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連載小説『夏彩の別れ』第3話(全9話)【note創作大賞2026_恋愛小説部門応募作品】


【あらすじ】
父が、突然亡くなった...。
知念皐月(ちねんさつき)と妹の芽依(めい)は還暦を迎える母のことが心配で仕方がない。残された家族は右往左往するしかない。
それぞれが抱える寂寥感のさなか、父を敬愛して止まなかった会社の元部下が現れる。現在は僧侶を務める御坊英二(おぼうえいじ)は、後日家にきた。彼を通じて少しずつ理解していく父のこと。
母の孤独の隙間を埋めるべく姉妹二人は必死にもがき続けるが...。
一人より二人がいい。二人より三人がいい。
信じ合うことは、助け合うこと。
母を巡る人間模様と家族の再生を描く。
『出会いと分かれ』或る家族の、夏の物語。
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【第1話】⇩


【第2話】⇩


【第3話】⇩
 季節が狂ったような暑さだった。
 まだ七月初旬にも関わらず、平均気温が連日三十五度を超えていた。生きている全ての者が、何かに逆恨みされているようだった。
 そして、最近、特に思うことがある。生きることはこんなにも辛く、もしかすると、この世は地獄かとも疑いたくなるほどだ。一方で、様々な天災や人災がこれでもかというぐらい続くのは、人間の胆力が試されているのかもしれない。
 「こんにちは。いやぁ、今日は暑いですねぇ」
 御坊さんは、麦わら帽子に黒のサングラスという出立ちで現れた。先日とは、全くの別人のように見える。
 「御坊さん、先日はありがとうございました」
 私は玄関前で御坊さんをお迎えし、距離感を確かめながら「暑いですね」を繰り返す。私に呼応するように「暑いですね」を返してきた。古来から伝わる日本の侘び寂びとは、本当に良く出来たシステムだ。まるで四季に寄り添うように、人間関係の潤滑油的役割を果たしている。お互いに持ちつ持たれずで、強かな平行線を保ち続けている。
 私の声に気がついた母は玄関先で恐縮した表情で御坊さんを迎えた。
 「あっ、おぉお。サツキさんは、良く見ると奥様にソックリですね」
 御坊さんの誰かが誰かに似ている話は、まるで挨拶代わりの名刺みたいだ。何かに気がついたように母と私を見上げるようにこちら側に向き直した。むしろ、私よりも妹のメイのほうが母似だと思うし、実際にそう言われることが多い。私は少しぶっきらぼうに返す。言葉ではなく表情で。御坊さんから見た私はもしかすると、苦労性のオバさんといったところか?まだ、二十九歳なのに。ショックなのか、暑さからくる鬱陶しさなのか何かよく分からない感情が葛藤を繰り返した。気が付けば、お土産がゆっくりと差し出されていた。
 「そんな、お気遣いまで頂戴してしまって...」
 母は申し訳なさそうに頭を下げる。
 「奥様...お口に合うか分かりませんが、お気持ちまで。先日は、大変お疲れ様でした」
 御坊さんは、母の恐縮した様子を見て帽子を取って頭を下げた。私は、御坊さんの陽(ひ)に焼けた赤濃い頭頂部を見ると先日の七回忌の画(え)がありありと蘇っていた。
 「先ず、稔雄先輩に挨拶をさせてください」御坊さんは、急に緊迫感を湛えた面持ちになった。
 「お父さん。御坊さんが来てくれましたよ」私は遺影に向かって問いかける。
 「...稔雄先輩、また来ましたよ」
 こう言うと、サングラスを両手で外して目頭を押さえた。流れる涙が頬を伝い、畳を濡らす。彼が遺影の正面に座ると、私は小僧のように斜め後部で正座をした。ひどく湿った匂いがした。まるで家中全ての寂寞を集めたような焦げ茶色の雰囲気が空間を支配した。
 「お茶でもどうぞ」
 御坊さんが居間に戻ってきた。母は、麦茶が入った陶器のコップを机の上に置く。
 「あー。冷たくて美味しい!」
 御坊さんは、助かりましたと告げてきた。こんな暑さの中、何か冷たい物を体内に含むか、軽妙に会話でもしていないと身体の芯から溶けてしまいそうだ。異常に早い猛暑なんか誰も求めないし、何も生まないだろう。酷暑なんぞ、天から生きる気力を奪われるようなものだ。
 「ところで...」と御坊さんは表情が険しくなった。
 「奥様。稔雄先輩の遺書はあるのですか?」御坊さんはサングラスを掛け直した。
 「それが、無いのです...」
 「家庭では何か悩んでいらっしゃったのですか?」
 極端にレンズの薄いサングラスからは、鋭い眼光が光る。今まで見せたことのない、思い詰めたような顔つきで母と私を見た。
 「コロナ禍を境に縊死(いし)などとオブラートに包まれて呼ばれるようになりましたが、昔は、自殺などと柄もなく呼ばれていました」
 「自殺、ですか?」母は反応した。
 「はい。自殺か、他殺の、自殺です」
 御坊さんは少しずれ下がった眼鏡を指で摘む。
 「稔雄先輩は、亡くなる前夜、私と酒を飲んでました」
 「そうでしたよね。もちろん、知っています」母は目を釣り上げた。
 「私の行きつけの居酒屋でしたが、稔雄先輩は普段は飲まないウイスキーを浴びるほど飲んでいました。しかも、ストレートで」御坊さんは母に負けまいと表情を変えた。
 「御坊さん...今日は...一体、何ですか?」
 母は、怒りを抑えるようにこう発すると、御坊さんを殺人鬼のような目で睨みつけた。
 「奥さん?はい?」御坊さんは一瞬で茹で蛸のように真っ赤になった。
 「奥さん。なぜ、稔雄先輩が死ななくてはならなかったのですか?!」
 「...そんなこと、私が一番訊きたいです!」
 「あんなに、前日は楽しく飲んでいたのに、なぜ帰宅した途端に、突然自殺願望が芽生えたのですか?」御坊さんは、何かが憑依したように迫ってきた。
 「はぁ?自殺願望、って...?」母は切れ気味に返すなり、机を軽く叩いた。
 「酩酊になりながらも、終始『何があっても、家族が一番だから』って...」
 御坊さんはこう言うと咽(むせ)び泣き、足元に置いた麦わら帽子を握った。ムギュっと強く押し潰されたような音がした。
 「今でも信じられませんよ。あの稔雄先輩が亡くなったことが...しかも、最期があのような形で...」
 母と私、特に母が御坊さんから詰め寄られたのは実は今日が初めてではない。父が亡くなった時には実際に警察の実況見分と聞き取り調査があり、私達はまさか御坊さんが父に何かを...と、疑ったこともあった。検視と司法解剖の結果、父が縊死だと認定されるまでは残された者が疑われるのは、いい迷惑だ。周りの人々には何も良い物を残さない愚行でしかない。
 玄関から音がして、妹のメイが勤務先から帰宅した。
 母と御坊さんは俯いたままで、メイの存在には気がついていなかった。
 メイの存在を忘れるほど、重苦しい沈黙が流れていた。
 「御坊さん、先日はありがとうございました」
 メイは丁寧にお辞儀をした。深々と頭を下げる妹を久しぶりに見た気がする。私達にはあまり見せない真摯な姿。普段見せる強気な態度とはうって変わって真反対。もしかすると、これがメイの本性なのかもしれない。
 「メイさんはサツキさんにそっくりですね」
 御坊さんは座ったまま、下から見上げるようにメイの全身を爪先から頭までを見つめた。
 「背が高いのは、稔雄先輩譲りかな?」
 水を急に得た魚のように勢いよくメイに話し掛ける。父と話す時にはこうやって笑顔で話しかけていたのだろうか?まるで、胸が締め付けられる思いがした。
 「じゃあ、私は...そろそろ...」
 こう言った御坊さんは立ち上がった。
 「御坊さん、何も出来ず...」
 私がこう言うと、御坊さんは軽く手を横に振り、両手で持つ麦わら帽子をクルリと回して頭にパッと乗せた。ニコッと優しく笑い、父の遺影がある方向に頭(こうべ)を垂れた。
 私とメイは御坊さんを追いかけるように、玄関先に駆けていく。
 陽はちょうど一番高くなった頃だろうか。私達を強く照らしていた。
 「御坊さん、また、お越しくださいね」
 メイと二人で、明朗に御坊さんを見送った。
 「また、来ます」御坊さんの背中が見えなくなるまで、私達は手を振り続けた。そこに見送る母の姿は無かった。

『夏彩の別れ(なついろのわかれ)』
【第3話完】
【第4話に続く】⇩

#note創作大賞 #恋愛小説部門

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