【外伝】渇きに一滴の潤いを…

【外伝】渇きに一滴の潤いを…


帝国の第一王女が隣国へ嫁ぐ。

戦争に敗れたわけではない。

飢饉に苦しむ貧しい国でもない。

それにもかかわらず、帝国は第一王女を側室として差し出してきた。

執務室で書簡を読み終えたアレクセイ王は、小さく息を吐く。

「どう思う?」

向かいの席では、コレット皇后が優雅に紅茶を口にしていた。

「グレアム候も受け入れて問題ないと判断したのでしょう?」

「だから受けたのだがな」

アレクセイは苦笑する。

「お前が嫌なら、今からでも断るぞ」

コレットは目を丸くした。

「もう出立しているのでしょう?」

「うむ」

「なら駄目です。そんなことをしたら、あの王女が可哀想ですわ」

即答だった。

アレクセイは肩を竦める。

「ふむ。では人質か?」

「かもしれません」

「スパイか?」

「その可能性もありますわね」

コレットはカップを置いた。

「でも――」

その瞳が僅かに細くなる。

「第一王女を側室として送り出すなんて、どう考えても妙ですもの」

アレクセイも頷いた。

普通ならあり得ない。

王族の婚姻は国同士の格を示すものだ。

まして第一王女ともなれば尚更。

「何か事情がある、と?」

「ええ」

コレットは微笑んだ。

その笑みを見たアレクセイは少しだけ同情する。

誰に対してか。

もちろん、まだ見ぬ帝国の第一王女に対してである。

「ならば調べますわ」

コレットの目がきらりと光った。

「私の出番ですもの」



第一王女を送り出した側の帝国にて

「エレオノーラは、出立したのか?」
愚帝王が皇后に聞いた。

「ええ、問題なく出立いたしましたわ」

「エレオノーラには、話したのか?」

「何をです?」

「今回の婚礼についての役目だ」

皇后は扇で口元を隠した。

「まさか」

「知らせる必要などございませんわ」

「あの子は昔から融通が利きませんもの」

「余計な事を知らぬ方が自然に振る舞えます」

一拍置いて、忌々しげにつぶやいた。

「色気もへったくれもない堅物王女にアレクセイ王誘惑は無理ですもの。それならば…と私の侍女に良く言い含めましたわ」

「我が帝国が謙り、第一王女を差し出すのだ。あの賢王と名高いアレクセイでも油断はするかの」

「まあ、失敗しても王女の我儘で通しましょう。それくらいの役には立ってもらわないとね」



馬車が王都へ到着した。

迎えるのはアレクセイ王とコレット皇后。

さらにジェイク侍従長、グレアム筆頭執務官をはじめとする重臣たちも並んでいる。

やがて護衛たちに囲まれた馬車の列が門をくぐった。

ジェイクが眉をひそめる。

「……帝国の第一王女だったよな?」

「ああ、そのはずだ」

グレアムも同じ違和感を抱いていた。

「三日前の第二王女の結婚式の話は聞いているだろう?」

「王都中を埋め尽くすほどの祝賀だったってやつか」

「女神の降臨かと思った、とまで噂されていたな」

だが目の前にあるのは――。

護衛も少ない。

持参品を積んだ荷馬車もわずか。

王女の輿入れというより、地方貴族の娘の嫁入りの方がまだ豪華だ。

グレアムは額を押さえた。

「……うちの娘の婚礼の方が豪勢だったぞ」

「言うな。俺も同じことを考えてた」

馬車が完全に停止する。

先頭の護衛騎士が慌てた様子で馬から降りた。

本来ならば、王女の到着に合わせて持参品が並べられる。

宝飾品。

調度品。

ドレス。

侍女たち。

王家同士の婚姻であれば、その国の威信を示す品々が続くはずだった。

だが――。

グレアムは無言になった。

ジェイクも同じだった。

荷馬車は三台。

しかも積まれている木箱は古い。

王家の紋章こそ入っているが、金箔は剥げかけている。

箱の数も少ない。

少なすぎた。

アレクセイが眉をひそめる。

「……以上か?」

帝国側の責任者が汗を浮かべながら答える。

「は、はい。こちらが第一王女殿下の持参品となります」

沈黙が落ちた。

王都の空気が妙に重い。

グレアムは小さく咳払いをした。

「失礼ながら確認したい」

「本当に第一王女で間違いないのだな?」

帝国側の使者は顔を引きつらせる。

「も、もちろんでございます」

「帝国皇女エレオノーラ殿下にございます」

ジェイクが思わず顔を背けた。

笑いそうになったわけではない。

逆だ。

怒りが顔に出そうになったのだ。

グレアムも同じだった。

これは少ないという話ではない。

侮辱に近い。

王女本人に対しても。

受け入れる王国に対しても。

アレクセイは黙ったまま荷馬車を見つめていた。

その横でコレットが静かに一歩前へ出る。

視線は荷馬車。

次に木箱。

そして帝国から付き従ってきた侍女たちへ。

その瞬間だった。

コレットは全てを察した。

持参品が少ない。

いや、それだけではない。

侍女たちの視線。

態度。

配置。

そこに見え隠れする意図。

王女自身ではなく、周囲に仕込まれた何か。

コレットは優雅な笑みを崩さぬまま呟いた。

「……あの皇后、やりましたわね」

アレクセイが横目で見る。

「分かったのか?」

「ええ」

コレットは小さくため息を吐いた。

「この王女、歓迎されて送り出されたのではありませんわ」

彼女の瞳が僅かに細くなる。

「むしろ逆です」

「帝国は、第一王女を厄介払いしたかったのでしょう」

そして馬車の扉へ視線を向ける。

まだ見ぬ王女。

その中にいる女性は、おそらく自分がどれほど酷い扱いを受けているのかさえ、もう麻痺している。

コレットは静かに微笑んだ。

「可哀想に」

その言葉には同情と――

少しばかりの怒りが混じっていた。

侍従により、馬車の扉が開かれた。

一瞬、空気が静止する。

現れたエレオノーラ王女は、ゆっくりと周囲を見渡した。

その装いは華美とは程遠い。

帝国第一王女としてはあまりにも質素で、飾り気もない。

だが――それでも崩れてはいなかった。

背筋はまっすぐに伸びている。

視線は揺れない。

一歩、馬車の踏み台に足を掛ける動作すら無駄がない。

そしてアレクセイ王の姿を捉えた瞬間。

彼女は深く、静かに一礼した。

それは派手な儀礼ではない。

しかし、見る者に“格”だけを突きつけるようなカーテーシーだった。

音がない。

余計な装飾もない。

ただ、積み重ねられた教育と意志だけが形になった礼。

ジェイクが小さく息を呑む。

(……質が違う)

グレアムも同じ表情をしていた。

「……これは」

誰に向けた言葉でもない。

コレットだけが、わずかに目を細める。

(なるほど……)

そして、静かに呟いた。

「質素、ではありませんわね」

アレクセイが視線を向ける。

コレットは微笑んだまま続けた。

「削られたのではなく……削られても、残ったものですわ」

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