【第3章】 第58話

【第3章】第58話 深海は見ている


すでに“箱”は目の前にあった。

ドワーフ印の大型船。

通常運行用として作られた頑丈な船体。

だが——

今から行おうとしているのは、
普通の航海ではない。

「つまり」

真琴が船体を見上げながら言う。

「これを私達人数だけで運行可能にして、
なおかつ非常時には潜航可能仕様へ改造する、と」

「軽く言ってるけど、
内容は全然軽くないからな?」

ヴィクトルが即座に突っ込んだ。



ぴこん。

ぴこん。

ぴこん。

真琴の周囲へ、
大量の魔法ログが展開していく。

船体構造。

魔力循環。

浮遊補助。

耐圧結界。

水流制御。

推進補助。

膨大な情報が、
猛スピードで流れていた。



「クラリス!」

「はい!」

「街で売ってる魔石、
等級問わず買えるだけ確保!」

「既に手配済みです!」

クラリスは、
山のような木箱を指差した。

「早っ」

「お兄様が予算感覚を諦めました」

「待て妹よ、
言い方」

ヴィクトルが頭を抱える。



真琴は、
船底へ魔法ログを重ねながら呟く。

「通常航行仕様と——
今回の潜航補助仕様」

「完全に別物だから、
接続ログが噛み合ってない」

ぴこん。

エラー表示が弾ける。



【循環経路衝突】

魔力流路:
競合発生

耐圧結界:
出力不足



「うわ、面倒くさっ」

真琴が顔をしかめた。

「通常航行中は軽量化優先。
でも潜航時は逆に外殻固定が必要」

「つまり?」

レオンハルトが聞く。

「船の思想が真逆」

「聞いただけで嫌だなそれ」



真琴は、
次々とログを繋ぎ替えていく。

「通常時は船。
緊急時だけ限定潜航」

「完全潜水艦にはしないのか?」

ヴィクトルの問いに、
真琴は首を振った。

「無理」

即答だった。

「人類、
まだそこまで海を理解してない」

その言葉に、
場が少し静まる。



「待って?」

リオがログを覗き込む。

「でもこれ、
聞いてる限り潜水艦なんだけど?」

「潜航補助船です」

「言い換えただけでは?」

「大丈夫」

真琴は真顔だった。

「沈んでも死なない仕様を目指してるだけだから」

「発想が怖いわ!」

クラリスが思わず叫ぶ。



「ちなみに」

リオが、
ぽんっと手を叩いた。

「ドワーフ店長から人数分の潜水装備も貰ってるよ?」

沈黙。



「……は?」

ヴィクトルの声が止まる。

「いや、だって潜るんでしょ?」

「最初から潜る前提だったのかお前!?」



リオは、
当然のように装備袋を開いた。

丸型硝子。

重厚な金属装甲。

魔力循環用の管。

どう見ても、
普通の海用装備ではない。



少し離れた場所で。

船長候補の男は、
静かにその光景を見ていた。

「…………」

そして。

深く、
頭を抱えた。

「俺、船長だからな……」

ぼそりと呟く。

「船の操縦士だからな……?」

誰に言うでもなく、
確認するように繰り返す。

「なんで潜水前提なんだお前ら……」



フィオナが、
苦笑しながら尋ねた。

「大丈夫ですか?」

「いや嬢ちゃん」

男は遠い目をした。

「今更逃げる気はねぇよ」

そう言って、
改造されていく船を見上げる。

その視線だけは、
完全に“嫌な予感しかしない”顔だった。



「潜航は緊急時だけにしろ」

男が低く言った。

場の空気が、
少しだけ締まる。

「海を舐めるな」

その声には、
重みがあった。

「海はな」

男は、
静かに海を見た。

「見えてる時が一番安全なんだよ」



その言葉に。

誰も、
すぐには返事をしなかった。

潮風だけが、
静かにマリーナを抜けていく。



しばらくして。

張り詰めていた空気を誤魔化すように、
真琴がぽつりと呟いた。

「……屋敷に置いてきたシャドームーン、
寂しがってないかな」

「急に猫の心配始まったな?」

リオが呆れたように言う。



「でも猫って、
船乗りの間では縁起の良い動物扱いらしいですよ?」

フィオナが、
工具箱を整理しながら言った。

「鼠を捕るから、
船では大事にされてたとか」

「じゃ、連れてくれば良かったな」

真琴は、
少しだけ残念そうに言う。



「やめろ」

ヴィクトルが真顔で止めた。

「猫に潜水パニックでも起こされたら、
目も当てられん」

「今、真琴に必要なのは癒しだって、
本人が呟いていますのに」

クラリスがじと目になる。

「本当に空気読めませんのね、お兄様」

「そこまで言うか妹よ?」



「でもまあ」

レオンハルトが苦笑した。

「猫が船にいると、
少し安心する気持ちはわかるな」

「でしょ?」

真琴が即座に食いつく。

「可愛いは正義」

「海の恐怖に対する結論が雑過ぎるんだよお前は」

リオが笑う。



その笑い声の向こうで。

——ゴォン……

再び。

深海の鐘が響いた。

その瞬間。

船底へ展開していたログが、
淡く明滅する。

ぴこん。



【深海域観測反応】

接続先:
未定義



真琴の表情から、
笑みが消える。

「……これ」

静かな声。

「海の方から見てる」



その言葉に。

船長候補の男が、
ゆっくりと海を見た。

「……やっぱり最近の海はおかしい」

低い声だった。

「戻ってきた漁船も、
妙な病に侵されてる」

ヴィクトルの視線が鋭くなる。

「病?」

「ああ」

男は短く頷いた。

「皮膚が白く割れる。
結晶みてぇにな」

その瞬間。

ヴィクトルとクラリスの空気が変わった。



「……お兄様」

「ああ」

両親と、
同じ症状。

偶然とは思えなかった。



「神殿でも治せねぇ」

男は続ける。

「だから皆、
“潮騒の魔女”の所へ運び込む」

「潮騒の魔女?」

真琴が聞き返す。

「ああ」

男は苦く笑った。

「海洋都市外れに住み着いてる変人だ」

「深海病だの、
海呪いだの、
結晶侵食だの」

「そんな厄介事ばっか研究してやがる」



「会えるんですか?」

フィオナが尋ねる。

男は肩を竦めた。

「さぁな」

「気に入らなきゃ、
話すら聞かねぇよ」

潮風が吹く。

遠くでまた、
鐘が鳴った。

——ゴォン……

まるで。

海そのものが、
こちらを呼んでいるように

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