【第3章】 第68話

【第3章】第68話 境界の海

ルクレッツィアを監視する目的がある傍ら、
ルナミナは悩んでいた。

先日の、
セラフィナの魔法覚醒についてだ。

元々、
“整える”というキーワードによる魔法は、
精神感応系――
人の意識を目的に合わせて誘導・移動させるものだと説明されていた。

だが、
ルナミナはそう思っていない。

セラフィナが氷魔法へ目覚めた姿を見て、
もっと奥底に、
その魔法の“真意”がある気がしていた。

だが、
それは人のことだ。

今、
ルナミナが悩んでいるのは、
自分自身の力についてだった。

海――

それは、
完全なる“敵のフィールド”。

その圧倒的な環境に対して、
自分の力はあまりにも小さい。



ルナミナの魔法は、
液状化した闇で様々なものを覆う魔法。

さらに、
闇魔法による傀儡道化師の生成。

闇で意識を奪った人間の、
汚染・消化。

だが、
どう考えても海という環境では、
セラフィナやルクレッツィア――
あるいは“お父様”にすら、
到底及びそうにない。

「干渉圧か」

ルナミナは、
液状化した闇魔法を展開してみる。

薄く、
広く。

地上から空へ向けて、
膜のように覆っていく。

どんな形にも変えられる魔法。

ふと、
ルナミナは空間へ広げていた闇魔法を、
傘が折り畳まれるように、
ぎゅっと窄めてみた。

円錐形だったその形状を、
さらに細く、
さらに鋭く。

強度そのものは高くない。

だが――

こんな“針”なら、
無数に作れそうだった。

一度解除し、
今度は手の中へ収まる程度の球体を作る。

その瞬間――

球体から、
無数の針が飛び出した。

「ウニ!」

ルナミナは、
クスッと笑って魔法を閉じた。

「私の魔法は……暗殺系だわ」

魔法には、
想像力が必要だ。

さらなる高みへ至るためには、
自分自身の“到達点”を描かなければならない。

そうでなければ、
どれほど優れた魔法であっても、
宝の持ち腐れなのだから。



真琴たちは、マリーナから岩壁へと向かっていた。
メンバーは、真琴、フィオナ、クラリスとその両親――五人。

「ここから坂になりますけど、大丈夫ですか?」

結晶化が進んでいる身体を引きずりながら、
クラリスの両親は泣き言も言わず歩いている。

だが、
息が上がっているのも事実だった。

「大丈夫よ。このくらい大した事ないわ」

母親がそう言い、
父親も静かに頷く。

クラリスは、
そんな二人を見て不安そうな顔をしていた。

「無理言ってでも、リオに来て貰えばよかったわ。
船引きずった浮揚術式、見とくんだった!」

真琴がぼやく。

目に見えている距離よりも、
遥かに遠く感じる道のりだった。

潮騒の魔女の家に着いた時には、
全員の息が上がっていた。

コンコン……

ドアをノックする。

中から、
「どうぞ」
と女性の声がした。

岩壁の先に建つ家は、
塩風へ耐えられるよう、
塩害対策の魔法が施されている。

そして――

真琴が近づいた瞬間、
ピコン、と魔法ログが開いた。

『環境維持術式を確認』

『塩害分解式――常時循環中』

『結界系統:生活保護型』

『術式構造――一部、古代式と酷似』

「……え?」

真琴の足が止まる。

ただの“海辺の魔女”ではない。

その家そのものが、
異常なまでに完成された“術式”だった。



家の中は、意外と広かった。

入ってすぐは、パーテーションで仕切られたベッドに
数人の人間が横たわっている。

隣接して、別部屋の入り口が3つある。
その一つから年配の女性が1人出てきた。

「何用かい?今日は予約はなかったはずだ」
深く刻まれた皺が年齢を物語る。

フィオナがずいっと出て挨拶を代表してくれた。
「私たちは…」

「ちょっ、ちょっと!そこの2人、病人じゃないかい!
早くこっちのベッドに横にしてやりな」

名乗るよりも先に、年配の女性はクラリスの両親を
奥のベッドへと案内した。

「その身体じゃ辛かっただろう?」

年配の女性は、キッと真琴達を睨んだ。
「こんな状態の2人を歩かしてきたのかい!」

「あっ、その…」クラリスがオロオロと震えだしてしまった。

「娘達を責めないでくれ。私たちがいっしょに歩いていくといったのだから」
グレアム・シュバルツが言った。



グレアムとエマをベッドへ寝かせた後、
真琴達は隣室へと移動した。

部屋の中は、
本と紙束で半分埋まっている。

大きな机の上には、
魔法陣の描かれた紙、
薬草、
乾燥した海藻、
結晶片のようなものまで乱雑に置かれていた。

「女の子三人もいると早いねぇ」

テレシアが呑気に笑う。

流石にこのままでは座れず、
真琴達は先に軽く片付けを始めた。

やがて、
フィオナがお茶を配る。

「まずは自己紹介でしょうか」

「私は高瀬真琴です」

「クラリス・シュバルツです。先ほどの二人は両親のグレアムとエマです」

「そして私はフィオナと申します」

「潮騒の魔女様」

フィオナが丁寧に頭を下げると、
テレシアは嫌そうに眉を寄せた。

「その呼び方は好きじゃないねぇ。
テレシアでいいよ」

「では、
テレシアさん」

フィオナが微笑む。

真琴は、
さっそく本題へ入った。

「色々聞きたいことがあります」

「こっちもさ」

テレシアは椅子へ腰掛けながら、
ちらりと隣室を見た。

「アンタ達、
ここへ来る途中で変な連中を見なかったかい?」

「変な?」

「ぼーっと歩いてる奴らさ。
呼びかけても反応が薄い。
中身だけ抜けたみたいな連中」

その言葉に、
クラリスが小さく顔を曇らせた。

「港で見ました……」

「だろうね」

テレシアはため息を吐く。

「今、
この島で診てる病人は大きく二種類」

一本、
指を立てる。

「一つは、
魂が抜け落ちたみたいになる患者」

続いて、
二本目。

「もう一つは、
身体が石や結晶みたいに変質していく患者さ」

真琴が眉をひそめた。

「原因は別なんですか?」

「ああ。
別物だね」

テレシアは、
机の上の資料を軽く叩く。

「魂を持っていくのは、
“海の娘”」

「海の娘……?」

「クラーケンの娘さ」

空気が、
一瞬で重くなった。

フィオナが目を見開く。

「本当に存在していたのですか……」

「存在してるとも。
しかも性質が悪い」

テレシアは肩を回した。

「あれは人を喰うんじゃない。
“意識”を引きずる」

その言葉に、
真琴の脳裏へ、
海の底から感じた不快な感覚が蘇る。

「歌……」

無意識に呟いた瞬間、
テレシアの視線が真琴へ向いた。

「聞いたのかい」

「少しだけ」

「運が良かったねぇ。
完全に聞いてたら、
今頃あんたも抜け殻だった」

静かにそう言う。

そして、
テレシアは続けた。

「もう一つ――
石化側はバジリスクだ」

クラリスの肩が揺れる。

「バジリスク……」

「正確には、
視線と魔力汚染の複合型さ」

真琴の脳裏に、
魔法ログが浮かび上がる。

『生体構造固定化現象を確認』

『外部干渉による肉体情報停止』

『進行性石化汚染』

「固定化……?」

真琴が呟く。

「そう。
肉体を“生きたまま止める”」

テレシアは静かに紅茶を飲んだ。

「完全固定される前なら、
まだ治療の余地はある」

クラリスが、
少しだけ安堵した顔になる。

だが――

テレシアの表情は晴れていなかった。

「……けど」

空気が変わる。

「アンタ達の両親は、
少し違う」

クラリスが息を呑む。

「違う……?」

「石化じゃないんですか?」

真琴の問いに、
テレシアはゆっくり首を振った。

「似てるだけさ」

その一言で、
部屋が静まり返る。

「確かに結晶化は進んでる。
だが、
内部がまだ動いてる」

「内部?」

「普通の石化なら、
もっと“止まる”んだよ」

その瞬間、
真琴の脳裏でログが明滅した。

『対象内部に魔力循環を確認』

『結晶内部――微弱活動反応あり』

『通常石化症状と不一致』

真琴が顔を上げる。

「生きたまま……
変質してる?」

「その表現が近い」

テレシアは頷いた。

「むしろ、
身体そのものが別物へ置き換わり続けてる」

クラリスの顔が青ざめる。

「そんな……」

「安心しな」

テレシアは、
そこで少しだけ笑った。

「少なくとも、
今すぐ死ぬ状態じゃない」

クラリスが小さく息を吐く。

だが、
テレシアはすぐ真顔へ戻った。

「ただし、
これはバジリスクじゃない」

波音だけが静かに響く。

「じゃあ……
何なんですか?」

真琴が問う。

テレシアはすぐには答えず、
じっと真琴を見た。

まるで、
何かを確かめるように。

「アンタ達……
どこまで“海の底”を見た?」

その瞬間、
真琴は確信した。

この人は知っている。

ただの海辺の治療師じゃない。

真琴の脳裏に、
家へ入った瞬間のログが蘇る。

『環境維持術式を確認』

『塩害分解式――常時循環中』

『結界系統:生活保護型』

『術式構造――一部、古代式と酷似』

偶然ではない。

この家そのものが、
高度な術式で維持されている。

しかも、
現代魔法とは構造が違う。

「テレシアさん」

真琴が静かに口を開く。

「この家の魔法……
誰に教わったんですか?」

クラリスとフィオナが驚いた顔をした。

だが、
テレシアは否定しなかった。

「……見えるのかい」

「少しだけ」

「厄介な目だねぇ」

困ったように頭を掻く。

「普通の魔導師なら、
気付きもしないんだけどね」

そして、
積まれた古書へ視線を落とした。

「昔、
ある術者に教わった」

「古代術式ですか?」

「今はそう呼ばれてるね」

真琴の空気が変わる。

「やっぱり……」

「全部知ってる訳じゃないさ。
けどね」

テレシアは静かに言った。

「アンタ達の両親の症状」

「それと、
海の底にある“アレ”は、
同じ匂いがする」

静寂。

波の音だけが聞こえていた。

「古い術はね」

テレシアがぽつりと呟く。

「時々、
生き物と世界の境界を曖昧にするんだよ」

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