【第3章】 第61話
【第3章】第61話 誰もいない岸壁
船の処女航海の行き先は、
定期便が運行停止しているエルシオン島だった。
船置きのマリーナにも、
岸壁にも、人の姿はない。
空はどんよりと薄曇り。
海風だけが、
湿った音を運んでくる。
真琴たちは到着後、
まず周囲を見回した。
「人が集まるとしたら……
船着場、かしら?」
フィオナが不安げに呟く。
「定期便が止まっているなら、
最後に情報が残るのはそこだろうね」
ヴィクトルが岸壁の方へ視線を向けた。
⸻
船着場にも、
ほとんど人気はなかった。
受付に、
かろうじて一人だけ受付嬢が座っている。
ヴィクトルが話を聞こうと近づいた、
その時だった。
「あの……
その後ろの方の髪色……」
受付嬢が、
ヴィクトルとクラリスを交互に見比べる。
何かを思い出したような顔。
「あの、私たちは両親を探しているのですが……
私と妹に似た男女をご存知ありませんか?」
「ああ〜! やっぱり!」
受付嬢は、
ぱっと顔を明るくした。
「はい、実は――」
思いがけず。
ヴィクトルたちは、
両親の居場所の手掛かりを掴んだのである。
⸻
「お母様!」
クラリスが勢いよく船宿へ駆け込んでいく。
両親は、
船着場の人々が用意してくれた船宿に身を寄せていた。
無事だった。
――無事、だったのだが。
「……………………」
部屋へ入った一同が、
揃って沈黙する。
そして。
「ぶふっ」
最初に吹き出したのはリオだった。
続けて真琴。
真琴は、
まだ頬に跡があるというのにだ。
さらにフィオナ。
ついにはレオンハルトまで、
肩を震わせ始める。
クラリスだけが、
必死に耐えていた。
母親の顔から肩、
腕にかけて。
鮮やかなピンク色の丸い水玉模様が、
大量についていたのである。
思わず、
ヴィクトルが父親へ確認する。
「……なんだ、それは?」
エルシオン島へ到着した直後。
海から逃げてきた“海跳魚”の群れに襲われたらしい。
不意を突かれ、
全身に吸い付かれた結果――
こうなったのだという。
しかも、
その魚を引き剥がしている最中に、
渡されていた通信機まで海へ消えたらしい。
「だ、大丈夫だって手紙は出したのよ……?」
「これでも、
この魚跡は最初は真っ赤だったし」
母親が困ったように笑う。
「でも、そのあと定期便まで止まっちゃって……」
「いや……
そこまで聞くと逆に生きてただけ凄いな」
レオンハルトが、
呆れ半分で呟く。
「海跳魚って、
群れになると普通に危険だからね」
ヴィクトルの父親が疲れた顔で補足した。
「しかも、
今回は妙に怯えていた」
その言葉に。
場の空気が、
少しだけ変わる。
「……怯えていた?」
真琴が聞き返す。
「まるで、
海の“何か”から逃げるみたいにね」
父親は窓の外――
曇った海を見た。
「島の周辺海域は、
今かなりおかしい」
「鐘の音も聞こえる」
「夜になると、
海の底から響いてくるんだ」
⸻
部屋の空気が静まる。
先ほどまで笑っていたリオですら、
今は真顔だった。
真琴も、
無意識に地図板へ視線を落とす。
あの鐘。
航路を乱した、
あの不気味な低音。
偶然ではない。
「……やっぱり、
海そのものに異常が起きてる」
真琴が小さく呟く。
すると。
ヴィクトルの父親が、
ゆっくりと口を開いた。
「だから、
君たちには本当は帰って欲しい」
「この島は今――
“何か”に近づきすぎている」
⸻
「その“何か”については、我々に関する事だと思いますわ」
すいっと、セラフィナが前へ出る。
その場の視線が、一斉に彼女へ向いた。
ヴィクトルの父親も、僅かに眉を寄せる。
「……君は?」
「セラフィナと申します」
深々と礼をする。
だが。
その所作とは裏腹に、空気が妙に冷える。
「恐らくですが――」
セラフィナは、静かに海の方へ目を向けた。
「今、海中では“深層側”との境界が薄くなっています」
「深層側……?」
クラリスが聞き返す。
「世界の表層ではなく、より深い領域です」
「本来、生物も音も、
こちら側へ滲み出る事はありません」
「ですが現在、
何かが境界を押し上げている」
⸻
「海跳魚が逃げていたのも、
その影響でしょう」
「弱い生物ほど、
先に異変を察知しますから」
「……鐘の音は?」
真琴が聞く。
セラフィナは、
少しだけ間を置いた。
「恐らく“呼び声”ですわね」
その瞬間。
部屋の空気が、
ぴたりと止まる。
「海は昔から、
境界が曖昧な場所です」
「深海というのは、
“落ちる”場所でもありますから」
⸻
「じゃあ、
その原因は何なんだ?」
レオンハルトが真顔で問う。
すると。
セラフィナは、
ゆっくりと視線を伏せた。
「……まだ断定は出来ません」
「ですが――」
「もし、お父様がこちらへ干渉しているなら
現在の異常発生条件が、綺麗に繋がりますの」
(セラフィナの推測は、理屈としては通ってる。
でも、全部を“お父様”で説明するには、
少しログが噛み合わない)
真琴は、無言のまま海へ視線を向けた。
自分の中にある違和感。
それを、まだ言葉にはしなかった。
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