【第6章】 第154話
【第6章】第154話 似て非なる者
迷いがなかったと言えば、嘘になる。
何千年もの時を生きてきた。
人間という種が、どれほど愚かで、どれほど短命なのかも知っている。
それなのに――。
横を走る銀髪の小僧は、一度も足を止めない。
その先を行く黒髪の娘も、振り返ることなく前だけを見ている。
そして、その後ろには仲間たちが続く。
誰一人、遅れる者はいない。
誰一人、疑う者もいない。
黒狼は一度だけ後ろを振り返った。
そこにあったのは、人の顔。
レオンハルト。
フィオナ。
ヴィクトル。
クラリス。
ルードヴィッヒ。
リオ。
そして真琴。
その誰もが、自分ではなく、隣を走る仲間を信じていた。
黒狼は小さく目を細める。
「……仲間とは。」
何千年という長い時を生きても、一度として手に入らなかったもの。
「心強いものなのだな。」
そう呟いた声は、誰にも届くことなく古代遺跡の闇へ溶けていった。
⸻
最深部は、それまでとは明らかに趣が違っていた。
壁に並ぶ照明は、紫色の炎を灯す燭台。
黄金のシャンデリアが高い天井から吊るされ、淡い光を石畳へ落としている。
豪奢でありながら、どこか冷たい。
まるで研究室というより、王の謁見の間だった。
「なんで偉いやつって紫色が好きなんだ?」
レオンハルトが辺りを見回しながら呟く。
「知らん。」
リオが即答した。
「でも、確かに紫って強そうですわね。」
クラリスまで真面目に頷く。
そのやり取りに真琴は思わず苦笑した。
緊張を紛らわせるためなのだろう。
誰も笑ってはいない。
それでも、こうして言葉を交わせるだけで、張り詰めた空気が少しだけ和らぐ。
その時だった。
ゴォン……
ゴォン……
重く鈍い音が、通路の奥から響く。
石と石がぶつかるような重量感のある音。
床が微かに震えた。
黒狼がゆっくりと顔を上げる。
「ゴーレム兵士もこちらへ向かっているようだ。」
赤金色の瞳が暗闇を射抜く。
「気をつけろ。」
通路の奥に、扉があった。
このダンジョンは、扉が好きだな。
砂漠の先の古代遺跡は、トラップこそあったが、
扉はほぼ無かった。
大きなアーチ型の入り口が開いている。そんな遺跡だった。
「この先だ」と、黒狼が言った。
黒く、堅牢さを示した扉。この遺跡の心臓部だ。
ギィィ……
重い音を立てて扉が開く。
その先は、想像していた研究室ではなかった。
円形の巨大な空間。
幾重にも重なる魔法陣が床を覆い、壁一面には古代文字が淡く輝いている。
中央には一本の巨大な水晶柱。
内部には青白い光が脈打ち、この遺跡そのものが呼吸しているようだった。
そして――
その水晶柱の前に、一人の男が立っていた。
白銀の長髪を無造作に後ろに束ねている。
古代文明の意匠を施した純白の長衣。
年齢は三十代ほどにも見える。
だが、その瞳だけは、人が持つにはあまりにも長い年月を映していた。
「何か、セルディンに似てる」真琴の第一声だ。
「失礼だな。少なくとも私は、もう少し理性的だ。」
ルードヴィッヒは、即座に否定した。
「客人を連れてきた」
黒狼が賢人に言った。
賢人は真琴たちを一瞥した。
その一瞥だけで、空気が変わる。
「……人間か。」
黒狼が人間を信用していなかったことは、この男も知っているのだろう。
人間を連れてきた。
その事実だけが、彼の興味を引いたらしい。
男はわずかに顎を上げる。
視線だけが真琴たちをゆっくりとなぞった。
歓迎でも、敵意でもない。
ただ、机の上の資料でも眺めるような無機質さ。
人を見る目ではない。
価値を測るような、冷え切った眼差しだった。
誰一人、言葉を発しなかった。
聞こえるのは、水晶柱の内部を流れる魔力の鼓動だけ。
規則正しく脈打つ青白い光が、円形の空間を静かに照らしている。
賢人はなおも真琴たちを見つめていた。
まるで一冊の本を読むように。
あるいは、古びた道具の価値を見極めるように。
感情は一切読み取れない。
「……なるほど。」
その一言だけが静寂を揺らした。
賢人はゆっくりと歩き始める。
石畳を踏む足音は驚くほど小さい。
それなのに、その一歩ごとに場の空気が重くなっていく。
レオンハルトの手が自然と剣の柄へ伸びた。
フィオナは杖を握り直し、ヴィクトルは腰の魔導具へ手を添える。
ルードヴィッヒも静かに双剣を握り、魔力を巡らせ、
クラリスは魔法杖を指先で握り締めた。
誰一人として武器は抜かない。
だが、誰も気を抜いてもいなかった。
「構える必要はない。」
賢人は足を止めることなく言う。
「少なくとも今は、お前たちを排除する理由が見当たらない。」
その声音には、敵意も慈悲もなかった。
ただ事実を述べているだけ。
それがかえって底知れない。
真琴は賢人を真っ直ぐ見返した。
「あなたが、この遺跡の賢人?」
「そう呼ぶ者は多い。」
それだけだった。
名を名乗ることも、自らを誇示することもない。
その態度には、肩書きすら不要だと言わんばかりの揺るぎない自負があった。
賢人の視線が再び真琴で止まる。
「魔力がない。」
その一言に、場の空気がわずかに張り詰める。
だが次の瞬間、賢人はほんのわずかに眉を寄せた。
「……いや。」
初めて、その無機質な瞳に小さな揺らぎが宿る。
「魔力がないのではない。」
真琴を見据えたまま、静かに言葉を続けた。
「お前は、この世界の理から外れている。」
(鑑定眼?いえ、この世界の理を知ってる)
真琴は迷う。
その一言に、誰も口を開けなかった。
真琴自身でさえ、その意味を測りかねていたからだ。
しばしの沈黙を破ったのは黒狼だった。
「賢人。」
その呼びかけに、賢人はゆっくりと視線を向ける。
「彼らは敵ではない。」
黒狼の言葉は短い。
だが、その短い一言には何千年もの時を共に過ごした者だからこその重みがあった。
賢人はしばらく黒狼を見つめ返す。
そして小さく息をついた。
「お前が、その言葉を口にする日が来るとは思わなかった。」
その声音は穏やかだった。
だが、その穏やかさの奥には、何かを確かめようとする冷たい知性が静かに息づいていた。
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