、虫プロ制作の大人向けアニメーション「アニメラマ」三部作の他の2本『クレオパトラ』『哀しみのベラドンナなどとは違い、本作の場合は、テレビで二度ほど見たような記憶がある。たぶん「金曜ロードショー」などの映画番組枠で放送されたのであろう。
その際には、ベットシーンなどのエロテック描写は一部カットされていたはずだ。

Wikipediaによると、

『本作品は、当初2時間23分で完成したものの、映倫の指摘により2時間8分に短縮編集して公開されたという。 山本監督へのインタビューによると、カットされたのは
● バドリーと女性のSMプレイ
● 女護ヶ島の性交シークエンス
だというが、山本の記憶では15分ものカットを行った記憶はないとの事。また、カットされたシーンを復活させた事もないとの事なので、このバージョンを現在観る事は不可能である。』

(Wikipedia「千夜一夜物語」

とあって、私が今回DVDで見たのは「2時間8分」の劇場公開バージョンであり、同DVD所収のオーディオコメンタリー(1986年収録/山本暎一やなせたかし宮本貞雄富岡厚司)でも「バドリーと女性のSMプレイ」シーンはカットされていると言及されており、事実そのシーンは無かった。
したがって、DVDは「2時間8分」版であり、これを2時間枠のテレビ番組で流す際は、番組のオープニングとエンディング、15分ごとに流されたコマーシャルの分を削らなければならないので、オリジナルよりも20分くらいは短かったはずである。

ともあれ、「大人向け」ということで「期待して」見たわけだが、それほどエッチ(エロティック)だったという印象がないのは、カットのせいかも知れない。

(主人公アルディンと恋人ミリアム)

漠然と私の印象に残ったのは、「イマイチよくわからない作品」「あまり面白くなかった」というようなことだったろうか。
あとはマーディアという男まさりの女の子が、けっこう可哀想な役回りで、そこに妙に惹かれたことだったろうか。

(山賊の娘マーディア

今回は、本作『千夜一夜物語』以外、見たという記憶のない「アニメラマ」三部作を、大人になった今の目で、きちんと見てみようという思いつきから、3作パック版の中古DVDを購入して、古い順に、まずは『千夜一夜物語』を鑑賞したという次第である。

 ○ ○ ○

あらためて『千夜一夜物語』を見て思ったのは、やはり昔の印象と同じで、全体にまとまりのないインパクトな欠ける作品、ということであった。

無論、本作は、Wikipediaに『有名な一大説話集『千夜一夜物語』を自由奔放に翻案し、一人の冒険商人を中心とした一大叙事詩』とあるとおりで、もともとはまったく別物のエピソードを、一人の主人公アルディンシンドバッド)の冒険譚としてまとめたものであり、「起承転結」の明確な物語ではない。エピソードの連なりによって、その独自の世界観を立ち上げてゆくような作品であったのだ。また、そのために「まとまりに欠ける」という印象があったのかも知れない。

けれども、私が今回気づいたのは、本作に作品を貫く「個性」というほどのものが感じられなかったのは、監督を務めた山本暎一という人が、あまり自分を前面に出す人ではなく、スタッフの個性を生かす「まとめ役」タイプの人だったからではなかったか、ということである。

私にとっての山本暎一とは、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年・TVオリジナルシリーズ)の中心スタッフでありながら、何をやったのかが、長年よくわからないままの人であった。

『宇宙戦艦ヤマト』のオープニングを見ると、山本暎一の名は、タイトルの後、真っ先にテロップされる「企画原案」者として、プロデューサーの西崎義展と並んで登場し、その後に「監督」として、漫画家・松本零士の名前が来るという具合だった。

だがら、山本暎一『宇宙戦艦ヤマト』においては、かなり高い地位にいたというのは確かなはずなのだが、今のWikipediaを見ると、「原案」は西崎義展一人、「監督」は松本零士一人で、山本暎一の名は、藤川桂介田村丸と並んで「脚本」の項目に収められている。なお、アニメのオープニングでは、「脚本」は藤川桂介の名だけだった。

一般にテレビアニメのオープニングでは、メインスタッフ名だけを掲げ、各話のエンディングで、制作に従事したスタッフを網羅的に記す場合が多いし、特に昔のテレビアニメでは、スタッフ名を網羅的に記すということも少なかったように記憶する。

私が、現役のアニメファンであった1980年代中盤、たしか『アニメージュ』誌に、若いアニメーターの心象風景を叙情的に描いた、杉野昭夫の短編マンガが掲載された。
語り手である若いアニメーターの描いた絵が、他人の名前に代表されてテロップされることの悔しさみたいなことが、そこには描かれていたと記憶する。
この時、すでに杉野は人気アニメーターだったから、代表で名前がテロップされる側だったわけだが、杉野はテレビアニメというのは集団芸術であり、決して、監督や作画監督だけで作ったものではなく、名もない多くのスタッフに支えられて作られたものなのだと、そう語りたかったのであろうと、当時の私は理解した。

そこで、話を『宇宙戦艦ヤマト』に戻せば、『ヤマト』と言えば、誰が「原作者か?」つまり「著作権者」かということで裁判沙汰にも発展したとおりで、この作品の顔は、もっぱらプロデューサーの西崎義展と、「監督」という肩書きだった松本零士の二人で、この二人ばかりが、やたらに目立った。
逆に、そうした機会に、山本暎一の名が出ることは一度としてなかったのだ。

オープニングで、西崎義展と並んで「企画原案」者に名を連ねていたのだから、少しくらい名前が出ても良さそうなものなのに、そうした「私がヤマトの生みの親です」みたいなところにはまったく出てこないものだから、山本暎一は、ヤマトファンにとって影の薄い存在だったのである。

で、今回ひさしぶりに『千夜一夜物語』を見て、山本暎一が監督だったことに、初めて気がついた。
いや、それだけではなく、山本暎一が「アニメラマ」三部作すべてで「監督」をつとめており、要は、初めて劇場用アニメに乗り出した「虫プロ」にとって、山本暎一は中心的な「監督」役だったのだとわかったのである。

つまり山本暎一は、アニメ業界において、すでにそうした「実績のある人」だったのであり、そういう名のある人として、『宇宙戦艦ヤマト』でも、「原案」の一人としてテロップされたのではないだろうか。要は、作品の「箔付け」である。

無論、『宇宙戦艦ヤマト』はオリジナル作品であり、ゼロから作られた作品なのだから、西崎義展松本零士は無論、山本暎一をはじめ、スタッフがアイデアを出してあって作り上げていった作品なのだが、その中でも当時特に有力だったのは、金を押さえているプロデューサーの西崎義展であり、漫画家としてすでに一家をなしていた(キャラクター原案の)松本零士であり、そしてアニメ制作の現場を代表する人として、山本暎一の名が挙げられたと、そういうことだったのではないだろうか。

また、テレビシリーズの「総集編」だった劇場版『宇宙戦艦ヤマト』では、テレビシリーズでは「監修」の一人でしかなかった舛田利雄が「監督」となっていたのも、それは舛田が当時の日本を代表する実写の映画監督であったからではなかったか。
映画としての箔をつけるために、実写映画の方で有名だった舛田利雄の名を、実際の関わり以上に、大きく前面に出していたということではなかったかと推測されるのだ。

そんなわけで、のちに知られるように、『宇宙戦艦ヤマト』には、『機動戦士ガンダム』で知られるようになる富野喜幸(富野由悠季)安彦良和も、かなり深く関わっていながら、しかし「ヤマトブーム」の頃には、まったくその名があがらなかったという事実ひとつ見ても、少なくとも当時のアニメは、監督一人の個性で押すものばかりではなく、「みんなの力を結集して作る」というような作品も少なくなかったのではないだろうか。たしか、オープニングに、「監督」の表記が無かった作品も、ままあったように思う。

したがって、『千夜一夜物語』のコメンタリーでは、同作の作画について、作画監督を務めた宮本貞雄が、

「今でこそ、作画監督というのは、絵柄を統一するための、原画の修正屋みたいになっているけど、本来はそういうものではないんですよね。作画の方向性を示して、原画家陣を束ねる指揮官役が、作画監督の仕事だった」

と、大筋そのようなことを語っていたのだが、これはたぶん「監督」にも言えることではなかっただろうか。

つまり、今でこそ、富野由悠季にしろ、高畑勲宮崎駿、あるいは出崎統押井守がそうであったように、個人の個性を前面に出していくというのが日本のアニメの主流だけれども、少なくとも、日本のアニメの草創期には、「監督」というのは、しばしば「方向性を示した上で、全体を見て督促する、まとめ役」ということだったのではなかったろうか。
一一そして、山本暎一という人は、そういうタイプの監督だったのではなかったかと、そう推察されたのである。

実際、Wikipediaによると、山本暎一は、

『中学時代よりアニメーターを志し、高校卒業後に横山隆一が主宰するおとぎプロに入社した。1960年、手塚治虫がアニメ映画を作ろうとしていると知り、おとぎプロを退社して手塚を訪問。翌1961年に設立された虫プロダクションの創設メンバーのひとりとなる。
1962年の第1回虫プロダクション作品発表会で上映された同社最初のアニメーション作品『ある街角の物語』(芸術祭奨励賞、ブルーリボン教育文化映画賞受賞作)で、スタッフの中軸として活躍。以後、1973年の同社倒産まで、演出、作画、脚本、プロデューサーと、多岐にわたる業務をこなした。特に、「アニメラマ」と名づけられた日本ヘラルド映画配給の劇場用成人向けアニメ『千夜一夜物語』『クレオパトラ』、および同路線で文芸色が強い「アニメロマネスク」として制作された『哀しみのベラドンナ』で監督を務めたことが有名である(『クレオパトラ』は手塚治虫との共同監督)。』

(Wikipedia「山本暎一」

とあり、虫プロの「創立メンバー」であり、実質的には、虫プロのアニメ制作の現場を主導した人だった。
まただからこそ、「アニメラマ」三部作の監督という立場にもなったし、『宇宙戦艦ヤマト』でも、その名が大きく掲げられたのではなかったか。

実際『千夜一夜物語』は、次のようにして、基本的な構想が練り上げられていった。

『プロットは当初手塚が書いたものを、『太陽の王子 ホルスの大冒険』の脚本を同じ時期に書いていた深沢一夫と、東京演劇アンサンブルの熊井宏之が手直しをした。そうしてできた脚本に沿って手塚が絵コンテに書き起こした。その手塚の絵コンテに山本暎一がさらに手を入れて、それを元にしてストーリーボードが組み立てられた。』

(Wikipedia「千夜一夜物語」

そんなわけで、説話集『千夜一夜物語』を下敷きにしているとは言え、このアニメ版には、「原作者」というほどの人はいなかった。

また、作画に関しても、前述の通りで、宮本貞雄が作画監督だとは言え、作画に当たっては、キャラクター別にメインの原画家が設定されていた。

『作画監督の宮本貞雄は、キャラクターごとに担当を決め作画を担当させた。主人公アルディンや敵役のバドリーは宮本自身が、女性キャラは中村和子が、脇役の男性を波多正美が主に作画した。』

(Wikipedia「千夜一夜物語」

中村和子の原画によるアスラーンと、アルディンとミリアムの娘ジャリス。ジャリスは男装をしている)

また、本作のオープニングロールでは「美術」という肩書きになっている やなせたかしは、今なら「キャラクターデザイン」や「美術設定」などの「ビジュアルデザイン」を一手に引き受けた人であり、決して「(背景)美術監督」というわけではなかった。

(本作では、冨田勲の音楽が一番菅義偉らしかったかもしれない)

今でこそ『アンパンマン』で知られるやなせだが、当時は、絵本作家やイラストレーターとして知られた人であり、幼児向けの『アンパンマン』とは違って、けっこうバタくさくアダルトな画風の作家だったからこそ、本作の設定デザイナーとして、乞われて参加していたのである。

『美術とキャラクターデザインにやなせたかしを推薦したのは、当時虫プロから独立しアートフレッシュを設立していた杉井ギサブローである。杉井は本作のために原画として参加しており「大人のアニメ」であれば、「大人漫画」「ナンセンス漫画」で有名だったやなせがいいと、彼を引き入れたという。やなせは、背景美術の他にもストーリーボードの一部も描き、また一部はそのまま作品中にも流用されている。』

(Wikipedia「千夜一夜物語」

つまり、本作の場合、監督の山本暎一が、ワンマンで何でもかんでも決めたのではなく、制作現場の統括責任者として、個性的なスタッフたちの意見に耳を傾けて、その個性を生かすことで、作品を作ろうとした人なのではなかったのだろうか。

だから結果としては、絵柄的には個性的なわりに、作品全体としての統一的な個性を欠くことにもなってしまったのではないか。
パーツはそれぞれに面白いのに、全体としては、いささか個性を欠いて弱いという印象の作品になってしまったのではないだろうか。

したがって、本編をひさしぶりに鑑賞した結果としては「イマイチ」だったのだけれど、前述の4人(山本暎一やなせたかし宮本貞雄、富岡厚司)によるコメンタリーは、非常に興味深い内容のものであり、これを聴けただけでも、本作を見た甲斐があったと、個人的には満足をおぼえた。

例えば、『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『ベルサイユのバラ』『スペースコブラ』などで知られる出崎統が、本作では「構成助手」と「原画」として関わっている。

出﨑統のほか、北野英明平田敏夫月岡貞夫村野守美波多正美など錚々たる面子)

「構成助手」というのは、たぶん演出的な才能あるアニメーターとして「イメージボード」の段階からで関わったということだろう。
原画家としては、主人公のアルディンが、宿敵バドリーを殺そうとするシーンを担当したようで、コメンタリーで「ここは出崎ちゃんがやったとこだよね。『あしたのジョー』とかの、出崎ちゃんらしさがある」というような指摘がなされており、そう言われてみれば、確かにそんなふうに見えた。
ともあれ、原画家時代の出崎統の仕事を、そうとわかって動く絵で見られたのは、ファンとして、とてもうれしかった。

また、最終盤のバベルの塔の崩壊シーンパイロットフィルムの段階で完成していた見せ場シーンひとつ)について、たぶん作画監督の宮本貞雄が「ここは金山くんがやってたよな。金山明博くん」というような指摘をしていた。
人物のアップがないシーンのため、特に個性的な作画だとも思えなかったのだが、のちの日本サンライズの、長浜忠夫監督による超電磁マシーン ボルテスV『闘将ダイモス』などの作品で「悪役美形キャラ」を描いて一世を風靡した頃の金山明博を知っている者には、「ああ、この頃すでに金山さんはメインの原画家だったのか」などと、懐かしさの中にも、新たな発見があった。

『1965年に手塚治虫虫プロダクションへ入社して、(※ 漫画家から)アニメーターへ転身した。
テレビアニメ『ジャングル大帝』第3話の動画からキャリアをスタートさせ、同作で原画に昇格。1968年の『わんぱく探偵団』で初作画監督。以後、1973年に『ワンサくん』で虫プロが倒産するまで、作画スタッフとして虫プロを支えた。特に杉野昭夫荒木伸吾との3人でパイロット版から参加した『あしたのジョー』はテレビ放映後も共同で作画監督を務めてとりわけ印象深いという作品だと言う。
虫プロ倒産後は、フリーで和光プロタツノコプロで『新造人間キャシャーン』、エイケンで『冒険コロボックル』の原画を描いていたが、注目を浴びるようになったのは、虫プロ出身者で結成された日本サンライズ(現・サンライズ)での仕事である。1976年から始まった長浜忠夫監督の巨大ロボットもの『超電磁ロボ コン・バトラーV』『超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』は「長浜3部作」とも呼ばれる人気作で、キャラクターデザインや総作画監督の役職を11年務めて作画の中心的役割を果たし、一躍人気アニメーターに祭り上げられる。』

(※ Wikipedia「金山明博」

(私の記憶している名前では、進藤満尾佐々門信芳の名が見える)

また、同コメンタリーでは、出崎統金山明博の流れから、「杉野くん、杉野昭夫くんも、後から参加したよね。本社の第二陣だったかな」というような指摘がなされていたが、これは次のような事情だったようだ。

『このような複雑な製作過程を辿ったこと、漫画で多忙な手塚の絵コンテが遅延しがちであったことから、それに続く作画の過程に大幅な遅れを招き、製作の終盤には虫プロスタッフ全員が参加して(もちろん手塚自身も)不眠不休の製作現場となった。また外部の中小アニメ制作会社20社に外注が出された。』

(Wikipedia「千夜一夜物語」

さらに、最後の「外注スタッフ」の中には、なんと、かの大塚康生もいた。

大塚康生と言えば、東映動画の生え抜きであり、高畑勲宮崎駿と組んだ仕事が有名で、「虫プロ」「動かないアニメ」に批判的だったことでも知られている。
だから、まさか、虫プロの作品に関わっていたとは思わなかったのだが、これは当時は、極秘の内職仕事で名前は伏せられていたためであったようだ。「今はもう時効だから」ということで、このコメンタリーでバラされていたのである。

ちなみに、大塚康生が原画を担当したのは、魔法の船のおかげで大金持ちの商人シンドバッドとしてバグダッドに戻ってきたアルディンが、国王の地位を賭けて、現バグダッド国王に「宝物比べ対決」を挑んだ際、アルディンの乗る名馬とバドリーの乗る魔法の木馬との競争シーンで、いかにも「乗り物」好きの大塚康生が担当しそうなシーンであった。

(富豪シンドバッドとなって帰還したアルディンに気づかないバドリー)

あと、つけ加えるなら本作の主題歌を歌っているのは、大塚康生が作画監督をつとめた『ルパン三世』(第一シリーズ)の主題歌を歌った、チャーリー・コーセイである

ほかに作画的に注目されるのは、手塚治虫が担当した「変身(メタモルフォーゼ)シーン」

女護島に登場する裸の美女群の長の女が、その正体である蛇の姿を表すシーンや、愛嬌のある魔物のジニーが、美青年アスラーンの役に立とうと、馬に変身するシーンなどである。

これが、どちらもとにかくエロティックで、手塚治虫は、今で言う「ケモ」(半人半獣)のエロスに惹かれたところがあり、『バンパイヤ』『ふしぎなメルモ』などにも見られる「変身」のモチーフが、根っから好きだったというのが窺え、とても興味深かった。

また後には、あだち充原作の青春野球アニメ『タッチ』や、宮沢賢治原作、ますむらひろし原案の『銀河鉄道の夜』などの監督として名をあげる杉井ギサブローの原画担当シーンが、実に個性的で興味深かった。
まず、「アリババと40人の盗賊」を下敷きにしたのであろう、洞窟の中での盗賊たちの宴会シーンは、マンガ的に誇張された絵柄ではあるものの、かなりサイケデリックに色と形がぐにゃぐにゃと変形する特異なもので、コメンタリーでは、杉井が虫プロを出てアートフレッシュを設立した当時の監督作品『悟空の大冒険』での誇張表現との共通性が指摘されている。

また、女護島でのエロティックシーンに挿入される、海外でも特に評判が高かったというイメージ表現シーンは、なんと「球体関節人形」で知られるハンス・ベルメールを参考にしたものであった。頭部以外の女性の身体パーツが複雑に接合されて、ぐねぐねと変形しながら蠢くという、さながら「動くハンス・ベルメール」だったのである。
このシーンについては、宮本貞雄山本暎一が、「杉井ギサブローというと、今では『タッチ』『銀河鉄道の夜』の監督のイメージが強いけれど、それとは違って、アニメーターとしての彼は、独特のエロティックな感性があったんだけど、そういうところ(ギャップ)も、表現者の面白いところですね」というような、興味深い指摘がなされていた。

このように、本編を普通に流して見ていただけではわからない魅力が、歴史的な作品としての本作には秘められていた

私が中高生時代にスターだったアニメーターや、すでに「監督」になっていた人たちが、この頃にはまだ、若手ばかりの中の才能ある若手として、バリバリと活躍していたのだ。

それが今となっては「あの人たちにも、そんな時代があったんだな」と、そう思う反面、しかしこれは、今や還暦を過ぎた私だから、そこに「大きな時間差」を感じるだけであって、私が幼い頃に見た「虫プロ」の作品と、中高生時代に見たアニメとでは、実のところ、十数年ほどの開きしかないのである。

私の感覚としては、中高生の頃に見たアニメが「中心(標準点)」であり、そこから「昔の作品」と「今どきの作品」という具合に「主観的」に区別されるのだが、「今どきの作品」が、私の中高生時代からは数十年後のものであるのに対して、「昔の作品」とは、中高生時代に見た作品と十数年しか開きがないのだ。

そのように考えると、アニメの技術がどんどん進化しているのは当然だと思えるのと同時に、こうした時間的な錯覚は、人が生きていく上で感じる「時間感覚の変化」なのだということがわかる。

よく言われるように「子供の頃の時間はゆっくりと流れるが、それが歳をとると、あっという間に流れてしまう」。

たしかにそういうものなのだ。
老人が、懐旧の念にとらわれがちなのを、若者たちは「後ろ向き」だと馬鹿にしがちなのだが、しかし、なぜそうなるのか言えば、それは昔の物が懐かしいというだけではなく、あの「ゆっくりと流れていた、豊かな時間」というものが愛おしい、ということもあるのではないだろうか。

(2025年12月14日)


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