思想は燃え尽きても、構造は止まらない–デザイナーたちは、みんな似たことを言っている
1. デザイナーたちは、みんな似たことを言っている
デザイナーたちは、みんな似たことを言っているように見える。
長く着ろ。
少なく買え。
無駄を足すな。
流行ではなく、時間で服を見ろ。
もちろん、全員が同じ言葉を使っているわけではない。
思想も、方法も、美意識も違う。
Yohji Yamamotoの黒と余白。
Vivienne Westwoodの反消費的な姿勢。
Rick Owensの制服性と身体性。
Lemaireの静かな日常着。
Jil Sanderの削ぎ落とされた純度。
Ann Demeulemeesterの詩的な黒と個人性。
それぞれ方向は違う。
しかし、そこにはどこか共通する感覚がある。
服をただ消費の速度に乗せたくない。
一瞬の流行で終わらせたくない。
身体や時間に耐えるものとして作りたい。
そういう欲望である。
Yohji Yamamotoについては、論文中で、少なくとも10年以上着られる服を意識していたという趣旨の発言が紹介されている。そこでは、強く丈夫な仕上げを生地メーカーに求めたという文脈で、衣服を長く着ることへの意識が語られている。
https://ojs.usp-pl.com/index.php/ADVANCES-IN-HIGHER-EDUCATION/article/viewFile/12690/12168
Vivienne Westwoodは、より直接的に言っている。
Buy less, choose well, make it last.
Vivienne Westwood公式サイトのケアガイドでも、この言葉は彼女のエートスとして紹介されている。
少なく買う。
よく選ぶ。
長く持たせる。
これだけを見ると、ファッションの思想はかなり反消費的である。
しかし現場では、毎シーズン服を作らなければならない。
売らなければならない。
在庫を動かさなければならない。
店舗を維持しなければならない。
スタッフに給料を払わなければならない。
売上を作らなければならない。
ここに矛盾がある。
思想としてのファッションは、長く着ることへ向かう。
産業としてのファッションは、新しく買わせることへ向かう。
この二つは、最初から同じ方向を向いていない。
2. 思想としてのファッション
思想としてのファッションは、しばしば反消費へ向かう。
これは単にエコやサステナビリティの話ではない。
もっと根本的な話である。
服を、ただ新しさのために作るのか。
それとも、身体や時間に残るものとして作るのか。
ここでデザイナーの思想は分かれる。
Yohji Yamamotoの服には、流行の速度から距離を取る感覚がある。
身体を露出させるより、包む。
分かりやすい華やかさより、黒や余白で距離を作る。
服を、消費される画像ではなく、着る人の時間に入っていくものとして扱う。
これは、長く着るという思想とつながっている。
Vivienne Westwoodの場合は、もっと政治的である。
買う量を減らせ。
よく選べ。
長く持たせろ。
この言葉は、ファッション産業の中心にいる人間が言うには、かなり矛盾を含んでいる。
なぜなら、ブランドは売らなければ続かないからである。
売る側の人間が、少なく買えと言う。
ここには、ほとんど自己矛盾に近い強さがある。
Rick Owensにも、服を流行の装飾ではなく、身体と習慣のための制服として扱うような姿勢がある。
Lemaireには、静かな日常着として長く着られる服への志向がある。
Jil Sanderには、余計な情報を削り、形や素材の純度に向かう感覚がある。
Ann Demeulemeesterには、服を個人の内面や詩のようなものに近づける姿勢がある。
ただし、ここでは発言を直接引用しない。
確認できる発言ではなく、作品やブランドの姿勢から読み取れる傾向として扱うべきである。
重要なのは、彼らが全員同じ思想を語っているということではない。
それぞれ違う場所から、消費の速度に抗っているように見えるということだ。
長く着る。
少なく買う。
削ぎ落とす。
制服化する。
身体に馴染ませる。
流行ではなく、時間に耐える。
思想としてのファッションは、どこかで消費の速度を疑っている。
3. 産業としてのファッション
しかし、産業としてのファッションは別の力で動いている。
売上。
在庫。
展示会。
シーズン。
納期。
店舗。
EC。
広告。
スタッフ。
原価。
粗利。
ノルマ。
ブランドイメージ。
顧客維持。
新規獲得。
どれだけ思想が反消費的でも、ブランドは服を売らなければ続かない。
作るだけでは足りない。
売る必要がある。
売るためには、新しさが必要になる。
新作が必要になる。
次のシーズンが必要になる。
顧客がまた店に来る理由が必要になる。
メディアが取り上げる理由が必要になる。
バイヤーが発注する理由が必要になる。
ここで、思想と産業はぶつかる。
デザイナーが、長く着てほしいと考える。
しかしブランドは、次のシーズンも売らなければならない。
デザイナーが、少なく買えと言う。
しかし会社は、売上を作らなければならない。
デザイナーが、無駄を足すなと考える。
しかし市場は、違いが見える商品を求める。
この矛盾は、きれいには解決しない。
服は、思想だけでは存在できない。
生地を買う必要がある。
工場に依頼する必要がある。
縫う人がいる。
物流がある。
店がある。
販売員がいる。
撮影がある。
広告がある。
在庫がある。
返品がある。
売れ残りがある。
どれだけ詩的な思想を持った服でも、産業の中に置かれた瞬間、数字から逃げられない。
これがファッションの残酷さである。
そして同時に、面白さでもある。
4. デザイナーは矛盾に気づいている
デザイナーたちは、この矛盾に気づいていないわけではない。
むしろ、気づきすぎている。
長く着てほしい。
でも、新作を作らなければならない。
少なく買ってほしい。
でも、店は売らなければならない。
無駄を足したくない。
でも、市場は新しさを求める。
この矛盾の中で、デザイナーは燃えてきた。
完全に産業側へ行けば、服は商品になる。
完全に思想側へ行けば、服は届かない。
この間で揺れる。
思想を持ったまま、産業の中で服を作る。
これはかなり苦しい。
たとえば、Yohji Yamamotoの服は、長く着られるものとして語られることが多い。
しかし、Yohji Yamamotoというブランドもまた、シーズンを持ち、コレクションを発表し、商品を売る。
Vivienne Westwoodも、少なく買えと言いながら、ブランドとして服を作り続けた。
これは矛盾である。
しかし、その矛盾を単純に偽善とは言えない。
なぜなら、服は作られなければ存在しないからである。
思想だけでは、誰の身体にも届かない。
服は、布になり、縫製され、流通し、販売され、誰かに買われて初めて着られる。
産業に入らなければ、思想は身体に触れない。
だからデザイナーは、矛盾を抱えたまま作る。
作りながら、消費を疑う。
売りながら、少なく買えと言う。
新作を出しながら、長く着ろと言う。
この矛盾の中に、ファッションの火がある。
5. ユニクロという構造
一方で、ユニクロは少し違うゲームをしている。
ユニクロは、デザイナー的な思想を前面に出すというより、構造を作った。
価格。
供給。
品質。
店舗網。
素材開発。
在庫管理。
生活必需品化。
誰でも買えること。
どこでも買えること。
毎日着られること。
極端な思想や美学ではなく、生活の中に入っていく構造を作った。
Fast RetailingのIntegrated Report 2024では、FY2024の連結売上収益が3兆1038億円、UNIQLO事業の売上が2兆6440億円だったと記載されている。
https://www.fastretailing.com/eng/ir/library/pdf/ar2024_en_02_sp.pdf
さらに、Fast Retailingのセグメント情報を見ると、FY2024のUNIQLO Japanの売上収益は9322億2700万円、UNIQLO Internationalは1兆7118億3300万円である。
https://www.fastretailing.com/eng/ir/financial/segment_5yrs.html
これは思想というより、構造である。
もちろん、ユニクロにもLifeWearという思想はある。
Fast Retailingは、LifeWearを究極の日常着として語っている。
しかし、ユニクロの強さは、その言葉以上に、構造にある。
安く、一定の品質で、世界中に届ける。
毎年買い替えられる価格でありながら、日常で十分に使える。
派手なファッションではなく、生活の基礎に入り込む。
ここで興味深いのは、思想家たちが言葉で語った長く使える服を、ユニクロは別の形で量産構造に落としたようにも見えることだ。
Yohji Yamamotoが長く着る服を思想として語る。
Vivienne Westwoodが少なく買えと語る。
一方でユニクロは、誰もが日常的に着られる服を、巨大な構造として供給する。
もちろん、これは同じものではない。
YohjiやVivienneの服が持つ思想の濃度と、ユニクロの生活必需品としての服は違う。
しかし、長く使える服を生活に届けるという意味では、ユニクロは思想とは別の方法でその一部を実装している。
思想ではなく、構造として。
6. ユニクロが勝ったから正しい、ではない
ただし、ユニクロ礼賛にはしたくない。
ユニクロが勝ったから正しい、という話ではない。
思想を語ったデザイナーたちが負けた、という話でもない。
そもそも、思想と構造は別のゲームをしている。
デザイナーは、服によって世界の見方を変えようとする。
身体の見え方を変える。
美の基準を変える。
消費への態度を変える。
性別や階級や欲望への距離を変える。
服を通して、違和感や思想を形にする。
一方で、ユニクロは生活を構造化する。
日常の服を安定供給する。
品質と価格を調整する。
店舗網を広げる。
生産と販売を一体化する。
大量の人に同じ水準の服を届ける。
これは、作品のゲームではない。
構造のゲームである。
だから、どちらが上という話ではない。
Yohji Yamamotoの服には、ユニクロにはない思想の濃度がある。
Vivienne Westwoodの言葉には、ユニクロの構造にはない批評性がある。
Rick OwensやLemaireやJil SanderやAnn Demeulemeesterには、それぞれの美学がある。
しかし、ユニクロには、思想家たちの服が届かない規模へ服を届ける構造がある。
価格も違う。
顧客も違う。
目的も違う。
服に求められている役割も違う。
だから、ユニクロが正しくてデザイナーが弱い、という話ではない。
思想と構造は、同じファッションの中にありながら、まったく別の速度で動いている。
7. 思想は燃え尽きても、構造は止まらない
思想は、燃える。
強い思想ほど、燃える。
デザイナーの中で燃え、服になり、コレクションになり、言葉になり、批評になる。
しかし思想は、疲れる。
市場にぶつかる。
売上にぶつかる。
在庫にぶつかる。
組織にぶつかる。
時代にぶつかる。
身体も、精神も、消耗する。
一方で、構造は止まらない。
店舗は開く。
商品は入荷する。
在庫は動く。
数字は更新される。
会計年度は進む。
次のシーズンが来る。
構造は、思想よりも冷たい。
そして、強い。
思想家が燃え尽きても、構造は回る。
デザイナーが苦しんでも、産業は進む。
ブランドが終わっても、市場は止まらない。
ここに怖さがある。
しかし、構造だけでも足りない。
思想がなければ、服はただの在庫になる。
売るために作られ、買われ、飽きられ、捨てられる。
そこに何も問われない。
なぜその服なのか。
なぜその形なのか。
なぜその素材なのか。
なぜその身体なのか。
なぜその時代に作るのか。
そういう問いが消える。
服は、構造だけでは生きられる。
でも、文化にはなりにくい。
思想は燃え尽きるかもしれない。
しかし、その火がなければ、ファッションはただの物流になる。
8. ファッションは矛盾の中で燃えている
ファッションは、理想と現実の間にある。
長く着てほしい。
でも売らなければならない。
少なく買ってほしい。
でも新作を作らなければならない。
無駄を足したくない。
でも市場では違いを見せなければならない。
思想を守りたい。
でも産業の中にいなければ届かない。
この矛盾は、たぶん解決しない。
だからこそ、ファッションはずっと燃えている。
デザイナーたちは、その矛盾の中で服を作ってきた。
長く着ることを語りながら、新作を出す。
少なく買うことを語りながら、ブランドを続ける。
無駄を削りながら、毎シーズン別の形を探す。
そこに矛盾がある。
しかし、その矛盾を抱えたまま作るから、服はただの商品ではなくなる。
そして一方で、ユニクロのような構造は、その矛盾を別の形で処理する。
思想を濃く語るのではなく、生活の中へ服を大量に届ける。
価格と品質と供給で、服を日常に固定する。
そこにはデザイナー的な燃焼とは違う強さがある。
思想と構造。
火と機械。
問いと供給。
この二つが、ファッション産業の中で同時に動いている。
9. 結論
思想は燃え尽きても、構造は止まらない。
デザイナーがどれだけ長く着ろと語っても、産業は次のシーズンへ進む。
少なく買えと語っても、店舗は売上を必要とする。
無駄を足すなと考えても、市場は新しさを求める。
この矛盾は、ファッションの中心にある。
しかし、だからといって思想が無意味なわけではない。
思想がなければ、服はただの在庫になる。
構造がなければ、思想は身体に届かない。
思想だけでは服は存在できない。
構造だけでは服は文化になりにくい。
ファッションは、その狭間で燃えている。
長く着ること。
少なく買うこと。
無駄を削ること。
それを語りながら、同時に作り、売り、続けなければならない。
この矛盾を抱えたまま、それでも服を作る。
たぶん、そこにファッションのしんどさと強さがある。
思想は燃え尽きても、構造は止まらない。
でも思想の火がなければ、構造はただ回るだけである。
だからファッションには、まだ思想が必要なのだと思う。
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