【第4章】 第87話

【第4章】第87話 迷う城


「びっくりだわ。全く緊張感が無い」

ルナミナが呆れた様子で言った。

「サムズアップ送ってくれたから、来ると思ってたし?」

「それとこれは違うでしょうよ」

ルナミナは昼食を指差し、静かに怒る。

「万全の状態で行動を起こす。基本中の基本よ」

ルナミナの感情に対して、
真琴は妙に冷静だった。

「なんで、そんな余裕なのよ!」

「家から逃げ出す為のシミュレーションを何十回もしてきたから。三年も続ければ、慣れるわ」

軽く言った。

だけど、それは
サバイバルゲームなんかじゃない。

誰が味方で、
誰が告げ口をするのか。

今日は駄目。
今じゃない。

そうやって飲み込み続けて、
真琴は“観察する癖”を覚えた。

実母の機嫌。
姉の嫌がらせ。
弟の我儘。

周囲は見て見ぬふりをして、
時には笑って同調する。

きっと、
どこにでもある普通の家庭。

だけど――
それが耐えられない人間もいる。

「貴女について行けばいいの?」

真琴はルナミナの目を見て聞いた。

「ううん。まだよ。一度みんなの所へ戻って、貴女の状況を説明してくるわ。ヒュドラが攫われた場所もわからないし」

そう言って、
ルナミナは部屋を出ていった。

入れ違いのように、
労働まがいが昼食の食器を片付けに来る。

……気配で察したのかしら。

抜け目のない子ね。

真琴は小さく笑った。



黒曜城に入ってきたすぐ側の空室にみんな集まった。
リオが扉を少し開けて、周りを注意している。

ルナミナが戻ってきた。

「真琴は無事よ。がっかりするくらいにね」

なんだそれは?っと疑問符がみんなの顔に現れている。

「いつでも出立出来る準備でいたってことよ」
なんで私がこんな説明してるのよって思いながら
ルナミナが言葉を選んだ。

セラフィナがそんなルナミナの背中をトントンとする。

「もう!」

ルナミナが軽く抗議すると、
セラフィナは楽しそうに笑った。

そのやり取りだけで、
ルナミナの胸が妙にくすぐったくなる。

――こういう距離感は嫌いじゃない。

「真琴は無事だけれど、ヒュドラの場所は不明よ。
どうするのあの化け物」

テレシアから命は取らずに放逐を依頼されていた。
バジリスクの被害は、なくならないと踏んでいるのだ。
まだ、テレシアの自宅には石化されて
治療を待っている人がいる。

ヒュドラがあるからといって、他のメンバーが揃わなければ
治療は無理ではあるのだが…

「それは必要か?」リオが言った。

「僕の仕事を放り出すつもりではないよ。
でも、マリーナ近郊に放逐する場所は考えられなかった。
バジリスク側に連れていけば、元の状態だ。
治療の前の捕獲だってこの前よりも難しくなる。
どうせ不死身だし、このままここに預けとけば
いいんじゃないかな?」

みんなが顔を見合わせた
手に持って行ける生き物じゃない。

「バジリスクとお父様の天秤ね」
クラリスがデータをシミュレーションしてる感じだ。

「……まあ、大差ないんじゃね?」
答えを待つより早くレオンハルトの勘が告げる。

「この城に放り込まれた時点で、どちらも災害よ」

クラリスが疲れた顔で言う。

「否定できないのが嫌ね……」

ルナミナが頭を押さえた。

そもそも、
ヒュドラを閉じ込めておける場所が存在している時点で、
この城は十分おかしい。

「なら、優先は真琴の回収だね」

リオが扉の隙間から廊下を確認する。

「問題は、どうやって出るかだけど」

その言葉に、
部屋の空気が少しだけ静まった。

黒曜城は広い。

広いのに、
妙に“近い”。

来る時から感じていた違和感。

通路の長さ。
階段の位置。
窓の外の景色。

歩くたびに、
少しずつズレている。

まるで城そのものが、
侵入者を迷わせる為に生きているみたいに。

「……お父様ならやりそうね」

クラリスがぼそりと呟いた。

その瞬間。

コツ。

遠くの廊下で、
誰かの靴音が響いた。

全員の視線が扉へ向く。

一回。

また一回。

ゆっくりと、
こちらへ近づいてきていた。



全員が壁を背に息を潜める。

顔の前には、
ルナミナの影。

認識阻害は機能している。

だが、
この空気の薄さは人間には辛い。
長くは保たない。

コツ……コツ……コツ……

足音が、
先ほどリオが閉めた扉の前で止まった。

コツ。

静寂。

誰も動かない。

扉は――開かれなかった。

再び足音が遠ざかっていく。

ほぉっと、
誰かが小さく息を吐いた。

――ガチャ。

扉が開く。

「……あら?」

ルクレツィアだった。

部屋をゆっくり見渡す。

「なんだか変な空気を感じたのだけれど?」

誰も動かない。

ルクレツィアは小さく首を傾げると、
そのまま扉を閉めた。

今度こそ、
足音は遠ざかっていった。


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