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ストロベリーフィールド:第一幕 見えない世界 ー ある男のある日の回想

≪あらすじ≫
人が人を造る。そんなことが現実になった時代。
遺伝子操作を行うことが、日常となっていた国があった。
強大な勢力を誇るその国は世界の大半を我がものとし「造られた人」を生み続けている。
そんな人口増減さえコントロール可能な時代に、それを拒否し続ける、もうひとつの国があった。そのルーツは、かつては誰もが持っていた「特殊な脳の活動領域」を未だ使う種族の国。
どの国に産まれようと、そこに産まれ落ちた人々に選択肢はない。
それが日常であり、何が善で、何が本当の悪なのかを知る由もない。
存続のため不要なものは消え去るという自然の摂理。
それでも不思議な力を持つ主人公は、消えゆく世界で「大切なもの」を守るため、戦い続ける。

(長期連載中)



空には奇妙な月が見えていた。

三次元で球体であるはずのそれは、造り物の舞台セットか二次元世界の背景画のようだった。コンパスで中心から等しい長さに線を引いたような見事な円形だ。なんとも不自然に見えるのは、その色のせいかもしれなかった。

揺らぐ雲が月を覆うと、辺りは一瞬濃い藍色に包まれた。わずかに角度が付いた月の位置から考えると、恐らく時刻は真夜中の零時少し前だ。

前方には小さな人影が見えていて、俺たちは長い間、少し離れた位置から、その華奢で小さな影を見つめていた。雲に覆われ月の光が遮られる度、その小さな影は濃い藍色の世界の中で大きな木の幹の影と同化してしまう。

暗闇の中で懸命に目を凝らしていると突然強い風が前方から吹き込んだ。と同時に雲の隙間から青白い光が差し込み、スポットライトで照らすように前方の影を明るく包んだ。

その影が、前から強く吹き込む風から身を守ろうとして、一瞬俺たちの方へ身体を向けた。見つかりはしないかと身構えながらも、俺たちの視線は前に向いたままだった。

その時、その影が小さな子を胸に抱いていることに気づいた隣の男、猫背の相棒が、か細く擦れた声を発した。

「あ、あ……あれ……赤ん坊じゃないっすか?」

「大きな声を出すな。やっとここまで来たんだ」

「でも、あんな小さな子を抱えていったい……。もう、ずっとあのままですよ。赤ん坊なのに何時間も声出さないし、泣き声ひとつしないって……。
ひょっとして……。あれって、妙な≪甦りの儀式≫とかやってんじゃ……?
薄気味悪いじゃないすか。ねぇ、もう帰りましょうよ」

背中を丸めて弱々しい声を発した猫背の相棒は、上目遣いで懇願するように俺を見つめている。

「いや、何かある。間違いない。あの赤ん坊は確かにずっと動いてはいないけどな。俺たちのターゲットはそっちじゃない。証拠さえ見つければこっちのもんだ。何が起こるか分からんぞ。気を抜くな」

囁くような声で、けれど有無を言わさぬ圧力を含んだ声で発した俺の答えを聞くと、隣の相棒は唇をへの字に曲げたままその場に座り込み縮こまった。

帽子(フラップキャップ)の両サイドのフラップ部分を下ろして耳を深く覆うと、風の音が少しこもった音に変わる。深緑色の服と帽子は、見る人が見れば一目でそれと判る国の象徴的な色合いだ。

俺は服の襟を上に立ちあげ、再び前方へと目を凝らした。

ここの場所にたどり着いてからというもの、いや、それよりもっと前から俺はずっと興奮状態で、飛び出したい衝動を抑え続けていた。千載一遇の大手柄をあげるチャンスかもしれないのだ。なのに、隣の相棒は、ずっと怯えた様子で肩を丸めて小さくなっている。

相棒の肩の上には大きなものが乗っていて、時折、肩の上で居心地悪そうに動く様子で、それが鳥だということが分かる。鳥は赤い目を光らせ、俺たちと同様に前の獲物を見つめているが、肩の上で見事なバランスを保ち、飛ぶこともせず猫背の男の肩にしがみついている。忠実な鳥だ。

ひたすら待つだけの時間が、あれほど興奮できるものだとは思わなかった。辺りには枯草の上を舞う風の音だけが聞こえる。満月の灯りは途切れた雲の間から幾つもの筋となって前に続く道と高い丘を照らし、そのはるか向こうには黒い影だけの森が広がっているのが見えていた。

その森へは何度か行ったことがあったが、必ず同じ場所に戻ってきてしまう不思議な森だった。
前を行く影は、どこまでも続く森の手前を、左へ右へと一日中歩き続け、決して森には入ることは無かった。

そして突然立ち止まり、全く動かなくなった。

後をつけていることに気づかれたのかと狼狽えたが、どうやらそうではなさそうだ。歩き疲れたのか、暗くなってきたことで先に進むことを諦めたのかは分からないが、ともかくこっちも隠れているしかない。

道は周りの畑よりも少しばかり高い位置にあって、下にある畑とはなだらかな傾斜で繋がっていた。前方に見える影から少し離れた位置にはいたが、斜め後ろから地面に腹ばいになって下から見上げるには最適な傾斜だ。

それにしても、目の前の砂利道は、村の外れにあるというのに、ずいぶんと道幅が広かった。かつては多くの人々が隣国へと往き来した道らしいが、今ではその面影もない。明るい時間帯でさえ歩く者は見かけなかった。道の先にあった隣の国は、疫病で数年前に消え去ったと聞く。

あの女はこんな所で一体何をしているんだ。ここに身を潜めてからというもの、見ている景色は一向に変わらない。そろそろ首が痛くなってきた。深夜にうつ伏せの姿勢で何時間も動かずいるのは流石に堪える。が、俺の興奮はそんなことで治まりそうにない。
しかしこいつ、あれほど怖がっていたのに、うたたねを始めている。まあ、うるさいよりはいい……。

そんなことを考えていると、眠り始めた相棒の肩の上にいた鳥が、倒れてくる男の頭を面倒くさそうに避け反対側の肩へと移動し始めた。
その時だった。突然、俺は腹の下の地面から微かな振動を感じた。違和感を覚えた俺は、一度地面から腹を浮かせ、全神経を胸と腹に集中させてから、再びゆっくりと地面に腹ばいになり、フラップを上にはね上げて右側の耳を地面に密着させ、腹の下から押し上げてくるような振動を今一度確かめた。振動は徐々に大きくなってくる。俺は、振動し続ける地面から胸を離し、上体を起こして左右を見た。

確かに何かが近づいて来る。

けれど、月明かりに照らされた広い道には何の影も見えず、何かが近づいて来るような様子は見えない。ただ、地面の振動だけが今度は腕を伝って身体に響いてくる。

眠る男の背に乗っていた鳥は、威嚇するように頭の毛を逆立て始めた。

「おい、起きろ。何か来るぞ」

俺に揺り動かされた相棒が薄目を開きかけた時、道の前方に小さな渦を巻く黒い影が現れた。何かの動物の影が月に照らされて映っているのかと、辺りを見回したが、前方に見える大木と枯草が広がる大地以外はやはり何も見えない。

その小さな円は、辺りの月明かりに照らされた景色より数段深く暗い色をしていて、見る間にその渦を広げ始めた。渦を巻く真っ黒な丸い円の中心から俺は目が離せなくなった。

その渦巻く円が発生している場所の少し後ろに立っていた小さな影が、円の中心に向かって身体を動かそうとしていることに気が付いた時には、もう手遅れだった。

俺が目の前の道へあがろうと慌てて立ち上がった時、目の前にあったはずの小さな影は、その腰のあたりから上を鋭い刃物でバッサリと切り落とされたように見えた。腰から下の部分だけが、ゆっくりと前方に倒れ込む。

目の前に広がる恐怖の光景に、一瞬身動きが取れなくなった。ほんの一瞬だ。そして、一歩後ずさりしたところに、運悪く、立ち上がろうとしていた中腰の状態の寝ぼけ顔の男がいた。

まったく、この男は、俺の邪魔をするのが仕事のようだ。俺は相棒の男の肩につまずきバランスを失うと、奴とふたりして畑の中へ転がり落ちた。鳥が大きな羽をばたつかせて畑の真ん中まで逃げ飛んでいく。

慌てふためきながら態勢を立て直し、畑の斜面を上がろうともがく目の前で、渦巻く漆黒の円の外周が一瞬、地面に着くほどの大きさまで波打つように大きく広がった。

その刹那、四頭立ての馬車が二台、続けて暗闇の円の中心から飛び出してきて一瞬で目の前を轟音と共に通り過ぎて行った。二台の馬車はあっという間に村の方向へと小さくなっていった。道の下から見送った馬車の荷台には、相当な荷が積んであったように見えていたのだが、俺は夢を見ているようでしばらく魔法にかかったように呆けて動けなかった。数秒ほど遅れて周りに激しく舞った砂ぼこりに咳き込むことになって、ようやく今通り過ぎたものが実在していた物であることを理解した。

我に返って追ってきた影のことを思い出し、慌てて砂利道へと駆け上がったが、前方にあったはずの人影は完全に消えていて、切り落とされたはずの胴体も脚もそこにはなかった。先ほどまで黒い渦が見えていた場所まで走り、周りを見回しながら手を振り回して、地面に這いつくばって手探りしたが、もうあの黒い渦はどこにもなくなっていた。さっきまでの物々しい騒音とは対照的な、柔らかな香りだけが辺りに漂っている。

「くそっ! やられた」

「……今の、夢……じゃないすよね。あの女、真っ二つに切られて……どこに消えたんすか? それとも、さっきの馬車に乗せられたんすかね?
あれ、これ何の匂いでしょう? あの女がつけてた香水?」

「……これは……花の匂いじゃないか? ライラック……」

「こんな夜中に、花の配達って。あ、市場にいくんですかね。
え? こんな夜中に?……」

「おそらく……密売だ」

「密売? どこにでもあるような花をですか? あの馬車どっから……?」

「分からん……が、女はおそらく……あの黒い穴の中だ」

「やっぱり……さっきの夢じゃないんすよね」

「お前は、ぐっすり寝ていたからな。まったく」

さっきまで眠りこけていた男の帽子のつばを上から軽く叩くと、いつの間にか主人の肩の上に舞い戻って来ていた忠実な鳥は、驚いたのか大きな羽を広げバサバサと羽音を立てた。さっきの轟音に身構えていた鳥は、まだ興奮したように頭の毛を大きく逆立てたままだ。

「まぁいい。すぐにその伝書鳥を飛ばせ。できるだけ早く静かに、少ない数の応援をここへ呼ぶんだ。少数精鋭を頼む。奴らは必ず戻ってくる。すぐにこの場所に来るよう伝えるんだ。これで俺たちは、表彰ものの大手柄だ」

「はいはい、それをやんないと今日の夜の特別残業手当にならないんでね。やりますけどね。でもこいつのこと《伝書鳥》っていうのはやめてくれませんかね。こいつの名前は……」

「さっさとやれ」

 相棒、いや足手まとい男は、言葉を遮られたことに口をとがらせながら伝書鳥を高く飛ばした。全く、最近の若造は年長者に対する口の利き方も知らないから驚きだ。そもそも鳥士(Hawkers)の方が今や俺たちよりも立場は上になりつつある。厄介な時代だ。

前の道はゆっくりと登っていて、丘は遠くの黒い森へと続いている。目の前の緩やかな上り坂と、道の左側に見えている巨木の位置を目で確認してから、目を細めて目の前の空間をもう一度俺は見つめた。

その巨木のすぐ右側、何もない空間に大きな渦を巻く穴が開いていたのを、俺は今しがたはっきりと目撃した。夢ではない。見えない世界への入り口が、ここにある。

空に浮かぶ満月は、相変わらず黒い森のすぐ上で、辺りを照らしている。

「必ずここへ戻って来る」

もう一度自分に言い聞かせるように呟いて、さっきまで小さな影がしゃがみこんでいた木の根元を見ると、その部分だけが何度も踏みしめられたようにへこんでいた。あれは幻影ではなかったという証だ。長い緊張から解き放たれた俺は、力が抜けたように木の根元に腰を下ろすと、あの小さな影が胸に抱えていた赤ん坊のことを思った。

あの女に出会ったのはその日の朝のことだった。なのに、もうずいぶん前のことのような気がしていた。
朝、いつもどおりの巡回へ出かける準備をしていた時、『連泊している一人旅の若い女がいる』という話を鷹使いの相棒から聞かされたのだ。小さな村でよそ者は目立つ。『若い女性の一人旅は最近の流行らしいが、こんな観光地でも無い所に何しに来たのか。いかにも胡散臭い。念のため一緒に確認しておかないか』と誘われた。

相棒は、《観光地でも無い所に何か月も滞在している自分たち》が、村人にどう思われているか、については考えないようだ。
相棒の男の目的は分かりきっていた。取り締まり目的などではなく、ひとりでいる若い女を見たいだけだ。そして、隙あらば、などとよからぬことを考えているに違いなかった。その女には大した興味も無かった。が、特にすることも無かったし、暇つぶしにはちょうど良い、くらいに俺は考えていた。

不正輸出の取り締まりという名目で、生まれた国から遠く離れた同盟国の国境近くの村外れに赴任してからというもの、俺の毎日は観光客を装って村々を訪れるだけの何ごともない日々だった。

交代要員はいつまで待っても来なかった。長い休暇だと思って過ごすにはあまりにも何もない国で、さすがに滞在して三か月を過ぎるころにはもう見る場所もなくなった。
なぜこんな辺鄙なところを見張らせているのか見当もつかなかった。他国での潜入捜査と言えば聞こえはいいが、これじゃ左遷のようなものだ。
そもそもそんな密輸の話も、こんな何もない村では本当かどうかさえ疑わしい。と、その朝までは思っていた。

相棒は鷹使いの名手という噂だったが、偵察や伝書用に夜鷹を飛ばしたことなど一度もなかったし、この国中を旅して、各地の絵葉書に『何事もなく皆元気です』と書き、それを報告書とはわからぬようにメッセージを時折国へ送ることが、国とのつながりを感じることのできる唯一の仕事だった。
傍目には、異国の金持ちの若者が旅先で遊んでいるようにしか見えなかっただろう。

けれど、暇すぎることを除けば俺はこの仕事は嫌いではなかった。すっかり旅行気分で毎日を満喫し、上官の監視の目も無く、のんびりした村で時間を気にせず悠々自適に暮らしながら給料をもらえる仕事は、出世欲のない俺たちにはこの上なく快適な職場だった。

そんな俺たちふたりの目の前に、突然夢のような奇跡が舞い降りた……。

女がいつ宿を離れるかが分からなかったが、相棒の話を聞いてとりあえず宿の入り口横で朝早くから待ち伏せることにした。
相棒がフロントの爺さんに金を渡して聞き出したという話では、宿代は前日宿泊分までしかもらっていないというから、その日にはここを出るだろうという事らしかった。
けれど、ようやく宿のドアから出て来た女が背負っていた荷物が、あまりに小さいのを見て、これは密売ではなさそうだと俺はがっかりしかけていた。

それはいつもなら気にも留めず通り過ぎるような場面だった。女が内側からドアを外に向かって大きく開け、長く手を伸ばしていた時だ。
女が身に着けているフード付ケープコートの前部分がわずかに風になびいて開いた。その時、一瞬だが伸ばした手側の胸の前に、小さな《包み》をたすき掛けして抱えているのが垣間見えたのだ。

あの時、声をかけるべきだった。

けれど、声をかけようにも、ここに赴任してもう半年近くになるというのに、俺は、自分が自国の言葉しか話せないということを思い出した。それは鷹使いの相棒も同じだった。

こんな辺境に送られて来る者に未来のために見えない努力をするような者などいない。そもそもが、世界の大半が我々と同じ言語を使っているのだし、『こんなところの言語を覚えても役に立つことなど一生無い』といつも相棒と笑い合っていた。それが間違いだという事は明白だった。
どんなことでも、身に着けておいて損になることは無いのだ。

女を引き留める適当な理由が思いつかず、自分が目にした《包み》を見せろとも言うこともできないまま、それを女が隠さねばならないその理由について、俺は考えを巡らせて続けていた。

コートの下に見えていた《包み》の下から覗いていたものは、まぎれもなく《赤ん坊》の頭だった。おそらく、生まれてから間もないはずだ。
どうやらさっきの相棒の様子からすると、あの時は俺にしか見えていなかったようだ。

けれど、なぜこんな何もない所に……しかも、一人で?

宿の外に立っていた俺たちに気付くと、あの女は一瞬、目を大きく見開いたように見えた。
それからゆっくりと近寄る俺たちに向かって、何故か、とても親しみのある優しい笑顔でほほ笑みかけてきたので、俺たちは思わず立ち止まった。

どう見ても、まだ幼さの残る少女のような顔つきで十代後半くらいだ。
フードの下から覗く髪は、輝くシルバーのような淡い青色で、瞳もまた吸い込まれそうな青い色だった。

迂闊にも笑顔でほほ笑みかける女の姿に見とれてしまった俺は、やっぱり男だったということだろう。あんな風に見つめられると対応に困る。
視線に耐え切れず女から目を逸らして後ろを見た時、相棒はただただ鼻の下を伸ばしてにやけた笑いを見せていただけだった。

「あんな華奢な、まだ少女みたいな女が、密売なんかしますかね? あの、話しかけないんすか? あ、そっか、言葉できませんよね。俺たち」

「そんなんじゃない。そもそもあの女が、どこの国の言葉を話すかわからんだろうが」

「いや、あの女が、どこの国から来た奴であろうと、俺たちは、自分の国の言葉以外できないから、の、間違いっしょ」

嫌味な笑みを浮かべた相棒の頭を軽く平手打ちしかけたが、女が見ていると思うと、俺はその手を途中で止めた。女は俺たちをまだ見つめていて、俺と視線が重なった瞬間、今度は怯えたような色をみせてから感情を消した表情になった。

それからもう一度わざとらしく優しくほほ笑むと、女、いや、少女は一言も発しないまま何事もなかったかのようにその場をゆっくりと立ち去った。
コートの下に赤ん坊を隠したままで。
それは、俺が《何か、ある》と確信した瞬間だった。

「おい、あの女を追う。伝書鳥のナイトホークを呼べ。あの女がもう少し遠ざかってからだ」

「え? 何のために? 何か聞きたいことがあるんなら、今、聞けばいいじゃないっすか。言葉なんかできなくても、あんな女、捕まえて連れて行けばいいんすよ。
それに、あいつ、こんな昼間から起こすと、超不機嫌になってつつきまくるんすよ」

「うまい飯を腹いっぱい食わせるとでも言っておけ。捕まえるんじゃない。後を追うんだ。早くしろ」

小突かれた頭を大げさに撫でた相棒は、女が遠ざかったのを確認してから、首から下げていた小さな笛を吹いた。
静かな虫の羽音のような音が風に乗り、しばらくすると立派な茶色い鳥が、白いストライプの入った羽を閉じたまま、弾丸のように高い空から滑空してきて音も無く少しだけ羽を広げ、優雅な動きで相棒の男の肩に止まった。

その鳥、相棒のナイトホークは、昼間から起こされて憤慨したという様子で、肩に乗ったまま相棒の頭をしつこく何度もつつき続けていた。
そうやって気が済むまで怒りを表した後はずっと同じ肩に乗ったまま一日中、丸まって陽が沈むまで目を閉じていた。あの女を何時間も尾行し、畑の中で見張り続け、暗闇の中でひたすら時を待った。
この間抜けな鷹使いの相棒が眠りこけていた時も律義に目を光らせていた。

馬車の轟音に怯えた後でも、暗闇の中で指令を与えられるまで律儀に耐えていたナイトホークは、指令を与えられると、待っていましたとばかりに大きな羽を数回はばたかせ大空に舞っていった。

あの鳥が胴体の何倍もある立派な翼を持った鳥だったという事は、その時、羽を大きく広げるのを見るまで俺は知らなかった。今だから言うが、そりゃあ、とてつもない大きさの見事な翼だ。
相棒がいつもうっとうしいくらいに自慢していたんだが、それを見たこともなかったし、俺は話半分に聞いていたからな。
どういう遺伝子操作をすれば、ああいう鳥ができるのか知りたいもんだね。

小さな筒を両方の足に付けてはいるが、一見してそれとはわからないように造られている。伝書鳥が一度大きく旋回してから空高く舞い、あっという間に高い山を越えたのを見届けた後は、俺たちはただ応援が来るのを待つだけになった。

かつて電子メッセージが主流の時代があった。
けれど、世界がネットワークにつながってからというもの、敵に情報を察知されにくい安全な手段はオフラインだけとなった。俺たちがこの世界で取り扱うオンライン上の情報は《誰に見られてもいい情報》だけにするのが鉄則だ。いずれにせよ、この電力も電波塔も存在しない隔絶された村では、迅速かつ安全な伝達手段など他になかった。

木の根の部分を枕にして寝そべると、相棒も安心したように隣に寝ころび、すぐにいびきをかき始めた。そうして相棒と並んで固い地面に寝ころびながら、人生初の大手柄になりそうな予感に興奮したまま月空を見上げると、俺は自分の勘の良さを改めて思った。

俺は勘だけはいい。これまでだって危ない方向を察知して、幾つもの戦いを生き延びてきた。
俺は卑怯者でもなんでもない。自分の命を大切にしてきただけだ。この村の仕事も悪くは無かったが、そろそろ国へ帰りたいと思っていた頃だ。
出世なんか興味は無い。
けれど、おかしなもんだ。俺にも野心はあったらしい。

それにしてもあの女、何故赤ん坊を抱えていたんだ。あの子供、見間違いで無ければ、あれは紛れもなく我々と同じ種族だ。どこへ行っても気味悪がられる、俺たちと同じ容姿。あの女は母親なのだろうか。
いや、種族が違いすぎる。

いったいどういうことだ。今、この辺境の地で何が起こっている?

まぁ、何が行われていても、俺には関係ないことだ。俺たちがここから抜け出せる日は近い。応援が来るまでもう少しの辛抱だ。あとどれくらい時間がかかるだろうか。それまで、少しくらい眠る時間はあるだろう……。

そうやって眠りに落ちる直前、俺は不思議な光景を見た。

二次元映像のような月が、忽然と、その姿を消した。不思議なことに辺りは一向に暗くならず、それどころか明るさを徐々に増した。眠っていた相棒の後姿に沿っていた影は、大きく伸びて移動している。

ついさっきまで見ていた女の影と、地面に伸びた影、そして消えた二次元の月、三つの位置関係の違和感にようやく俺は気が付いた。

あの月は……偽物(フェイク)?

この話をどう伝えるべきか。
俺は何度もこの日に起こった出来事を頭の中で思い出し、今君に話したように、何度も何度も伝えてきたんだ。言っておくが、これは作り話なんかじゃない。
証拠を見せろだと? 俺がここに生きている事こそ何よりの証拠だよ。
帰って国の皆に話さなければ、この話を皆にしている時、俺はきっと英雄になっているはずだと信じてね。

その後どうなったかって?

風が大きな音を立て枯草を揺らし、辺りがライラックの香りに再び包まれた途端に俺は抗えない睡魔に襲われた。
その後、辺境警備隊の上官にたたき起こされるまで記憶がない。それが、今でもとにかく口惜しい。何せ、目覚めた時には相棒は消えちまっていた。
俺はこれ、この通りさ。

これから先、俺はきっとこの悔しさを何度も思い返すことになるんだ。
あの僅か数日後に、全部の手柄を奴に横取りされちまったんだからな。


(第二幕へつづく)

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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