【いま、ここ】 音楽は… 『時間の芸術』
絵画や彫刻は空間的だが、音楽は“時間の経過”によってでしか体験できない。
音楽を聴く時は、
多くの音符♪が次々に流れては消えていく…
それでも私達は、その連なりが
ひとつの“メロディ”となる。
今、ここ。
音を聴く瞬間。
人は未来や過去ではなく、“現在”に引き戻される…
昔、noteでつぶやいたものです。
久々に読んで…思い出しました。
ホモサピエンスは、本当におもしろいのです。
『音楽は時間の芸術』
音楽は素晴らしいということ。
(坂本龍一さんは、「音楽は自然の一部だ」と言ってたな…🤔)
そして…
他の生き物ではなく、それを感じることができる、
「今、私は“ホモサピエンス”であること」を、全力でおもしろがりたいなと思いました。(次、虫で生まれたら、虫を! 笑)
↓以下はAIさんに深掘りしてもらいました。
「音楽とは、消えゆく時間を愛でる『時間の芸術』である」
消えゆくからこそ美しい、
「時間の芸術」という逆説
絵画や彫刻は、完成されたその瞬間に「全て」がそこに存在します。
私たちは視線を自由に動かし、全体像を把握し、細部へと目を凝らすことができます。
それは空間に定着された、ある種の「永遠」です。
しかし、音楽は違います。
最初の音が鳴った瞬間、その音はすでに過去へと消え去る運命にあります。
ベートーヴェンの交響曲であれ、即興のジャズであれ、その全貌を一度に「見る」ことは誰にもできません。
私たちは、常に「今、鳴っている音」としか出会えないのです。
それなのに、なぜ私たちはそこに「メロディ」を感じ、「構造」を見出すのでしょうか。
ここに、人間の意識の神秘があります。
私たちの脳は、物理的には消えてしまった直前の音を「残像(記憶)」として保持し、それを今鳴っている音と重ね合わせ、さらには次に来るであろう音を「予感(期待)」しています。
過去の記憶、現在の知覚、未来への期待。
この三つを、今のこの瞬間に脳内で縫い合わせることで初めて、単なる空気の振動が「音楽」へと昇華されるのです。
つまり、音楽を聴くという行為は、「失われていく過去」と「まだ見ぬ未来」を、「今、ここ」で統合し続ける、能動的な創造プロセスそのものだと言えます。
現代人はとかく、過ぎ去った過去に後悔し、不確定な未来に不安を抱きがちです。心が「今」にない状態、いわゆるマインドワンダリング(心の迷走)の中に生きています。
しかし、音楽に没入している時、私たちは強制的に「現在」へと引き戻されます。
次々に流れては消える音の連なりを逃すまいと、意識を集中させる時。
私たちは過去の呪縛からも、未来の重圧からも解放され、純粋な「今」の連続性の中だけに存在することを許されるのです。
日本の美意識には、散りゆく桜を愛でるような、儚さの中に美を見出す「もののあはれ」の精神があります。
音楽もまた、同じ地平にあります。
音が鳴り止んだ瞬間に訪れる静寂(サイレンス)も含めて、それは「無」に帰るプロセスそのものを楽しむ行為なのかもしれません。
人生もまた、一枚の絵画ではなく、一曲の音楽です。
全体像は見えず、ただ次々とやってくる「今」という音符を奏で続けることしかできない。
しかし、過ぎ去った音(過去)が今の音(現在)に深みを与え、今の音が次の音(未来)を導いていく。
消えていくからこそ尊く、二度と同じ演奏はできないからこそ、その旋律は美しい。
音楽が教えてくれるのは、
「流れゆく時間をせき止めるのではなく、その流れそのものになりきる」
という、生きるための極意なのかもしれません。
いかがでしたか…?
「いま、ここ」という小さな音符を打ち続けて、いつの日か人生を振り返ったとき。
「私らしいメロディ」として、響いてくれたらいいな…と思いました。
音楽が教えてくれることは、私達の人生にどんな“バタフライエフェクト”を起こしてくれるでしょうか…?
未来が楽しみですね。
ステキな週末を🍀
“バタフライエフェクト”とは、小さな出来事や行動の違いが、時間の経過とともに大きな結果や影響につながる現象のことです。
この概念は、気象学者 エドワード・ローレンツ の研究から広まりました。「ブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起きるかもしれない」という比喩。
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