【第5章】 第118話

【第5章】第118話 触れるな


リオは、情報整理よりも危惧していたところへ足を運んでいた。

「オルフェウス、返事をしてくれ」

リオは、オルフェウスの分身だ。

オルフェウスを呼び出す立場にはない。しかし、今はこの状況下どうしても確認しておきたいことがあった。

「なんだ?」

「王都、王宮の深淵にて見ていたのはお前か?」

リオは、あえて『お前』と聞いた。

「どうしてそう思う?」

「存在の確認方法がな。オルフェウスのデータ管理と似通っていたからだ」

しばし沈黙。

やがて、オルフェウスは小さく息を吐いた。

「なるほど。そこまで見抜くか」

「否定はしないんだな」

「否定する理由がない」

リオは眉をひそめた。

やはりか。

あの深淵にいた『何か』は、オルフェウスと無関係ではない。

「では、あれはお前だったのか?」

「半分正解で、半分不正解だ」

「どういう意味だ?」

「私はあそこにはいない。だが、私の一部はあそこにある」

リオの表情が険しくなる。

「監視装置か」

「近いな」

オルフェウスは淡々と答えた。

「世界の記録を観測するための端末。その一つだ」

「端末……」

「お前たちが書物を残すように、私は世界そのものを記録している」

リオは考え込む。

ならば深淵で感じた視線は敵意ではない。

観測。

ただ、それだけ。

だが――

「なぜ今まで黙っていた?」

「聞かれなかったからだ」

即答だった。

リオは思わず額を押さえる。

「相変わらずだな……」

「必要な情報だけを渡す。それが私の基本方針だ」

「では、その端末は何を見ていた?」

「王宮ではない」

「……何?」

「王宮のさらに下だ」

「下?」リオは余計に混乱した。

「王宮そのものではない」

オルフェウスは続ける。

「正確には、その地下深くに存在する異常領域だ」

「異常領域……」

「私は世界の記録を観測している。だが、あそこだけは違う」

リオの目が細くなる。

「違う?」

「記録が途切れる」

沈黙。

「途切れるだと?」

「観測しているはずなのに繋がらない。存在しているはずなのに定義できない」

それはオルフェウスらしくない言葉だった。

リオは、慌てて聞いた。

「それは、地球における所の黄泉か?」

「違う」

オルフェウスは即答した。

「黄泉は死者が行く場所だ」

「では?」

「私は知らない」

世界を管理する存在が、世界を把握できないと言っている領域。

「リオ、お前がまだ知らなくて良い領域だ」

リオは眉をひそめる。

「知らなくていい?」

「人間もたどり着けはしない」

淡々とした声だった。

だが次の一言だけ、わずかに重さが違った。

「いや、させるつもりもない」

「……どういう意味だ?」

オルフェウスは答えない。

代わりに、静かに言葉を切った。

「その領域には触れるな」

沈黙。

リオはそれ以上問い返せなかった。

まるで――

“禁止事項”そのものを突きつけられたような感覚だった。



リオは、オルフェウスの言葉を飲み込んだ。

(触れるな)

それは忠告ではない。

命令でもない。

ただ、そこに“定義不能な空白”があるという事実だけが残る。

リオは視線を落とした。

(真琴なら、どう考えるだろう)

真琴なら、この不可解な事象にも何かしらの構造を見出すだろう。

理屈の外側を、無理やり“法則”に落とし込むように。

だが、自分は違う。

自分はオルフェウスの分身でありながら、その論理に完全には従えない。

(僕に……心?)

ふと、そんな言葉が浮かびかけて、リオは小さく息を吐いた。

あり得ない。

そう思うべきだ。

だが、さっきの“禁止”だけは、データとして処理できなかった。

ただ「拒絶された」という感覚だけが残っている。

リオは、王都の喧騒の方へ目を向けた。

(早く、真琴に会いたい)

その思考すら、本来なら不要なはずのノイズだった。

それでも消えない。

ヴィクトルとクラリスの関係を思い出す。

“家族”という言葉が、なぜか重く残る。

リオは小さく笑った。

「……僕に心、か」



リオはシュバルツへ戻った。

執務室には、グレアムとヴィクトルがいた。

「例の情報はどうなった?」

グレアムがすぐに問う。

リオは一度だけ息を吐いた。

「結論だけ言うなら……触れない方がいい」

「触れない方がいい?」グレアムが眉を上げる。「随分と曖昧だな」

「曖昧じゃない」

リオは短く返した。

「“そういう類の場所”だった」

それ以上は言葉が出なかった。

いや、出さなかった。

思い出そうとすると、あの“途切れる感覚”が思考に滲む。

ヴィクトルが静かに言う。

「危険の種類が違う、ということか」

リオは少しだけ間を置いて頷いた。

「そう思っていい」

グレアムは腕を組み、しばらく沈黙した。

指先が一度だけ机を叩く。

「……厄介だな」

誰に向けた言葉でもない。

やがて、ゆっくりと息を吐く。

「今の話を“理解できる形”に落とすことはできない」

リオは答えない。

それが事実だと分かっているからだ。

グレアムは視線を上げた。

「だが、一つだけ分かる」

「何だ?」

「それは“人間の領域で扱うものではない”ということだ」

沈黙。

グレアムは静かに結論を落とした。

「今の我々には扱えない。だから“存在しないことにする”しかない」

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