【第6章】 第153話

【第6章】第153話 黒狼の決断

黒狼は、待つと言った。
その言葉の前に、真琴はお願いをもう一つ告げた。

「私たちをその賢人の所へ連れて行って」

マシュー長官と斥候のさらわれた青年を救出し、
扉の所で健康を確認する。
怪我もダメージもなさそうだ。
まさにまだ捕獲だけだったのだろう。

「連れて行くのは…いや、行くか。」
思う所はあるのだろう。
昨日の味方は今日の敵か…複雑なのは、真琴も理解している。
だが、精霊王妃が産んだ精霊達が犠牲になっているのだ。その事実だけでも賢人にこれ以上の味方は出来ないはずだ。

マシュー長官と斥候の青年をアンカーであるT字路まで連れて行った。

アンカーとして目印を付けていたT字路へ戻ると、待機していた調査隊が一斉にこちらを振り向いた。

「長官!」

真っ先に駆け寄ったのは、魔法庁調査隊の隊員たちだった。

「ご無事でしたか!」

マシュー長官の姿を確認すると、隊員たちの張り詰めていた表情が一気に緩む。

「心配をかけたな。」

短くそう答えた長官は、救出された斥候の青年の肩を軽く叩いた。

「彼も無事だ。治療の必要もない。」

「ありがとうございます!」

青年は深々と頭を下げる。

その様子を少し離れた場所から見守っていたグレアムも、小さく息を吐いた。

「どうやら最悪の事態は避けられたようだな。」

隣ではエマも胸に手を当て、安堵したように微笑んでいる。

「本当に良かった……。」

だが、その空気も長くは続かなかった。

真琴は黒狼へ視線を向ける。

「待たせたね。」

黒狼は静かに頷くと、その赤金色の瞳で真琴たち全員を見渡した。

「では行こう。賢人のもとへ。」

空気が再び張り詰める。

救出は成功した。

しかし、本当の交渉――いや、対峙すべき相手は、この先で待っているのだから。



「待って! 私たちも――」

エマが一歩踏み出そうとした。

だが、真琴は静かに首を横へ振る。

「いえ。この先……マシュー長官たちが囚われていた場所には、魔物たちも閉じ込められていました。」

その言葉に、その場の空気が変わる。

「私たちは、あの魔物たちを解放するつもりです。だから、グレアムさんたちは、このままダンジョン入口で待機している調査隊と合流して、この場所から十分離れていてください。」

魔法庁調査隊の一人が眉をひそめた。

「ならば、そのまま討伐してしまえばいいのではありませんか。」

その一言に、周囲も小さくざわつく。

スタンビートを経験した者にとって、魔物は恐怖の象徴だ。

敵視するのも無理はない。

しかし、マシュー長官は静かに首を振った。

「それは極論だ。」

その一言だけで、場が静まる。

「魔物にも生きる権利はある。それは野生動物と何ら変わらない。人の都合で捕らえられ、利用されていただけだ。」

長官は真琴へ視線を向け、小さく頷いた。

「私は真琴さんの判断に賛成する。」

調査隊の隊員たちは納得し切れない表情を浮かべながらも、長官の言葉に反論する者はいなかった。

スタンビートを知る者だからこそ、魔物への恐怖は簡単には消えない。

それでも――恐怖だけで命の価値を決めてはならない。

そんな長官の信念が、その短い言葉には込められていた。



その時、マナミが一歩前へ出た。

「真琴さん。」

呼ばれて振り返る。

そこには、少し寂しそうな、それでも決意を込めた表情の少女がいた。

「私は……エマさんたちの所へ戻ります。」

マナミは小さく頭を下げた。

「本当は、最後まで一緒に行きたいです。でも、私は緑水の調べの一員ですから。」

その言葉に、真琴は微笑んだ。

「うん。それがいいと思う。」

精霊使いであるマナミには、彼女を待つ仲間がいる。

「エマさんたちをお願いね。」

「はい。」

マナミは力強く頷いた。

「必ず戻ってきてくださいね。」

その言葉を残し、マナミはエマたちの元へ戻っていった。

ここで再び、一行は二手に分かれた。

一方は、ダンジョンを離れ、生存者と調査隊を安全圏まで退避させる者たち。

そしてもう一方は――この古代遺跡の最奥へ向かう者たち。

黒狼はゆっくりと振り返る。

「断っておく。賢人は最奥の研究室にいる。そこは、この古代遺跡の心臓部でもある。古代文明の制御装置や研究機材が数多く残されている。できる限り、破壊は避けてほしい。」

その言葉に真琴は苦笑する。

(……それ、一番難しい注文なんだけど。)

頭の中には、これまでの冒険が次々と思い浮かぶ。

崩れた遺跡。

吹き飛んだ実験施設。

暴走する魔道具。

そして、そのたびに後始末を押し付けられるクラリスとヴィクトル。

思わず肩をすくめた。

「最善は尽くします。でも安心して。」

真琴は胸を張って親指を立てる。

「ここには、壊した物を元に戻すスペシャリストもいるから。」

その一言で、全員の視線がクラリスへ集まる。

「えっ……わ、私ですの?」

突然話を振られたクラリスは目を丸くする。

「真琴がそう言うのでしたら、期待に応えるしかありませんわ。」

そう言って眼鏡を押し上げる姿には、いつものお嬢様らしい気品と研究者としての矜持があった。

「魔改造はほどほどにしてくれよ?」

ヴィクトルが呆れたように笑う。

「前みたいに未知の機能を追加するのだけは勘弁だからな。」

「あら。」

フィオナがくすりと笑う。

「それが真琴の一番恐ろしいところではなくて?」

「違いない。」

レオンハルトも肩を揺らす。

「壊れた物を直しているつもりが、前より高性能になって戻ってくる。」

「敵からすれば災害だね。」

リオまで真顔で頷く。

「味方で本当に良かった。」

「ひどい言われようなんだけど?」

真琴が頬を膨らませると、その場に小さな笑いが広がった。

張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。

そんな仲間たちを見つめながら、黒狼は静かに目を細めていた。

これほど自然に笑い合える人間たちを、彼はもう何百年も見ていなかったのかもしれない。

「小難しいことは任せた。」

リオが肩を回す。

「私は思い切り暴れる。」

「暴れすぎないよう管理するのが私の役目だ。」

ルードヴィッヒが静かに答える。

「必要なら結界を張る。撤退路も確保しておこう。」

「回復は私に任せてください。」

フィオナが杖を握り直す。

「誰一人、欠けさせるつもりはありません。」

レオンハルトは剣の柄に手を添え、ゆっくりとうなずいた。

「道を切り開くのは俺だ。誰も真琴には近づけさせない。」

ヴィクトルも魔導具を確かめながら笑う。

「解析も支援も任せろ。今回は何が飛び出してくるか楽しみなくらいだ。」

クラリスは静かに魔石ペンを握り締める。

「古代文明の謎も……賢人の真意も。すべて、この目で見届けます。」

仲間たちの言葉を聞き終えた黒狼は、小さく息を吐いた。

「……なるほど。」

赤金色の瞳に、わずかな感心の色が宿る。

「賢人が警戒する理由も分かった。」

そして口元をわずかに緩める。

「人間という種は愚かだ。だが、お前たちは違うらしい。」

リオが口角を上げた。

「黒狼。」

「ああ?」

「お前は今、この時代で一番厄介な連中を味方につけた。」

その言葉に全員が自然と笑みを浮かべる。

「だから覚悟を決めろ。」

誰一人、不安な顔をしていなかった。

古代遺跡の最奥。

自らを賢人と称する謎の男との対峙。

その舞台へ向け、一行は静かに歩き始めた。

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