なぜ服は、AIで便利になるほど手仕事に戻るのか―画面で完結する時代に、触れる証拠が欲しくなる
今日も違和感を見つけた。
ファッション業界では、AIを使って意思決定を速くしようとしている。
どの商品を作るか。
どれくらい作るか。
どの色が売れるか。
どの地域で需要があるか。
どのタイミングで投入するか。
どの商品情報をどう整理するか。
どの顧客に、どの服を、どんな見せ方で届けるか。
そういう判断を、経験や勘だけではなく、データとAIで支えようとしている。
Centric Connect Tokyo Fashion 2026では、「AI時代のMDはどう変わるのか?」をテーマに、AI、PLM、PXM、商品戦略、商品情報管理を軸に、ファッションビジネスの意思決定変革について議論された。
これはかなり自然な流れだと思う。
ファッションは、感性の産業に見える。
でも同時に、在庫と物流と予測の産業でもある。
どれだけ美しい服を作っても、作りすぎれば在庫になる。
売れる時期を外せば、値下げされる。
店舗に置く場所を間違えれば、見つけられない。
商品情報が整理されていなければ、ECでも検索されない。
つまり服は、夢や美意識だけでは動かない。
工場があり、倉庫があり、店舗があり、ECがあり、顧客データがあり、販売計画がある。
そこにAIが入るのは、むしろ当然だ。
AIは、ファッションをつまらなくするために入ってくるのではない。
多くの場合、無駄を減らすために入ってくる。
余った在庫を減らす。
売れ筋を見つける。
需要の変化に早く気づく。
商品説明を整える。
顧客が欲しいものにたどり着きやすくする。
それは悪いことではない。
むしろ、今まで人間の経験や勘に頼りすぎていた部分を、少しだけ見えるようにすることでもある。
でも、そこでひとつ違和感があった。
服作りがAIで効率化される一方で、ランウェイやブランドの見せ方では、むしろ手仕事やクラフトや素材感が強くなっている。
Fashionistaは、近年のランウェイにおいて、手仕事、素材の誠実さ、時間のかかる技術が、静かな「反AI」的ムードとして出ていると書いている。
https://fashionista.com/2026/03/anti-ai-fashion-trend-human-craft/
AIで便利になるほど、人は手で作った感じに戻っていく。
ここが気になった。
なぜ服は、AIで便利になるほど手仕事に戻るのか。
前回、私は「なぜ私たちは、作品より先に売上構造を語るのか」で、文化を見る前にビジネスモデルを見てしまう違和感について書いた。
でも今回の話は、そこには戻さない。
これは、売上構造やブランドの物語の話ではない。
もっと身体に近い話だ。
服がAIによって情報として最適化されるほど、私たちは逆に、触れる証拠を欲しがるのではないか。
ここを考えたい。
AIは、服を情報に変えていく。
色。
サイズ。
素材名。
カテゴリ。
販売数。
返品率。
レビュー。
検索キーワード。
購買履歴。
似合う確率。
おすすめ順位。
商品説明。
スタイリング提案。
服は、どんどんデータとして扱いやすくなる。
それは便利だ。
自分に合うサイズがわかる。
似合う色を提案してくれる。
持っている服と合わせやすいものを出してくれる。
過去の購入履歴から、好みに近い服を見つけてくれる。
売れ筋や在庫状況から、ブランド側も無駄を減らせる。
服が情報になることで、選びやすくなる。
でも、服は本当に情報だけなのか。
ここで引っかかる。
服は、画像でもある。
商品情報でもある。
ブランドの記号でもある。
SNSに流れるコンテンツでもある。
でも最後には、身体に触れる物体だ。
重さ。
硬さ。
柔らかさ。
チクチクする感じ。
肌にまとわりつく感じ。
袖を通した時の冷たさ。
着ているうちに温まる感じ。
歩いた時の揺れ。
座った時のつっぱり。
洗った後の変化。
何度も着た後のくたびれ方。
服の本質は、かなり触覚にある。
でも今のファッションは、触る前に判断されすぎている。
Instagramで見る。
TikTokで見る。
ECの商品画像で見る。
LOOKで見る。
レビューで見る。
AIのおすすめで見る。
誰かの着画で見る。
見るだけで、かなり判断できるようになった。
むしろ、触らずに服を買うことが普通になった。
これはすごいことだと思う。
昔なら、服は店で見て、触って、試着して、鏡を見て、買うものだった。
今は、画面の中でかなり完結する。
便利だ。
でも、少し不安でもある。
なぜなら、画面で見た服と、身体に触れた服は違うからだ。
写真では柔らかそうだったのに、実際は硬い。
画像では高級そうだったのに、触ると軽い。
モデルが着ると美しかったのに、自分が着ると違う。
レビューでは評判がいいのに、肌に合わない。
サイズ表では合っているのに、肩だけ違和感がある。
こういうことが普通にある。
服は、見るものではなく、着るものだからだ。
AIがどれだけ精度を上げても、この身体のズレは完全には消えない。
むしろ、AIが服を情報として扱いやすくするほど、私たちはその情報からこぼれるものを感じやすくなる。
触った時の違和感。
着た時の納得。
肌が拒否する感じ。
身体が少し安心する感じ。
理由はわからないけれど、また着たくなる感じ。
ここは、データ化しづらい。
もちろん、将来的にはかなり近づくと思う。
素材の質感を数値化する。
着用感をレビューから分析する。
体型データからフィット感を予測する。
ARや3Dでシルエットを再現する。
AIが「あなたにはこの服が合います」と教えてくれる。
それでも、最後のところで身体が残る。
似合うと、着たいは違う。
サイズが合うと、身体が納得するは違う。
便利と、愛着が湧くは違う。
ここに、手仕事が戻ってくる理由がある気がする。
手仕事は、単なる懐古ではない。
それは、情報化された服に、触れる証拠を残す方法だ。
少し揺れるステッチ。
均一ではない染め。
時間のかかった刺繍。
厚みのある素材。
手で触るとわかる凹凸。
よく見るとわかる縫い目の表情。
大量生産品にはない個体差。
これらは、画面では伝わりにくい。
でも、実物を見ると急に意味を持つ。
「あ、これは誰かが作ったんだ」とわかる。
「ここに時間がかかっている」とわかる。
「このムラは、ただのミスではない」と感じる。
手仕事は、作り手の物語を説明するためだけにあるのではない。
身体に触れる証拠としてある。
ここを間違えたくない。
手仕事の価値を「温かみ」だけで説明すると、少し浅くなる。
手仕事は温かい。
AIは冷たい。
だから人間の手に価値がある。
そう言うこともできる。
でも、それだけだと、AIと手仕事を単純に対立させすぎてしまう。
本当は、もっと具体的な話だと思う。
手仕事には、身体が反応する。
触った時に、均一ではない。
見た時に、完全ではない。
着た時に、少しだけ重い。
近づくと、遠目では見えなかったものが見える。
それは、情報ではなく接触の価値だ。
AI時代に手仕事が戻るのは、物語が欲しいからだけではない。
画面で完結する世界に対して、触れる証拠が欲しいからだ。
私はここが、前回の記事との違いだと思う。
前回は、文化を見る前に売上構造を見てしまう話だった。
今回は、服を見る前に画像として処理してしまう話だ。
前回は、物語を信じにくくなった現代人の話だった。
今回は、身体で確かめる前に、画面でわかった気になってしまう現代人の話だ。
似ているようで、違う。
今回の違和感は、もっと皮膚に近い。
以前、「ファッションは自己分析だった」で、私は服を選ぶたびに本当の自分が出る、と書いた。
服を選ぶ時、私たちはただ機能を選んでいるわけではない。
何を見せたいのか。
何を隠したいのか。
どんな人に見られたいのか。
どこに属したいのか。
逆に、どこから距離を取りたいのか。
そういう欲望や不安が、服を選ぶ時に出てくる。
でも、そこにもうひとつ足したい。
服は、頭だけで選んでいるわけでもない。
身体でも選んでいる。
触った瞬間に、これは違うと思う。
袖を通した瞬間に、なぜか落ち着く。
鏡で見る前に、身体が嫌がる。
似合っているはずなのに、肩が落ち着かない。
逆に、説明しづらいのに、何度も着てしまう。
服を選ぶ時、身体はかなり正直だ。
AIは、似合う服を教えてくれるかもしれない。
でも、身体が納得する服を完全に教えられるかは、まだ別の話だ。
ここが面白い。
AIは、外側からの最適化が得意だ。
この色が似合います。
このサイズが合います。
このブランドが好みに近いです。
この服は今持っている服と合わせやすいです。
それは便利だ。
でも、服を着る感覚は、内側から起きる。
肌に触れる。
肩に乗る。
腰に当たる。
歩くたびに揺れる。
汗を吸う。
体温を持つ。
一日着て、疲れるかどうかがわかる。
服は、身体の外側にあるのに、かなり内側に入り込んでくる。
だから、AIのおすすめと身体の納得はズレることがある。
おすすめされた服が悪いわけではない。
似合っていないわけでもない。
でも、なぜか着たくない。
逆に、合理的には選ばないはずの服を、なぜか着てしまう。
この「なぜか」の中に、服の面白さがある。
手仕事や素材感は、その「なぜか」を支えることがある。
たとえば、少し重い生地。
現代的な軽さとは逆だけれど、その重さが安心になることがある。
たとえば、粗い織り。
なめらかではないけれど、その引っかかりが記憶に残ることがある。
たとえば、手で染めたムラ。
均一ではないけれど、そのズレが身体に近く感じられることがある。
こういう価値は、AIに説明しづらい。
説明できないわけではない。
でも、説明しきると少し消えてしまう。
服には、説明される前に身体が受け取るものがある。
だから、AI時代のファッションで手仕事が戻るのは、「人間らしさを守ろう」という大きな話だけではない。
もっと単純に、触った時にわかるものが欲しいのだと思う。
画面で見ただけではない。
情報で判断しただけではない。
おすすめされたから選んだだけではない。
自分の手で触って、
自分の身体で着て、
自分の生活の中で確かめた。
その証拠が欲しい。
これは、服だけではない。
生活の中でも同じことが起きている気がする。
レシピはAIが出してくれる。
でも、自分で火加減を見た料理は違う。
文章はAIが整えてくれる。
でも、自分で迷って残した一文には手触りがある。
音楽はアルゴリズムがすすめてくれる。
でも、偶然店で流れていた曲は記憶に残る。
旅行先はAIが最適化してくれる。
でも、道を間違えて入った店の方が忘れられないことがある。
便利さは、失敗を減らす。
でも、失敗が減ると、記憶の引っかかりも減る。
服の手仕事も、そこに近い。
手仕事は、失敗そのものではない。
でも、失敗や偶然を完全には排除しない。
そこに、身体が反応する。
以前、「私は、なぜ毎日書くのか。書かないと、観測が理解に変わらないからだ。」で、私はこう書いた。
「書くことで、観測が理解へ変わる。」
今回も同じだと思う。
AIと手仕事の話は、単なるファッション業界のトレンドではない。
これは、画面でわかった気になる時代に、身体で確かめる余白をどう残すかという話だ。
ファッション業界がAIを使うことは、止まらないと思う。
むしろ、もっと進む。
商品企画。
需要予測。
在庫管理。
EC検索。
パーソナライズ。
スタイリング提案。
ビジュアル生成。
商品説明。
顧客対応。
いろいろな場所にAIが入る。
それ自体は、悪いことではない。
むしろ必要なことも多い。
でも、その結果として、服がどんどん情報として扱われるなら、ブランドは逆に問われる。
この服には、触る理由があるのか。
実物を見る理由があるのか。
身体に通す理由があるのか。
画面で見ただけでは終わらない何かがあるのか。
ここが重要になる。
服の未来は、AIか手仕事かではない。
AIで情報を整えながら、どこに触覚の余白を残すか。
画面で伝わる部分を増やしながら、どこに画面では伝わらないものを残すか。
効率化しながら、どこに身体で確かめる必要を残すか。
その設計が、これからのファッションの価値になる気がする。
だから、私は手仕事を「昔に戻ること」とは思わない。
手仕事は、AI時代の新しい抵抗ではなく、新しい接点だと思う。
情報になりすぎた服を、もう一度身体に戻す接点。
画像として消費される服を、もう一度触れる物体に戻す接点。
おすすめされる服を、もう一度自分の身体で選ぶための接点。
そう考えると、手仕事はノスタルジーではない。
むしろ、かなり未来的だ。
AIが服を速くするなら、手仕事は服に遅さを残す。
AIが服を情報にするなら、手仕事は服を物体に戻す。
AIが服をおすすめするなら、手仕事は身体に問い返す。
本当にこれを着たいのか。
触っても、まだ欲しいのか。
一日着ても、まだ自分のものだと思えるのか。
その問いが残る服は、強い。
以前、「Void Labを始めます」で、私はこう書いた。
「単なる有料記事の置き場ではありません。」
今回の話も同じだ。
Void Labで扱いたいのは、AIが便利かどうかという結論ではない。
手仕事が正義だという話でもない。
なぜ画面で服を見すぎるほど、触れる証拠が欲しくなるのか。
なぜAIで似合う服がわかるほど、身体で納得する服を探してしまうのか。
なぜ効率化された世界で、手で作られた痕跡が気になるのか。
そういう途中の違和感を考える場所にしたい。
この問いをもう少し深く考えたい人は、Void Labへ。
Void Labは、服に現れる時代の変化を観測する小さな研究室です。
ブランドはなぜ物語を売るのか。ラグジュアリーはなぜ生活へ広がるのか。流行はなぜ市場に回収されるのか。
週刊服飾観測・月刊服飾観測を中心に、ファッション、ブランド、消費、カルチャーの違和感を読み解きます。
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完成した答えより、まだ名前のない変化に興味がある人へ。
明日も違和感を書きます。
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