口封じ④─消された異論─「口封じ議事録」と呼ばれる文書に森永重役が関与
このルポにある山田一之さん(広島県)は、重い後遺症を負う娘・暢子さんへの訪問指導を「ひかり協会」に申請するも、四年半もの間、放置された。(詳細は能瀬レポートに譲りたい。)
救済を求めた父親に対し、対応の条件として〝批判(の文書)はなかったことにする〟という文書(議事録)への署名が求められたのが、この事件である。
「批判はなかったことにする」議事録に森永乳業重役・菊地孝生氏が「賛同」
これまで事件を巡る問題を、①世論操作、②被害者統制、③記録操作、の各面からみてきた。
この三つの性格を同時に示すのが、広島の重症被害者の父親の抗議によって発覚した「広島・山田問題」である。
4年以上にわたる改善の放置に、父親が異議申し立て
それは「重症被害者の娘への指導員派遣要請」をひかり協会が長期間握りつぶし放置していた問題であった。この「広島・山田問題」は救済をめぐる協会の怠惰な姿勢の象徴として冒頭に示したように雑誌で報道されている。

『ひかり協会 悪質職員の解職請願』
当時、山田さんは、救済制度の運用に重大な疑問を提示し異議を述べた。これを長期間にわたり無視し続けた「ひかり協会」に対し、娘さんを支える地域住民の支援活動が広がり、以下のように、地域の労働組合が抗議声明を出すなど大きな事件に拡大した。

そこまで火の手が大きくなって、協会はあわてて対応を始めた。そのあとに異常なことがおこった。
一転、要請に応じる、「その代わりに…」
協会は、事実上の「鶴の一声」で山田さんの要請に対応すると言い出した。
ところが、そのかわりとして山田さんは、「異論はなかったことにする」という「議事録」へのサインを迫られたのだ。
この議事録は通常の会議記録とは異なり、個別案件協議の中で作成された内部文書とみられる。存在を知るのは、署名者など限られた関係者にとどまる可能性が高い。
議事録というより「確認書」か?
この文書、会議の経過を記録した議事録というより、あらかじめ内容が整理された「確認文書」に近い性格を持つようだ。
能瀬英太郎のルポは詳細だが、この議事録に森永乳業重役の署名が入っている点は、紙数の制限もあり、これまで明かされてこなかった。このような不祥事の全貌が公表されるまで最低でも十年から数十年もかかるとは、見事な封殺体制である。重症被害者に20年の「除斥」の制約を安易に課すことの不当性も、同時に示している。
能瀬も指摘しているが、「鶴の一声」は、協会の施策が世間で信じられているような「基準に基づく」救済なのか、それとも、「批判が高まったときだけ動く個別対応」なのか、つまり恣意的運用がなされているのではないか、という本質的疑いを濃厚にしている。
こうした対応は、制度的救済というより、被害者を放置状態におき、批判の芽をその都度摘み取る“対症療法”的運用と見られても仕方がない。
まとめると、
1.被害者家族が異議を出す
2.長期間放置
3.外部圧力(世論・労組など)で一転対応
4.その代わりに「沈黙」を要求
5.記録上で「問題なし」として事実を隠蔽
いや、“対症療法” はソフトすぎる表現かもしれない。 現実には、“各個撃破型” “もぐら叩き型” の統制支配とも言える。
さらに、次の事実は、運用のあり方云々をはるかに越える意味を持つ。
「口封じ議事録」に、森永乳業重役が直接関与
実は…「異論はなかったことにする」として、山田さんの口を封じる目的をもつと思われる「議事録」のなかに、森永乳業の菊地孝生氏の氏名が入り、具体的な動きをしている。
これは救済制度の運用だけでなく、意思決定の透明性に関わる重大な問題である。森永は現在の裁判公判でも、ひかり協会の意志決定に関与していないことをたびたび強調してきたからだ。

『第6回広島事務所救済懇談会議事録』(マル秘扱い) より
墨み塗りと下線は岡崎による。
意志形成の過程が歪められている運営実態の証明
議事録とは、本来、何が議論されたかを後世に残すための記録である。その議事録が、異論を残さないために作られたとすれば、それは記録ではなく、事実の隠蔽であり、歴史の書き換えである。
同時に、意思形成の過程そのものを歪める行為が存在した記録となる。
つまり、「ひかり協会」は、こういうやり方を積み重ねて重症被害者家族を包囲して「口封じ」をし、「異論はなかった」ことにしながら、その事業の「無謬性」(妥当性)を演出してきたと推測されても仕方あるまい。
能瀬レポートは、この出来事を単発のトラブルとしてではなく、被害者の異議申し立てが、「制度」の中でどのように扱われてきたのかを示す象徴的事例として位置づけている。
「批判は無かったことに」する、と「意見をもとめられた」森永乳業の重役も「確認」「賛成」
議事録は森永乳業重役の関与で確定していた。
しかし、それにしても、自社が傷つけた重症被害者の父親に、よく、このような工作ができるものである。被告・森永乳業は、今裁判で「ひかり協会の運営には関与していない」と述べているが、事実は逆だ。
いわんや、被告の「ご意見をうかがいながら」口封じを進めている「団体関係者」には、呆れるほかはない。
加害企業・森永乳業の重役と役員が二人も直接関与する形で発生したこの事件は、現在進行中の大阪訴訟での被告主張の信ぴょう性を考える上でも、看過できない重大な問題である。もっとも、裁判所が、この事実を見れば、の話だが…。
記録が消されるとき、歴史もまた消される。
菊地孝生氏の「ご活躍」については弁護団声明をご参照。
【資料】
重症被害者の父親を素行調査…「正体不明」の者による威圧と監視。

『中国新聞』 2003年7月9日付記事

山田さんを尾行したかのような「素行調査」が実に9年もの長期にわたって続けられ、この「記録」を何者かが、山田氏の周囲にばらまき、彼を「敵」として排除せよ、と言わんばかりの宣伝活動をした。空洞化した制度への批判の封殺に力点がおかれている異常な体質が窺われる。
閉鎖社会の空気が根深く作られている。

これ以上、あまり多くを語る必要がないほどの密室の運営体制である。
中国新聞 「ひかり協会、救済不十分」 ヒ素ミルク事件 広島の被害者父、弁護士会に申し立て
「ひかり協会、救済不十分」 ヒ素ミルク事件
■広島の被害者父、弁護士会に申し立て
森永ヒ素ミルク事件で長女が被害を受け、重い障害を負っている広島市安芸区の山田一之さん (84) が八日、 大阪市に本部を置く被害者救済団体 「ひかり協会」の救済対策が不十分だとして、 広島弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立てた。
申立書によると、山田さんの長女暢子さん (48) は、 ヒ素ミルク中毒が原因で、 身体障害と重度の知的障害がある。
一九八一年、養護学校に入学し、 教育の遅れを取り戻そうと八五年、 協会に祝日の訪問指導を申請したところ、認められるまでに四年以上かかった。 障害者に対する年金や体損害の支給額、死亡者遺族に対する補償額も、当初取り決めた方針より低く抑えられたままになっている。
さらに、訪問指導の遅れをただす質問状を送ったのに回答がなく、 逆に協会は山田さんの行動記録を関係者に流すなど、報復とも取れる行動を取って、プライバシーを侵害したとしている。
協会は、森永が負担した資金で、 被害者救済のために七四年に設けられた財団。 被害者らでつくる「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が提唱する「恒久対策案」を尊重して、救済対策を実施することになっている。
協会の平松正夫常任理事は「話し合いを重ねて理解を得る努力をしてきた。 これまでの経過や背景を踏まえ、 山田さんに真意を聞いてからでないとコメントできない」としている。【写真説明】 広島弁護士会に人権救済を申し立て、書類に目を通す山田さん。
読売新聞 森永ヒ素ミルク事件
「被害者対策が不十分」 父親が人権救済申し立て
森永ヒ素ミルク事件
「被害者対策が不十分」 父親が人権救済申し立て
一九五五年に西日本を中心に発生した「森永ヒ素ミルク事件」で被害者救済にあたる「ひかり協会」(本部・大阪市)と被害者団体「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」(同・岡山市)の対策事業や被害者への対応が不十分だとして、守る会会員の倉敷市老松町、無職榎原伊織さん(72) が二十四日、岡山弁護士会に人権救済の申し立てを行った。
それによると、榎原さん長女は乳児期に問題の粉ミルクを飲用し、高校時代に後遺症の精神疾患を発症。自殺未遂を図るなど不安定な状態が続き、就職できず、現在は国からの障害者年金(月額約六万七千円)と、同協会から月額約七万五千円の手当金 医療費補助などを受けている。
榎原さんは、七四年のひかり協会発足時に守る会が定め、森永側も尊重する」とした恒久対策案が完全に実施されていない上、窮状を訴えようとした守る会総会への出席を拒否され、人権を侵害されたと主張。「後遺症で自立した生活が送れない被害者にとって、将来への不安は増すばかり」と話している。
ひかり協会の平松正夫常任理事は「誠実に対応してきただけに、申し立ては「不本意」と話し、守る会の平松邦夫副理事長は「社会に理解を得られる要求ではなく、混乱を避けるため総会出席を断った」としている。
ひかり協会職員就業規則第三十六条に基づく悪質職員の解職を求める請願
ひかり協会職員就業規則第三十六条に基づく悪質職員の解職を求める請願
私の長女暢子は昭和三十年八月森永粉乳事件で罹患し重度の精神遅滞です、さる昭和六十年五月十二日「ひかり協会広島事務所」(被害救済財団法人)に事業の根幹である「発達自立」を実現するために「訪問指導」をお願いしました。ところが同年九月三十日付けで、理不尽にも書面にて拒否の解答がありました。
理由をお尋ねしても六箇年を過ぎようとする今日、再三の要請にもかかわらず未だ回答を頂くことができません。
毎年五月一日発行の機関誌「ふれあい」で発表されている一覧表の内容にによれば当然実施されるべきものであり、社会的にも公表しており、これを拒否することは出来ないよう関係者の間で約束されています。
にもかかわらずそれを拒否することは職員の専横によって被害者を無視し踏み躙る行為であり、協会の権威が問われる重大な問題であります、断じて許すことは出来ません。
就業規則の第七条には職員は就業規則を守り事業に全力をあげ日夜研鑽に努力するよう規程されています。
かかる行為は「寄付行為」に違反し就業規則第三十六条の解職の条項に適合します。
このように反省しようともしない悪質職員は協会設立趣意書にもとり、職員として不適格であります、よって関係者ならびに賛同者の署名を添え解職を求めるとともに、併せて関係役職員の処分を含め早急に対処されるよう請願します。
一九九一年二月十五日
財団法人ひかり協会
理事長 西尾雅七殿
広島市●●●●●●
山田一之
山田一之発行
1991年2月15日
森永ひ素ミルク中毒患者の完全救済に関する決議/動力車広島OB
森永ひ素ミルク中毒患者の完全救済に関する決議
昭和三十年に発生した森永ミルク中毒事件は、親と支援する仲間たちの長い運動の結果、昭和四十八年十月厚生省の提唱で三者会談(国・森永乳業・守る会)が開催され、その合意にもとづき総ての被害救済機関として「財団法人り協会」を設立するに至りました。
当時動力車労組は第二十五回全国大会に於て森永全製品の不売 (買) 運動を決議し、被害者の運動を支援してきました。 図らずもこの運動は全国津々浦々に燎原の火となって拡まり三者会談の糸口をつくりました。
会員山田一之氏の長女暢子さんは不幸にもこの事件に遭遇され現在重度の精神遅滞です、
こうしたなかで去る昭和六十年五月十二日 「ひかり協会広島事務所」に事業の根幹である「発達自立」を目指し、その目的を達成するために「訪問指導」を申請しました、ところが同年九月三十日付けで理不尽な書面にて申請内容は「妥当であると判断しかねる」といういわば拒否の回答がありました。 これを不服として書面を返送しその後も再三要請致しました、ようやく昭和六十三年四月協会本部が来広指導し「やるべき事業だからやります」 と言い徐々に取組が始まりましたが三年も経過した理由については現在に至っても明らかではありません。
協会本部は現地のことといい広島事務所は力量など考慮した結果だといって責任のなすりあいです。
設立趣意書には「被害者は人生のうちでもっとも重要な時期を迎えており一日も早く救済の措置を取られることが望まれ、今日および将来にわたって全被害者の救済を図るため設立されたもの」とあります、しかし三年間も放置したことは職員の専横によるものか被害者を愚弄する行為なのか、協会の権威が問われる重大な問題であります、絶対に許してはなりません。
就業規則第七条によれば職員は事業に全力をあげ日夜研鑽に努めるよう規定されています、しかるにこの様なことが起きたのはなぜなのか、被害者としては大変不安です、三年間も放置したことについて徹底して究明し原因を明確にして被害者が将来に亘り安心して生活のできるようきびしく措置されるよう強く要望し決議とします。
一九九一年五月二十四日
動力車広島地方OB会
第五回定期総会
財団法人ひかり協会
理事長 中川米造殿
動力車広島地方OB会 第五回定期総会
1991年5月24日
以上
