【第3章】 第67話
【第3章】第67話 まだ来ていない
老人は、話を終えるとゆっくりと席を立った。
その背を見送りながら、船長はリオの前に座り直す。
「曖昧だな。七人が消えたあと、魂が抜けたまま戻ってきたのが一人、か」
それ以降も、年に一度ほど同様の事件が続いているという。
「幽霊船は一つじゃない。昨日姿を見せたのは、どこかの国の客船だ」
「その乗員や乗客もか?」
リオの問いに、船長は頷いた。
「戻ってくるが……記憶を失い、呆けたままだ」
「はぁ……もう少し具体的な話が欲しいな」
リオは小さく舌打ちし、卓をトントンと指で叩いた。
そのとき、先ほどの老人が戻ってくる。
「あまり、このマックス坊やを困らせんでくれ」
「おい」と船長が止めるが、老人は肩をすくめた。
「困らせているつもりはない。だが情報は必要だろう?」
リオは視線だけで続きを促す。
「言い伝えならある」
老人は顎髭を撫でながら、ゆっくり言った。
「クラーケンの娘。沖合に霧が立ち込めると、美しい娘の歌声が聞こえるという」
一拍置き、声を落とす。
「だが、その姿を最後まで見た者は……魂を抜かれ、海へ放り出される」
「……ほう?」
リオの目が細くなる。
「クラーケンの娘、ね」
短くそう呟くと、酒代を卓に置き、リオは立ち上がった。
「十分だ」
そのまま、店を出る。
⸻
海風が強い浜辺へ出ると、リオはすぐに気配を探した。
「おーやってる、やってる」
砂浜ではヴィクトルとレオンハルトが剣を振るっている最中だった。
「なんだリオ!冷やかしか?」
息を切らしながらも軽口を返すあたり、余裕はまだあるらしい。
「違うよ。差し入れ」
リオが紙袋を掲げると、二人の動きが止まった。
「休憩か?」
「同感だ」
紙袋をほぼ奪うように受け取り、中を覗き込む。
飲み物、フィッシュ&チップス、スペアリブ、黒パン。
「今は漁に出られないから、ちょっと塩強めね」
「運動後だから問題ない!」
レオンハルトは即座にかぶりついた。
「で、これってさ」
ヴィクトルが咀嚼しながら言う。
「深海生物への対抗策って認識でいいのか?」
「ああ。魔法庁で研究してたやつを、現場用に落としてる」
「なるほどね……じゃあ僕も考えとく」
レオンハルトが頷く。
「ドワーフの道具屋、行ってみるよ」
「真琴に魔改造させるなよ」
リオが即座に返す。
「もちろん。楽しい仕様にするだけ」
「そういう所だ!」
二人が同時に突っ込む。
リオは軽く笑って、砂を払いながら立ち上がった。
「じゃ、次はBプランも考えとくか」
その一言に、ヴィクトルが眉をひそめる。
「Bプランって何だよ」
「聞かない方がいいやつ」
リオはそれだけ言って、視線を海へ向けた。
一瞬、波の音がズレる。
風が止まる。
だが、誰もそれを確信にはできない。
「……今の、なんだ?」
ヴィクトルの呟きに、レオンハルトが首を振る。
「気のせいだろ」
リオだけが、ほんのわずかに目を細めた。
「まだ来てない」
小さく、そう言う。
「ただ……近い」
⸻
──別海域・狭間観測領域──
魔人という存在は、人間よりも遥かに多くの魔力を持つ。
そして、その使い方もまた異なる。
セラフィナとルナミナは、魔人と人間のハーフだ。
彼女たちは今、“狭間”と呼ばれる領域を用い、気配を断ち観測していた。
オルフェウスが扱う空間とは異なるが、構造としては近い。
目的は一つ。
ルクレッツィアの監視。
「お姉様、動くと思う?」
ルナミナの問いに、セラフィナは即答しない。
少し間を置いてから答える。
「動くでしょうね」
「やっぱり?」
「お父様の関心が自分から外れかけている状態で、彼女が止まるとは思えない」
セラフィナの声は淡々としていた。
「それが彼女の“核”だから」
「重いねぇ」
ルナミナは肩をすくめる。
だがすぐに、ふと視線を落とした。
(もし私がセラフィナの立場だったら……)
そんな考えが一瞬よぎる。
完全には否定できない感覚だった。
セラフィナは続ける。
「それに、私たちが真琴たちと合流している以上……お父様の探し物と、同じ線上にある可能性が高い」
「同じ線?」
セラフィナは海の方角を見つめる。
「ヒュドラよ」
ただし、その言葉は断定ではない。
「再生力の強い、不死に近い存在……そう呼ばれているものがいる」
「ふーん……でも確定じゃないんだ?」
「ええ」
セラフィナは静かに言う。
「まだ、そこまで見えてはいないわ」
海の向こうで、波が一つだけ重く沈んだ。
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