【第4章】 第82話

【第4章】第82話 殺意なき圧力


魔霧の森を抜けた者は、
次に“墨山(ぼくざん)”へ辿り着くという。

霞の海から無数の岩峰が突き出したその地は、
方角も距離も狂う死の山域。

その最奥――
空を映す黒曜石の城が眠る。

その城の一室。

「――っ、ゲホッ……!」

真琴は激しく咳き込みながら目を覚ました。

「なに……ここ。苦し……」

胸が重い。

まるで一気に高山の頂へ放り出されたような感覚だった。
空気が薄い。

頭がぼんやりする。

ルナミナやセラフィナ達が平然としていた理由を、真琴はそこで理解した。
魔人の血を引く彼女達には、この環境が当たり前なのだろう。

天蓋付きの大きなベッド。

真琴はゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。

黒曜石にも似た艶のある壁。
重厚な柱。
静まり返った広い部屋。

どこかの城――
いや。

記憶を辿れば、最後に見たのは。

『真琴ッ!!』

叫ぶセラフィナとルナミナの姿。

「あぁ……そういう事」

ここは、
“彼ら”の居城か。

真琴は小さく息を吐き、
無意識にポケットへ触れた。

指先に、
慣れた感触が触れる。

「……あった」

魔石ペン。

それに、無限付箋紙。
没収されていない。

その事実に安堵しながらも、
真琴は逆に薄い寒気を覚えた。

普通なら取り上げるはずだ。

ここは敵地なのだから。

それでも残されているという事は――

「必要ないって事……?」

逃げ道を塞ぐ必要すらない。

そんな絶対的な余裕が、
この城全体から滲み出ている気がした。



「魔石ペン」ピコンと光った。

「さてと…」

「何か報告書ですか?」

「違うわ」

「果し状?」

「ルクレツィアに果し状出したら瞬殺だわ」

「瞬殺しない為の…」

「言ってみい?」

「相関図など」

「あっ、話逸らした!」
ピコンピコン光っている。擬似エラー表示だな。

(んー落ち着いたわ!)と伸びをして
さらに周りを見渡した。

「魔石ペン、城の中の地図とかは描ける?」

「情報があれば」

「情報かぁ。何か方法ないかな?」

無限付箋紙を手に取ってみる。
だが、こんな閉じた部屋では、
せいぜい付箋紙アートで気を紛らわせる程度か。

「鳩でもいればねぇ」

室内には、格子のはめられた小さな窓はある。
ベッドから起き上がり、窓へと歩いた。
閉じられた窓から覗く外は夜。
こんな空気の薄い高さにいる生き物が外を
飛んでいるかもわからない。

月明かりの下、
墨を流したような岩峰が幾重にも連なっていた。

窓には、薄らと埃が付いている。

「あまり、掃除行き届いてないじゃん?」

ついーと指を走らせると祖母を思い出す。
掃除には五月蝿い祖母だったからなぁ

嫌な実家の記憶が脳裏を過ぎる。

――そこで真琴は、ふと手を止めた。

「あっ、もしかして」

そう思って、真琴は部屋の隅を探した。

綺麗じゃない所ほどいるもの
それは…

「いた!蜘蛛🕷️」

蜘蛛を見つけて、そっと捕まえる。

枕元に水指しとコップを見つけて、コップを裏返して
蜘蛛を閉じ込めた。

「蜘蛛!魔法ログ開け」
伝書鳩の要領で魔法ログを開く。

「やっぱり、上書き出来る!」

伝書鳩も生命を削るような魔法ログの書き換えは出来なかった。
行動を制御する程度のこと。

「セラフィナならもっと制御出来るんだろうけどなあ」

でも、今は相手は蜘蛛だ。
必要なのはこの城の情報。

魔石ペンが地図に起こせる程度で良い。

「あまり、お城が大きくない事を祈る」

言いながら真琴は、蜘蛛を部屋の鍵穴から外へと出した。

蜘蛛の行動範囲。書き換えは、城の行き来程度のことだ。
あまり期待はしないように待つことにした。



鍵穴の向こうへ消えていく蜘蛛を見送り、
真琴は小さく息を吐いた。

「さて……戻ってくるまで暇だな」

その瞬間だった。

カツ――

硬質な靴音。

真琴は反射的に顔を上げる。

静まり返っていた廊下の奥。

ゆっくりと、
誰かがこちらへ歩いてくる音がした。

「……え?」

一定の間隔。

迷いの無い足音。

まるで、
この城そのものが歩いてくるような圧力。

やがて、
部屋の前で音が止まる。

鍵の開く音はしなかった。

重い扉が、
独りでに静かに開く。

そこに立っていたのは――

漆黒のドレス。

夜を溶かしたような長い髪。

そして、
全てを見下ろすような紅い瞳。

「……初めまして、かしら」

女は優雅に微笑む。

海の上で見た女だ。
あの時は、名乗る事すらなく消えた。

「私の城へようこそ。
 真琴」

喉が、張り付く。

本能が理解した。

この女が。

ルクレツィア。

ルナミナとセラフィナの姉だ。



「招待してくれと頼んだ覚えはないのだけど?」
真琴は、部屋のベッドに腰掛けたまま言った。

「随分と余裕だこと。舐めてるの?」

「舐めるも何もせめて状況を教えてくれない?」

ルクレツィアは僅かに目を細めた。

怒ったようにも、
笑ったようにも見えない。

ただ、
値踏みするような視線だけが真琴へ向けられる。

「状況?」

静かな声だった。

「貴女は今、
 墨山の最奥――黒曜城にいる」

「それは何となくわかる」

「なら十分でしょう?」

「十分じゃないから聞いてるんだけど」

真琴は肩を竦める。

「なんで攫ったの?
 私は別にお姫様ポジションじゃないわよ?」

その瞬間。

空気が僅かに軋んだ。

真琴は反射的に息を止める。

――違う。

怒気じゃない。

圧だ。

存在そのものが、
周囲を沈ませている。

それなのにルクレツィア本人は、
優雅な笑みを崩さない。

「面白い事を言うのね」

カツ――

ゆっくりと部屋へ入ってくる。

靴音が響くたび、
空気が重くなる錯覚。

「普通の人間なら、
 泣くか、怯えるか、命乞いをする場面よ?」

「いや、怖いわよ?
 めちゃくちゃ怖い」

真琴は即答した。

「でも、怖がった所でどうにかなる相手とも思えないし」

「……なるほど」

ルクレツィアはそこで初めて、
少しだけ興味を見せるように首を傾げた。

紅い瞳が、
真琴を観察する。

まるで珍しい標本を見るような目。

「ルナミナとセラフィナが執着する理由が少しわかったわ」

「やめて。
 その言い方、全然嬉しくない」

「でしょうね」

ふっと、
ルクレツィアが笑う。

その笑みには、
どこか人ではない冷たさがあった。

「安心なさい。
 少なくとも今すぐ殺すつもりはないわ」

「その“少なくとも”が怖いのよ」

「貴女次第かしら」

さらりと告げられた言葉に、
真琴の背筋を冷たいものが走った。

試されている。

そんな感覚があった。


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