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高畑京一郎 『タイム・リープ あしたはきのう』 : 初期エラリー・クイーン的タイムトラベルSF

書評:高畑京一郎『タイム・リープ あしたはきのう』(電撃文庫メディアワークス文庫

ずいぶん昔に「すごい傑作だ」という評判を耳にして読もうと思い、どうせ読むならと、初版初刷完本を手に入れたことがある。
当時は初版本コレクターだったので、評判だからといって飛びつかず、初版本を手に入れてから読めばいいやと考えたのだ。そうすれば、読んで実際にそれほどの作品であった場合、改めてコレクション用の初版本を探さなくて済むからである。

だが、初版本を手に入れてしまうと、いつでも読めるという安心感から、結局はいつものパターンで積読の山に埋もれさせてしまい、発掘不可能にしてしまった。
そしてそれからでも、すでに幾星霜の時が流れてしまったのだ。

(本書の初版。高畑京一郎は第1作『クリス・クロス 混沌の魔王』で第1回電撃ゲーム小説賞(現在の、電撃小説賞)の「金賞」を受けている。なお、金賞の上には「大賞」がある)

だから、そのままだったら、死ぬまで読まなかった作品だったろう。
ところが、先日読んだ、伴名練の新作長編『百年文通』の巻末に付録されていた「オススメの傑作タイムトラベルSF」リストに本作が紹介されていた。それで「ああ、あれ読まなかったなあ。この機会に読むか」となったのである。

つまり本作は、一時の人気に止まらない、評価の定まった作品。もはや日本のタイムトラベルSFの「古典」と呼んでも良い作品なのである。
だから、合う合わないは別にして、読んでおくだけの価値はある作品なのだ。

一一で、実際に読んでみて、どうであったか?

もちろん、こんな前振りをしてるんだから、私には「合わなかった」のだ。

タイムトラベルSFとしては、確かにとてもよく出来ている。けれども、小説の部分が弱いのだ。
と言うか、絵に描いたようなジュブナイル小説で、読んでいるこちらが気恥ずかしくなるような、紋切り型の人物造形なのである。

いかにもなヒロインに、彼女を助けてくれるいかにもなヒーロー、彼とはタイプが真逆な、でもめちゃくちゃいいやつの親友。一一といった具合で、登場人物については、すべてが完全に「いかにも」なのである。

ヒロインなんかは、それこそ寝坊して学校に遅刻しそうだと、トーストを口に咥えたまま走りそうなタイプ。
まあ、それはしないけれど、階段から落ちる癖がある! そんなもん、ただじゃ済まんだろと思うのだが、ただで済んでしまうのは、リアリティに欠けるご都合主義でしかない。
アニメ版『時をかける少女』細田守監督)の、ゴロゴロと前方回転くらいなら認められるが、階段を滑り落ちるのは(さすがに転がり落ちはしない)、無理筋なのである。

まあ、こういうのは十代に読めばさほど抵抗もないのだろうが、今どきのラノベは、私が読んでも抵抗がない程度の人物描写はしているので、本作にもそれくらいの人物描写はして欲しかった。
これでは、まんま「昭和のジュブナイル小説」なのだ。

で、書き遅れてしまったが、本作の初版刊行は1995年である。だから、無論作者は完璧に昭和の人だし、作品世界が昭和っぽいのも仕方がない。

しかし、同じ昭和生まれでも、作者よりも年上の私が「これを今の若者が読んで、抵抗を感じないのだろうか?」と心配になるようでは、やはりまずいと思う。

私が読んだのは、旧版の電撃文庫版で、今は新装版のメディアワークス文庫版になっていて、装画も今風になってはいるのだが、装画さえ変えれば良いというものではないだろう。

まあ、電撃版の衣笠遊という人のイラストは、私のような昭和の年寄りには、「お主、美樹本晴彦の影響を受けておろう?」というツッコミをさせてくれるくらいに懐かしくてありがたい画風なのだが、今の若い衆にとっては、きっと、もう古い絵柄なのだろう。だから、装画を変えるのは良いのだが、やはり中身の描写の古くささが問題なのだ。

さて、このようにさんざ貶しておいて何なのだが、本作はタイムトラベルSFとしては、とてもよく出来ている
何がよく出来ているのかというと「時間パズル」として、論理的によく出来ているのだ。

普通、タイムトラベルSFというのは、タイムトラベルが発生する擬似科学的な説明の面白さとか、タイムトラベルによって起こる想定外の危機とその解決とか、時に隔てられたた想いの切なさとか、まあ、だいたいそんなところで楽しませる作品が多いのだが、本作は、そういうよくある「文系」的なタイムトラベルSFではなく、あくまでも、論理パズル的によく出来た、緻密に練り上げられた「理系」の作品なのである。

本作のヒロイン自身は、我が身に起こったその不可解な状況が理解不能なのだが、彼女を救ってくれるクラスメートの男子は、その明晰な頭脳によって、彼女に降りかかったタイムトラベル現象の法則性を見つけ、その意味を正しく理解して、その法則性に沿って、この不可思議な事態を、論理的に、解決に導いてくれるのである。

つまり、本作は、タイムトラベルSFだとは言っても、作りとしては「本格ミステリ」的なのだ。
一見デタラメに発生しているかのようにしか見えない現象(事件)の中に、一貫した法則性を見つけ、そして、その法則性に沿うことで、事態を本来落ち着くべきところに落ち着かせてしまう。
ヒロインを救うそんな本作のヒーローは、まさに「名探偵」タイプなのである。

(本格ミステリ作家 米澤穂信の、「名作ミステリ」「パズル」「構造美」という言葉による本作への絶賛は、初期エラリー・クイーン的に読者に対してフェアな、その「論理パズル」性を語るもの)

だが、本作における「時間パズル」は、論理的ではあっても、決して単純なものではない。
だから、ヒロインに解けないのも無理はないし、名探偵役の男子が、それを彼女に説明しても、それでもヒロインには十分に理解することはできない。
なにしろ、読者である私でさえ、この理系的に理詰めの説明には、途中からついていくのが面倒になってしまう。図説されてさえ、よくわからないほどなのだ。

しかしながら、そんな中盤の「理詰めの面白さ」だけではなく、終盤には物語的な盛り上がりもある。
まあ、そのあたりに若干の(心理的な)無理はあるのだが、本作の性格からすれば、それは仕方のないことなのであろう。

本作は「登場人物はありきたりだけれど、メイントリックは前代未聞の傑作」というような傑作ミステリ小説に対応するような、タイムトラベルSFだと考えて貰えばいい。

感動しようとか、キャラクターに萌えようとか、そんなことを求めてはならない
あくまでも、こんなに複雑な「時間パズル」をよくも考えだしたものだと、そこに感心すべき作品なのである。

ただ、私の場合は、梶尾真治「美亜に贈る真珠」とか『クロノス・ジョウンターの伝説とかが好きなロマン派なので、本作が性に合わなかったのだ。
同様、ミステリ小説においても、エラリー・クイーンの「国名シリーズ」的な緻密なロジック一辺倒よりも、あっと驚くどんでん返しが好きなタイプなので、クイーン的に緻密な本作には、ついていけなかっただけなのである。

したがって「私は、複雑なパズルが好きだよ」という人は、ぜひ本作に挑戦してほしい。
本作は、ここまで書いても、決してネタバレにはならない作りの傑作なのである。


(2025年12月15日)

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