「悟りは一般化し、人類は進化する②」ソクラテスの「無知の知」の先に「悟り」はある
最初のいくつかの記事は抽象的で難しいですが、大切な土台の部分です。できるだけ辛抱して読んでもらえたら有り難いです。
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前回までの話
前回、無限の空間と無限の時間を持つ精神(神)が存在すると言いました。その精神(神)の内部に物質的な宇宙が生じると言いました。物質的な宇宙の中で神(無限の精神)が「愛の実践のドラマ」を起こすと言いました。

神による「愛の実践」の例として、物理的な自然の中に生じる雪の結晶、ジャングルの中に生じる生態系、種子植物の花の開花、を挙(あ)げました。

この記事では、「人間が行う愛の実践」について話します。次回の記事では、さらなる進化の先の「悟りを開いた者の愛の実践」について話します。

人間の愛の実践
人間の愛の実践、調和の実現はもちろん自我を放棄することです。心を虚ろにして他者を受け入れる事です。現状の自我を超えて新たに目の前の他者を包摂(ほうせつ)した者になる事です。自分の心を外へ外へと開いていくことです。

そこでは人の精神と人の精神は統合されていきます。それは神に近づくことでもあります。
人間の愛の実践にはいろいろな具体例を挙げる事ができると思います。キリスト教とか仏教などの世界宗教について言えばいいのかもしれませんし、あらゆるコンテンツは愛の実践になっているかどうかで評価することもできます。
ですがここでは古代ギリシャのソクラテスが言った「無知の知」を例に挙げます。自分の考えに照らせばソクラテスのやったことも愛の実践です。「無知の知」を備えた人は愛の実践者です。

「無知の知」の獲得
「無知の知」という言葉は誰でも知っていると思います。どうしたら自分の無知を知る事ができるか考えてみます。
無知を知るためには「他者」が必要になると思います。ここでは、自分と異質でコントロールできない者、という意味での他者概念について述べています。
例えば、自分と異質な他者が多くいる中に入った時、新しい視点から物事を見ることを強いられ、目が開き、自分は何も知らないと謙虚にさせられます。その人の心は虚(うつ)ろになり、他者を受け入れるスペースができます。

逆に自分と同質のものの中に安住していては「無知の知」は得られません。井の中の蛙(かわず)になるだけです。自分の現状の自我や内面、つまり思い込み、が強化されるだけで傲慢さへと向かいます。その人の心は、今までに獲得した知識、経験、経歴、実績などでいっぱいになり、本当に新しいものは入って来なくなります。

他者や思いがけない事との出会いを重ねれば、未知の「他者」や「精神の外部」がある事を十分に想定するようになります。そうして「無知の知」を備えた者になります。謙虚で、虚ろな心は維持されるようになります。

「無知の知」を獲得した人は外部へ向かう、神(無限の外部)に向かう
さらに「無知の知」を備えた人は他者や外部への興味や好奇心を持った者、フィロソファー(知を愛する人)になります。虚ろな心は、新しい視点を得る喜びに目覚めます。結果的に、他者や外部へ向かう愛の実践者となります。現状の自我を常に放棄していく者になります。

他者や外部は限りがない程あります。ソクラテスは全てを知るために、また、全ての人の視点を取り入れるために、アゴラ(公共広場)で問答を行いました。そうして普遍知(真理)を求め続けました。

けれど全てを知ることは不可能ですし、無限の外部として神がいるので一生かけても普遍知に至る事はありません。神しか普遍知を知るものはありません。

神との差は無限に広いので誰でもソクラテスであっても無知であることには変わりはありません。けれど神に少しでも近づくために全てを知るように努める必要があります。ソクラテスがやろうとしたのは神に近づくことです。
私たちは無限の外部である神の存在にも気づかなくてはいけません。「無知の知」の獲得は、神(無限の外部)に気づく事によって最も正しく実現します。

ソクラテスのように神と向き合い、無知を自覚した人は愛の実践者です。彼らは現状の自分を守る事はありません。常に自分を超えて、外部や他者へと向かいます。愛の実践者によって自分の言う調和が実現され、人の精神と精神は統合されていきます。

そのような調和に至る前には、自我を捨てて他者を受け入れるという困難や試練が立ちはだかります。不調和を越えて調和へと至るその過程は、神が起こす愛の実践のドラマです。
最後に
悟っていない段階の私たちは、自分の言う「人間の愛の実践」をしなくてはいけないと思います。現状の自我を守ろうとしたり、ナルシシズムに陥らず、自分の心を外へ外へと開いていくことが必要です。コントロールできない他者や外部を常に受け入れていくべきだと思います。

「人間の愛の実践」は、当noteのテーマである「自分を超えて、外部へ向かう」という事とイコールです。現状の自分を超えて、外部へ、他者へ向かうのが、愛の実践です。その例は「無知の知」以外にもたくさんあります。今後、書いていくかもしれません。

外部や他者へと向かう先に「悟り」があります。その事については、次回詳しく言います。次回の記事では、さらなる進化の先の「悟りを開いた者の愛の実践」についてシシ神を例にして話します。リンクはこちらです。
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