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「悟りは一般化し、人類は進化する③(完結)」もののけ姫考察/アシタカが森へ来たのはシシ神のシナリオ通り

最初のいくつかの記事は抽象的で難しいですが、大切な土台の部分です。できるだけ辛抱して読んでもらえたら有り難いです。

①と②へのリンクはこちらです。


今までの話

前回までの記事では、無限の精神(神)が、物質の中で行う愛の実践について話しました。具体例として雪の結晶、花の開花、ジャングルの生態系、人間の行う愛の実践(無知の知)について述べました。

この記事では人間の次に来る進化である「悟りを開いた者の愛の実践」について述べます。具体例としては「もののけ姫」という映画に出てくる「シシ神」について述べます。

普通の人間から悟った存在へ

人はどのように悟りへ至るか

前回述べたように自分の精神を外へ外へと開いていき、他者や外部を受け入れていけば神に近づく事になります。

調和を望み、また、自己利益やナルシシズムを満たす事だけでは満足しない者は、苦しみを乗り越え他者を受け入れます。

そのたびに、無限の外部である神と一体化するような素晴らしい経験をします。神との一体化の経験を繰り返せば、一体化が通常の状態になります。それが悟りの状態です。

悟った存在はどのような状態にいるか

無限の精神である神との一体化が普通の状態になれば、物質としてのその人は重要でなくなっていき、付け足しのようなものになります。

物質的な自分の体の維持への関心が薄れ、より精神的な存在になっていきます。それが悟った者のあり方です。

悟った者と普通の人の違いは、普通の人は、苦しみを乗り越え他者や外部を受け入れた時だけ神との一体化が実現しますが、悟った者は、神との一体化の状態がデフォルトです。

悟った存在とは?

悟った存在は何をするか

悟った者は無限の神の性質をかなり多く持つことになります。愛と調和という性質です。

けれどそのような神的な悟った存在と言えども無限ではありません。その外部や他者も存在します。無限の神は、神的な悟った存在やその外部をも調和で包み込みます。そこでも悟った存在に愛の実践のドラマを演じさせます。

悟った存在の精神とその外部にある精神は、いくらかの不調和を乗り越えて調和に至り統合されていくことになります。愛の実践のドラマが起こります。具体例は、後でシシ神の例を挙げます。

悟った存在は宇宙に何を起こすか

悟った者の愛の実践が広がれば広がる程、そのような精神の統合は促進され、地球どころか宇宙が1つの精神になるまで続いていきます。

宇宙が1つの精神になり調和に至った時、そこで無限の神は完全に満足し、宇宙は終わるのか、もしくはその先にさらなる進化があるのかは分かりません。人知を超えた神秘です。

悟った存在の例、シシ神

悟った存在はどうあるべきか

悟った存在が他の精神と統合する際には無限の神との一体化の状態を十分に維持することが大切です。相手の邪悪さなどの影響で自己保存や自己利益に堕落しないようにしなくてはいけません。むしろ一見不利益なことを選択すべき時もあります。

そのように物質をのけて精神的な存在であり続ける必要があります。そうすれば、精神と精神は統合し調和に至ります。

シシ神は森で何をしているか

以上のような事は宮崎駿の「もののけ姫」という映画に登場するシシ神が行い、実践しています。シシ神の森でシシ神は一体何をしているのでしょうか。

シシ神は他者を受け入れ愛するか、あるいは憎み分断するかという選択を迫られ、常に愛を選択するという事をやり続けています。愛する事によって神との一体化を維持し、心の虚ろな精神的な存在であり続けています。

哀れな挿し木に接吻をし、愛する事によって枯れさせてやり生命を終わらせます。タタリ神に変貌したオッコト主に接吻し愛す事によって生命を終わらせます。逆にアシタカの傷口に口づけする事によって傷を治しました。

シシ神は森をどう支配しているか

シシ神は映画の中では生命を与え奪うものとされています。生命を与えるのも奪うのも愛する事によってなされています。

愛される事によって生命は促進され燃え立ちます。その結果、憎しみを持つ者は滅び、愛を持つ者はその本性が顕現(けんげん)され燃え立ちます。愛や調和を求める側のアシタカの傷が治ったのは、シシ神により生命を燃焼させられ、物質的な肉体の時間が速められたためだと思います。

シシ神視点の「もののけ姫」の物語

シシ神の森はどうやって創られたか

シシ神はそのように憎しみで分断する事なく、不断に愛し受け入れ統合することによって、シシ神の森を創り上げました。

シシ神の森はシシ神のアウラ(オーラ)、つまり精神、が充満しています。シシ神は森の精とも言われ、英語ではフォレストスピリットと呼ばれています。要するにシシ神は、シシ神の森の精神であり、その中で各種の動物や植物が美しく栄えています。動物たちは大きく美しく賢く暮らしていました。美しい調和がありました。

シシ神は他者(人間)とどう向き合ったか

しかしそこに、人間という外部であり他者が現れました。エボシを中心とするタタラ場の人間たちです。エボシは森との調和でなく征服を望みました。人間の影響でシシ神の森は弱体化させられ、動物たちは愚かになり始めました。

けれど、シシ神の行う事は不断に愛し、調和を実現するということだけです。そうすることによって人間との調和も実現させようとしました。

シシ神はどうやってアシタカを呼び寄せたか

不断に愛を選択するという事をやっていけば、自然と周りの環境が美しく調和するように事が運ばれていきます。例えば、人間と森の調停者であるアシタカをシシ神の森へ召喚したのも、シシ神自身だと言えると思います。

ナゴの守が人間の火縄銃で撃たれるのも、その後アシタカの所まで行って右腕に呪いをかけるのも、結果的にアシタカがシシ神の森へ来るのも、シシ神は予期していたと思います。

あるいは不断に愛を選択することによって、アシタカと似たような森と人間の調停者が現れるという予感はあったと思います。

要するに繰り返しますが、憎しみをのけて愛を選択し他者を受け入れていれば、そのようなアウラ(オーラ)が充満して周りの環境が美しく調和する方向へ自然と進んでいきます。その流れの中でアシタカがシシ神の森へやって来ました。

シシ神が憎しみを選択するとどうなるか

それにも関わらず、不断に愛を選択するというシシ神の試みもエボシによって挫折させられます。エボシの邪悪さによってシシ神の首は断たれることになります。エボシの撃った弾でシシ神の首はとられました。

首のとれたシシ神の姿は、悟った者が自己保存へと堕落した姿です。腐敗、腐臭を撒き散らします。森もタタラ場も崩壊しました。

不調和から調和へ

その大混乱もアシタカの尽力によって鎮められました。巨人となったシシ神はタタラ場に倒れこみ融合しました。森とタタラ場には新しい芽が吹き、人間と森の調和も一応は果たされました。

エボシも反省して今度はもっと良い国を作ろうと言っていたので、シシ神が試みた人間と森の調和、統合もとりあえずはなされたと見ていいと思います。

最後に

この記事のまとめ

この記事では悟った者の愛の実践について述べました。悟った存在(シシ神)は憎しみをのけて不断に愛を選択しました。無限の精神である神との一体化を維持することによって、その外部(人間)との調和を実現しました。不調和を乗り越え調和を実現するという愛の実践のドラマが演じられました。

実際の現実ではどうするべきか

悟りが一般化、大衆化したその時には、一人一人が神として扱われる程の影響力を持つかは分かりません。シシ神のように森を一つの精神にさせ調和させるという事はないかもしれません。

けれど憎しみでなく愛を選択することによって精神的な存在であり続け、精神の統合、調和を推し進めていくという事はやっていくと思います。そこはシシ神と変わりはないと思います。

そうする事でより良い世界になると思います。AIで世界が滅ぶのを阻止するためには、人々が悟りを開く事が必要だと思います。

最後に

次回以降の記事では、私たち普通の人間がどうやって外部や他者へ向き合い悟りへと至ることができるのかや、私たちが死んだ後にどうなるかや、ナルシシズムや自己利益、自己保存にとらわれている段階の人間の愛の実践、などについて述べようと思っています。ですが、よく分かりません。

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