カラマーゾフはニケ的?欠損の美に思う「カラマーゾフを読む」⑵
カラマーゾフはニケ的?欠損の美に思う「カラマーゾフを読む」⑵
初めて『カラマーゾフ』を読んだ人がいきなり躓くであろう冒頭の「作者の言葉」。
たしかにこれは実にまどろっこしいです。「ドストエフスキーは一体何を言いたいのか!?本編はまだなのか!?」と不安に思う方も多いかと思います。
ですがこうしたまどろっこしい始まりというのは、当時の小説ではよくあるものでした。さらに昔の『ドン・キホーテ』になるともっと大変なことになっています。あの冒頭で挫折した人は数知れぬほどいるのではないでしょうか。
現代のタイパタイパの時代では冒頭が面白くなければ即刻アウト。本編も早送り並みのスピード感がなければこれもアウト。何もかもわかりやすくないと読む価値なし。そんな時代にこの冒頭の「作者の言葉」はあまりに厳しすぎます。
しかし、たった数ページのこの「作者の言葉」を乗り切ればその後は極上の小説が待っているわけです。ここであきらめるのは実にもったいない。
なのでこの冒頭の言葉は軽く流し読みして次に行ってしまいましょう。長編小説を読むコツはこうして思い切って流し読みしてしまうことです。全て完璧に読み込もうとするとたいてい挫折します。なのでここは特に深く考えずに流すのが吉です。まずはこの極上の小説を最後まで楽しむんだという大きな気持ちを持つことです。
もちろん、この「作者の言葉」にも重要なポイントは多々あります。
ドストエフスキーがわざわざこれを小説の冒頭に置いたということはそれなりの意図があってのことです。
特に、この小説が次の小説の前史になるという言葉は重要です。ここで『カラマーゾフ』が二部構成になるとドストエフスキーは暗示しています。そしてここに主人公のアリョーシャがこれからどうなるか期待してほしいという著者の願いも込められています。
残念ながらドストエフスキーはこの第一部を書き終えて間もなく亡くなってしまったので続編は書かれることはありませんでしたが、むしろそのことによって読者は永遠にその失われた続編を想像することができるようになりました。
まさに欠損の美です。
欠損の美と言いますと。私はルーブル美術館の至宝『サモトラケのニケ』を連想してしまいます。

失われているからこそ美しい。
想像の余地があることでかえって残された部分の美しさが際立つ。
これぞ欠損の美です。
『カラマーゾフ』もまさにそんな欠損の美が備わった作品です。
『カラマーゾフ』はこれまで実に多様な読み方がなされてきましたがこれも欠損による想像の余地の賜物です。
もしドストエフスキーがこの「作者の言葉」を書いていなかったら世界の歴史はかなり変わっていたことでしょう。
そういう意味で、実はこの「作者の言葉」は重要なものであったのです。
ですがまあ、初めて読む方、特にドストエフスキー作品を初めて読む方にとってはそんなことよりまずは小説そのものを楽しみたいというのが本音だと思います。私もまずはこの小説を楽しむこと、奥深さを味わうことこそ第一だと考えています。
そこから先は興味のある方が各々沼にはまっていけばよいこと・・・。
というわけで、『カラマーゾフ』に苦戦しそうな方はまずはあまり深く考えず本編に進んでしまいましょう。わからないことはわからなくても全然OKです。
気楽に気楽に。これが長編小説のコツです。そうしていればいつの間にかその物語の面白さに引き込まれることになります。そうすればしめたもの!あとはもう一気に読めてしまいます。
では、いよいよ次の記事から小説の本編に入っていくことにしましょう。
続く
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以下の記事ではドストエフスキー小説をもっと楽しむためのおすすめの解説書をまとめています。ぜひこちらもご参照ください。
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