【外伝】一滴からの流れに

【外伝】一滴からの流れに


コレットが一歩前へ出た。

「ようこそ、エレオノーラ王女」

穏やかな声。

しかしその足運びは、戦場に入る前の騎士のそれだった。

空気がわずかに張り詰める。

エレオノーラは気付く。

(……この人)

ただの王妃ではない。

同じ“武”の匂いがする。

次の瞬間だった。

コレットが半歩、踏み込む。

それは挨拶の距離を超えない、わずかな動き。

だが――

その一歩で空気が変わった。

ジェイクが息を止める。

グレアムの目が鋭くなる。

(試している……?)

エレオノーラは動かない。

いや、動けないのではない。

“動く必要がない”と判断している。

ただ一度だけ、視線がコレットの重心をなぞる。

その瞬間、コレットの眉が僅かに動いた。

(……避けるでも、構えるでもない)

(もう、完成している)

コレットは静かに息を吐いた。

「なるほど」

そして、微笑む。

「思っていたより……ずっと厄介ですわね」

コレットは口元を扇で隠し、静かに微笑んだ。

(面白い子ですわね)

その笑みは、戦場で獲物を見つけた騎士のそれに近かった。

アレクセイ王はその横顔を見て、小さく息を吐く。

(また始まったな……)

政務の場で見せる彼女は冷静で理知的だが、
興味を持った対象には、途端に“観察者”としての顔になる。

人ではなく、盤を見る目。

そして、駒の動きを楽しむ癖。

それは結婚してからより顕著になっていた。

ジェイクとグレアムは、その空気に気付いていたが、口を挟めない。

(……これは外交だよな?)

(いや、たぶんもう半分趣味だ)

そんな思考が交差する。

アレクセイは苦笑した。

「……ほどほどにしてくれよ」

コレットは振り返らずに答える。

「もちろんですわ」

間。

「まだ、壊していませんもの」

その言葉に、ジェイクが小さく喉を鳴らした。

グレアムは視線を逸らす。

(この王妃は……やはり危険だ)

だが同時に理解していた。

――今回“仕掛けてきた”のは帝国側だ。

こちらはただ、受けただけ。

アレクセイは肩をすくめた。

(まあ、好きにやるといいさ)

(少なくとも、退屈はしない)

その場の空気は、すでに“挨拶”の域を越えていた。

張り詰めた糸のような静寂。

言葉ひとつで何かが変わるような緊張感。

だが――その中心から少し外れた場所で。

帝国から付き従ってきた侍女たちは、何も理解していなかった。

「……予定通りでございます」

「持参品の確認も完了しております」

小さく、事務的な声。

そこには空気を読むという概念がない。

ただ“命じられた通りに動く”というだけの存在。

ジェイクが一瞬そちらを見て、すぐ視線を戻す。

(……こいつら、今の状況わかってないのか?)

グレアムも同じ表情だった。

一方で、エレオノーラは――

それすら気にしていない。

彼女にとっては、あくまで“予定された手続きの一部”に過ぎない。

(問題なく進行している)

ただそれだけ。

コレットの視線が、ほんの一瞬だけ侍女たちへ向いた。

(……なるほど)

そして、すぐにエレオノーラへ戻る。

その目は、わずかに細くなっていた。

(この子、本当に“守られていない”のね)

コレットは、ゆっくりと一歩だけ前へ出た。

空気の緊張はまだ解けていない。

むしろ、先ほどよりもわずかに鋭さを増していた。

それでも彼女の歩みは乱れない。

王妃としてではなく、ひとりの“場を治める者”としての動きだった。

視線はエレオノーラへ向けられる。

そして、その後ろ――荷馬車へと移る。

木箱の数。

侍女たちの配置。

持参品の扱い。

一つずつ、丁寧に見ていく。

やがて、コレットは静かに口を開いた。

「……なるほど」

誰に向けたでもない小さな声。

だが、その一言で場の空気がわずかに変わる。

アレクセイが目を細めた。

ジェイクとグレアムは、次の言葉を待つように息を止める。

コレットは微笑んだまま、エレオノーラへ視線を戻した。

「エレオノーラ王女」

「はい」

即答。

その声に揺らぎはない。

コレットは一拍置いた。

そして、あくまで穏やかな声音で続ける。

「失礼を承知で申し上げますわ」

その前置きに、空気が一段重くなる。

「帝国よりお持ちいただいた持参品ですが――」

一瞬、間。

「王女の位に対して、やや……不足がございますわね」

その言葉は鋭くない。

責めてもいない。

ただ“事実”として置かれただけの評価だった。

侍女のひとりがわずかに顔を強ばらせる。

帝国側の責任者が汗を滲ませる。

だがエレオノーラは、ただ静かに聞いていた。

コレットは続ける。

「もちろん、帝国の事情もあるのでしょう」

「ですが、このままでは“側室としての体裁”にも不足が出ます」

そこまで言ってから、ほんの少しだけ柔らかく微笑んだ。

「ですので――」

コレットは軽く手を胸元に添える。

「こちらで全て、改めてご用意いたしますわ」

一拍。

「アレクセイ王国として、正式にお迎えするために」

その言葉は、命令ではない。

許可の確認でもない。

ただ“当然の処理”として告げられた事実だった。

場の空気が静かに変わる。

ジェイクが小さく息を吐いた。

(……格が違う)

グレアムも同じ感想だった。

帝国の侍女たちは、初めて自分たちが“場違い”であることに気づき始めている。

だがエレオノーラだけは――

その言葉を、拒絶とも侮辱とも受け取っていなかった。

ただ一つの確認として、静かに受け止めていた。

「……承知いたしました」

それだけ。

コレットは、その返答を見て小さく目を細める。

(やはり)

(この子は、壊れていない)

そして心の中で、静かに続けた。

――ならば、整えましょう。

この子が“正しく評価される場所”を。



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