【第3章】 第65話

【第3章】第65話 観測固定


バニラアイスのマリーナに船を停泊し、
一行は近くに宿も確保していた。

人数も増えてきた以上、
全員で常に行動するのは非効率。

そして、
海という未知の領域では、
緊急時の集合場所も必要になる。

その結果——

「作戦会議や集合場所は、
基本的に船で、でいいよね?」

という真琴の提案に、
全員が納得していた。



「船長、ちょっと僕と動いてくれるかな?」

リオが、
船長へ軽く手を振った。

「ん?
構わねぇが、何する気だ?」

「ちょっと海側の情報確認〜」

軽い調子でそう言いながら、
リオは街へ消えていく。

だが、
あの少年が“軽い調子”の時ほど、
碌でもない情報を拾ってくる事を、
真琴たちは既に知っていた。



「私たちは、
それとなくルクレッツィアお姉様の同行を探って参りますわ」

セラフィナが優雅に一礼する。

その隣で、
ルナミナもこくこくと頷いた。

「お父様の近く、
普通に捕まりそうだし」

「お前はもう少し危機感を隠せ」

真琴が呆れる。

だが、
ルナミナの感覚は案外正しい。

ルクレッツィアは、
『お父様』からの拒絶に、一旦引いた形となっている。

「では、
私たちは潮騒の魔女の所でしょうか?」

クラリスが、
ヴィクトルと両親へ確認するように視線を向けた。

そして、
真琴、フィオナ、レオンハルトへも。



「そうだね……」

真琴は少し考える。

「フィオナには、
実際の治療法とか確認してほしいし」

「相手が“魔女”なら、
私も魔法ログを見てみたい」

「でも、
この人数でゾロゾロ押しかけるのも、
流石に非常識じゃありません?」

クラリスが冷静に突っ込む。

確かに。

海洋都市の裏側で動く“魔女”相手に、
大人数で押しかけるのは、
むしろ警戒されかねない。



「クラリス」

ヴィクトルが口を開いた。

「お前は、
両親と真琴、フィオナと一緒に行ってこい」

「え?
お兄様は?」

「俺は、
レオンハルトと少し話がある」

「俺?」

突然名前を呼ばれたレオンハルトが、
きょとんと首を傾げる。

「ああ。
今回は、
魔法庁側の研究結果を共有しておこうと思ってな」

そう言いながら、
ヴィクトルはレオンハルトの肩を
がしっと掴んだ。

「え、
なんか嫌な予感しかしないんだけど」

「安心しろ。
俺もだ」

「お前が言うと安心できねぇ!」



ヴィクトルは、
マリーナから少し離れた浜辺まで移動した。

流石に、
ここ最近の異常事態の影響もあるのだろう。

初夏に入りかけた海辺にも関わらず、
人影はほとんどない。

潮風だけが、
静かに砂浜を撫でていた。



「んで?
俺をどうしたいんよ?」

レオンハルトは、
両腕を頭の後ろへ回しながら、
軽い調子で聞いた。

「お前も感じていると思うが、
今回は相当アウェーな戦いになる」

ヴィクトルは海を見たまま答える。

「それには、
俺にしろお前にしろ、
まだ力不足だ」

「だからって、
筋力アップは一朝一夕じゃ出来ねぇぞ?」

「ああ。
レオンが見かけによらず努力家なのは知ってるさ」

「見かけによらずは余計だろ?」



そう。

レオンハルトは、
決して才能だけの男ではない。

毎日の素振り。

剣技訓練。

走り込み。

基礎体力作り。

地味な努力を、
誰よりも積み重ねている。

だが——

それは、
あくまで“人間の範囲”での鍛錬だった。



「だがな」

ヴィクトルの声色が、
少しだけ変わった。

「今回必要なのは、
人間の努力で届く領域じゃない」



潮風が吹く。

静かな浜辺。

その中でヴィクトルは、
ゆっくりと言葉を続けた。

「魔法庁は、
ずっと研究していた」

「“超格存在の干渉圧”に、
人間がどこまで耐えられるのかをな」



「……は?」

レオンハルトの表情が、
僅かに固まる。

「魔力量や術式規模の話じゃない」

ヴィクトルは静かに続ける。

「問題なのは、
“存在そのものの圧”だ」

「水晶竜。
セラフィナ達。
そして恐らくヒュドラもそうだろう」

「あれらは、
近くに存在しているだけで、
周囲の世界を書き換えている」



「世界を書き換える……?」

「ああ」

ヴィクトルは頷いた。

「普通の人間は、
その干渉圧に耐えられない」

「精神が歪む。
肉体が壊れる。
最悪、
存在定義そのものが侵食される」

結晶化。

汚染。

異形化。

それらは全て、
“超格存在に世界側の判定を上書きされる”
現象だった。



「だが、
魔法庁は一つの仮説へ辿り着いた」

ヴィクトルが、
ゆっくりとレオンハルトを見る。

「干渉圧の中でも、
自我を保ち続ける人間がいる」

「……それが、
竜騎士適性?」

「ああ」



「竜騎士ってのは、
竜を従える存在じゃない」

ヴィクトルは静かに言った。

「“竜の干渉圧へ耐え、
なお自分を保てる人間”だ」



レオンハルトは、
無意識に息を呑む。

「お前、
自覚なかったのか?」

ヴィクトルが呆れたように笑った。

「水晶竜の前で、
正気を保ったまま立っていた時点で——」

「お前は、
もう普通の人間側じゃない」



潮騒だけが響く。

その言葉は、
冗談ではなかった。

そしてレオンハルト自身も、
どこかで理解していた。あの時。
あの巨大な存在を前にして
なお、自分は剣を握っていた事を。



「あの水晶竜は、
待ち続けて神格化まで進んでしまった」

レオンハルトが、
ぽつりと呟く。

「デートっていうのは、
男が待たせちゃいけないよな?」

「竜の背中に乗る事をデートって表現できるお前が凄いよ」

ヴィクトルは呆れたように笑った。

「だが——
そのくらいの構えの方が、
ああいう連中には理屈が通じるもんだ」



そう言いながら、
ヴィクトルは懐から一冊の冊子を取り出した。

いや。

冊子などというレベルではない。

分厚い。

異様なほどに、
紙束が詰め込まれている。

革紐で無理やり束ねられた、
研究記録。



「……なんだそれ」

「魔法庁の秘匿研究資料だ」

さらっと言った。

だが、
内容は全くさらっとしていない。

レオンハルトの表情が引きつる。

「いや待て。
普通に持ち出していいもんなのか?」

「よくない」

即答だった。

「バレたら懲戒免職どころじゃ済まん」

ヴィクトルは、
心の中で苦い唾を飲み込む。

本来なら、
外部閲覧どころか、
上層部許可無しでは研究主任ですら閲覧制限がかかる資料だ。

だが——

今更、
組織ルールだけを守ってどうにかなる段階ではない。



「魔法庁は、
昔から“竜”を研究していた。
古代に生息していた存在を信じていた研究者もいたんだ」


ヴィクトルは冊子を開く。

中には、
大量の術式図。

人体構造図。

精神汚染経過。

魔力循環モデル。

そして、
異形化した研究者達の記録まで並んでいた。



「うわ……」

流石のレオンハルトも顔をしかめる。

「なんつーもん研究してんだよ……」

「必要だったんだよ」

ヴィクトルは低く答えた。

「王国は、
昔から知っていた」

「人類では、
超格存在に勝てないと」



ぱらり。

ヴィクトルがページをめくる。

そこに描かれていたのは、
巨大な竜骨と、
その周囲で崩壊した術式陣だった。



「通常魔法は、
干渉圧で術式そのものを書き換えられる」

「だから近代魔法は、
高位存在へ通用しない」

「じゃあどうする?」

ヴィクトルは、
そこで一度レオンハルトを見る。

「——耐えるんだよ」



「耐える?」

「ああ」

「世界を書き換えられる前に、
自分自身を固定する」

「それが、
竜騎士理論の本質だ」



ヴィクトルは、
さらに別ページを開いた。

そこには、
古い文字でこう記されていた。

『観測固定』



「魔法庁は、
これを“観測固定術式”と呼んでいた」

「存在定義の自己固定」

「簡単に言えば——」

ヴィクトルは、
レオンハルトの胸元を指で軽く叩く。

「自分を、
世界へ上書きされない為の術式だ」



潮風が吹く。

波の音だけが響いていた。

レオンハルトは、
いつもの軽口も忘れ、
資料を見つめている。

「……そんなもん、
人間に出来るのか?」

「普通は無理だ」

ヴィクトルは静かに言った。

「だから魔法庁も、
ずっと理論止まりだった」



そして。

ヴィクトルは、
少しだけ笑う。

「だが、
お前は既にやっている」

「水晶竜の前で、
剣を折らずに立っていた」

「それ自体が、
異常なんだよ」



レオンハルトは、
ゆっくりと海を見る。

あの時。

圧倒的だった。

恐怖もあった。

だが——

逃げたいとは、
思わなかった。



「……なるほどな」

レオンハルトは、
小さく笑った。

「ようやく、
俺が化け物側って自覚出てきたわ」

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