【絶対に真似するな】Googleマップなしでボルネオ島の最北端を目指した女の末路
「最果て」という言葉には、どうしてこうも心をくすぐる響きがあるのだろうか。
地図の端っこ。
文明の終わり。
もうこの先には何もない、という潔いほどの終着点。
SNSのタイムラインを眺めるのに疲れた現代人にとって、それは一種の解毒剤のような魅力を持っている。

あたしゃ、そんな「最果て」を求めて、世界で3番目に大きな島、ボルネオ島の最北端「ティップオブボルネオ」を目指すことにした。
コタキナバルの中心街から、レンタカーで片道約半日。
地図で見れば、ただひたすら北へ向かうだけの、単純な道のりに見えた。
そう、地図の上では。

ドライブが始まって1時間もすると、あたしゃ気づいた。
これは、運転というよりは、修行だと。
北上するにつれて、あれほど賑やかだった対向車は姿を消し、窓の外の景色は、緑、緑、たまに牛、そしてまた緑、という無限ループに突入する。
道は、ほぼ一本道。
高速道路よりも単調なこの道は、容赦なくこちらの意識を刈り取りにくる。
眠気という名の魔物が、助手席から「もう寝ちゃいなよ」と甘く囁きかけてくるのだ。

そして、この修行には、さらに過酷な試練が待ち受けていた。
トイレが、ない。
コンビニも、ガソリンスタンドも、道の駅もない。
あるのは、どこまでも続くパーム椰子のプランテーションだけ。
生理現象という、人間としての尊厳に関わる問題が、いよいよ限界を迎えようとしたその時、あたしゃ悟った。
郷に入っては郷に従え。
自然からいただいたものは、自然に返すのが一番手っ取り早い、と。
命からがら(いろんな意味で)、今夜の宿があるはずのエリアにたどり着いた。
Airbnbで予約した、ビーチ沿いのおしゃれなロッジ。
文明の利器Googleマップは、たしかに「このあたり」だと指し示している。
しかし、そこにあるのは、名もなき脇道と、鬱蒼と茂るジャングルだけ。
宿の看板らしきものは、どこにも見当たらない。
焦りが、じわじと背中を濡らす。
太陽は刻一刻と地平線に近づき、頼みの綱のGoogleマップは、現在地を示す青い点が、ただひたすら同じ場所で健気に点滅しているだけだ。
拡大しても、縮小しても、道は表示されない。
そう、ここは、Google神の全知全能が及ばぬ、地図の空白地帯だったのだ。

万事休すか。
あたしゃ、今夜、この車の中で野宿することになるのか。
いや、それよりも、この先どうやってコタキナバルの街まで戻ればいいのか。不安がぐるぐると頭を駆け巡る。
その時だった。
一台のバイクが、砂埃を上げてこちらに向かってくるのが見えた。
藁にもすがる思いで車を止め、窓を開けて宿の名前を告げると、日焼けした顔のあんちゃんは、ニヤリと笑って「ああ、あそこか」と、ジャングルの奥を指差した。
そして、「ついてきな」とでも言うように、バイクのエンジンをふかしたのだ。

神は、いた。
ボルネオのジャングルに、バイクに乗って現れたのだ。
半信半疑のまま、バイクの後を追って未舗装の道を進むと、木々の間から、写真で見た通りの、おしゃれなロッジが姿を現した。

宿の主にチェックインを告げ、息も絶え絶えにWi-Fiのパスワードを尋ねる。もう、ネットがないと生きていけない身体なのだ。
すると、主人は悪びれもせずに、こう言った。
「ああ、ごめん。うちはネット、繋がらないんだ。ここは風と波の音を楽しむ場所だからね」。
あたしゃ、天を仰いだ。
そうか、そういうことか。
ネットが繋がらないから、Googleマップにも表示されなかったのか。
この宿は、自らの意思で、現代文明から孤立することを選んでいたのだ。
図らずもデジタルデトックス。
聞こえはいいが、これは現代人にとって、ライフラインを断たれるに等しい。
もし、あのバイクに乗った神が現れなければ、あたしゃ今頃、ボルネオ島のジャングルで、テングザルと身の上話をする羽目になっていただろう。

部屋に荷物を放り込み、目の前のビーチへ駆け出した。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
誰もいない。
どこまでも続く白い砂浜、透き通ったエメラルドグリーンの海。
いるのは、せわしなく歩くヤドカリと、やたらとすばしっこいカニ、そして時折現れる人懐っこい野良犬だけ。

これぞ、本当の意味でのプライベートビーチ。
誰にも邪魔されず、この絶景を独り占めできる。
なんて贅沢なんだろう。
しかし、その幸福感のすぐ裏側で、聡明なあたしの脳は、冷静に警鐘を鳴らしていた。
誰もいない、ということは。
もし、この海で溺れたら?
もし、毒を持つ生き物に刺されたら?
助けを呼ぶ声は、誰にも届かない。
スマホはただの文鎮。
この美しい景色は、一瞬にして死と隣り合わせの密室に変わるのだ。
プライベートビーチとは、なんと甘美で、なんと危険な言葉だろうか。

そんなネガティブな思考を振り払い、いよいよ本日のメインイベント、「ティップオブボルネオ」へと向かう。
そこは、先ほどのビーチとは打って変わって、きれいに整備された観光地だった。
遊歩道が整備され、足場も安全。
人はまばらで、最北端を示すモニュメントも、どこまでも広がる大海原も、心ゆくまで写真に収めることができる。

ここは、スールー海と南シナ海という、二つの大きな海が合流する地点らしい。
あたしゃ、目を凝らした。
右がスールー海で、左が南シナ海か。
いや、逆か。
二つの海がぶつかり合う、ドラマチックな光景を期待していたのだが、残念ながら凡人のあたしには、どこがその境目なのか、さっぱりわからなかった。
海はただ、雄大で、青く、静かに広がっているだけだった。

なんだか、拍子抜けしてしまった。
命がけでトイレを我慢し、ネットのない孤独に耐え、プライベートビーチの恐怖に打ち勝ち、たどり着いた「最果て」。
そこで見たのは、あまりにも穏やかな、ただの海の景色だったのだ。
でも、それで良かったのかもしれない。
「最果て」とは、特別な景色がある場所のことではない。
そこへたどり着くまでの道のり、不安や孤独、そしてそれを乗り越えた自分自身の心の軌跡、そのすべてをひっくるめて「最果て」と呼ぶのだろう。
結局、二つの海の違いはわからなかったけれど。
まあ、いいか。そんなことは、どうでも。
あたしゃ、ただ、この静かな風に吹かれていたかったのだ。

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