酒場にて 中原中也(挿絵シリーズ)

今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。
近代(いま)といふ今は尠(すくな)くも、
あんな具合な元気さで
ゐ(い)られる時代(とき)ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規(ぢやうぎ)
みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、かうして沈んでいる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」
が、冗談ぢやない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。
(一九三六・一〇・一)
作者紹介
中原中也(なかはら ちゅうや)
1907年生まれ、1937年没。山口県出身の詩人・歌人・翻訳家。少年期から文学に親しみ、京都でダダイスムに傾倒、上京後は小林秀雄らと交流し詩作を深めた。代表作に詩集『山羊の歌』(1934年)、死後刊行の『在りし日の歌』(1938年)がある。
絶望、孤独、喪失といったテーマを繊細な言葉でうたいあげ、近代日本詩の金字塔とされる。フランス詩にも傾倒し、ランボーの翻訳でも知られる。家庭の悲劇と心身の不調に苦しみながらも、30歳で夭折するまで詩に人生を捧げた。

青空文庫より
イラスト:馨(生成AI)
編集部より一言めも
「ほがらかとは、恐らくは、悲しい時には悲しいだけ悲しんでられることでせう?」
――この言葉が心に残ります。
生きていると、悲しむべきときに無理に元気を装ったり、あるいは、悲しむべきときに悲しみそのものを感じることすらできなくなってしまうことがあります。『山羊の歌』で「汚れちまった悲しみ」をうたった中原中也は、どこまでも純粋な心を持っていたのだと思います。けれど、純粋なままで生き続けるのは、とても難しいことですね。やがて私たちは、「悲しい時には悲しいだけ悲しんでいられない」存在になり、それが「大人になること」なのだと自分に言い聞かせるように求められます。そして、その要求を受け入れてしまうと、いつの間にか「悲しいときには悲しめない」人になっていくのでしょう。それは本当は悲しいことなのですが、それに気がつかないで生き
ていっている「大人」が、この社会にはたくさんいるように思います。
いくつになっても、この詩の最後のように――
「僕は僕が輝けるやうに生きてゐた」
そう言えるように生きた人は、きっととても素敵な人なのだと思います。(馨)
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