【外伝】 真琴編

外伝ー真琴編「説明書のある世界」


春麗らかな季節。
王都の通りには、やわらかな風に乗って花びらが舞っていた。

「ああ、この世界にも春はあるのね」

ふと空を見上げて、そう思う。

穏やかで、何事もないような光景。
けれど——

(この世界は、本当に“そうなっている”のだろうか)

そんな違和感が、胸の奥に小さく残っていた。

そして思い出すのは、
高校生になったばかりの頃のことだった——

実家は、老舗旅館だった。
姉、自分、弟の兄妹。
長女は、将来の女将候補。弟は、老舗旅館の経営者予定。
じゃあ次女は?って構図であまり実家に良い思い出はない。

「高校までは、出してやるけどそのあとは旅館を手伝いなさい」

って進路を勝手に決められて、鬱屈した気持ちと流されて入った地元の公立高校で悩んでいたっけ。

最初の自己紹介やら各教科の先生紹介が授業の最初に流れている頃に自分の将来を決める出会いがあった。

「次、物理だって」教室でそんな声が響く。

ガタガタ…
授業開始とともに入ってきた若い男性教諭
今年から赴任したと朝礼で言っていた。

手には、なにやら道具がいっぱい。
クラスの男子を呼んで組み立て始める。
ロープと仕掛け?

組み立てられたのは、えっとピタゴラスイッチって奴?
「えー今から物理の実験します」
言いながら、先生はクラスの1番体格の良い柔道部の田中くんを呼んだ。
「君はここの丸い板の上に座って欲しい」

そして、先生は黒板にスラスラと書き始めた。
この組み立てた道具の説明書

「えーと、窓際の高瀬さんか、この小さなボールをチョンとしてみようか」
言われるままに道具端に行ってボールを転がした。
コロコロと転がり、ぶつかり、ぜんまいが組み合って動き始める。みんなその行く末に興味津々だ。
最後に田中くんが50センチほど浮き上がった。
「うわっ!」すぐによろめいて、先生に抱えられたけど

「というわけで、物理の面白さを少しは感じて貰えたかな?
最初の梃子の原理とは、こういう物なんだ。
物理とは〜」

と、先生はなんか言っていた。でも私は
先生が黒板に書いた仕組み、余計な文のない説明書が心に響いてしまったんだ。

――放課後、まだチョークの粉が残る教室。
黒板には、今日の実験の図が消しきれずに残っている。

「先生」

思い切って声をかけると、振り向いた先生は少しだけ驚いた顔をした。

「おや、どうした?」

「今日の、あの……説明の書き方、すごく分かりやすかったです」

「説明の、書き方?」

「はい。無駄がなくて、順番通りで。
ああいうの、仕事にできたらいいなって思って」

少しの間。先生は考えるようにチョークを指で転がした。

「なるほど。“伝えること”に興味があるのか」

「……はい。誰が見ても同じように分かるもの、っていうか」

先生はふっと笑った。

「それは良い視点だ。だが——少しだけ違うな」

「違う、ですか?」

黒板の前に立ち、先生は先ほどの装置の図を軽く叩いた。

「これは、私が“分かりやすく書いた”から動いたのではない」

「え……?」

「もともと、そう動くようにできているんだ。
私はただ、それを“順番に並べただけ”に過ぎない」

言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。

「物理というのはな。世界の“都合”じゃない。
人の気分や事情で変わるものでもない」

先生は、黒板に一つだけ式を書き足す。

「条件が揃えば、必ず同じ結果になる。
それがどこであろうと、誰が見ていようと関係なく」

コツン、とチョークを置いた音がやけに響いた。

「つまり——世界そのものが、既に“説明書通り”に動いている」

「……世界が、説明書?」

思わず口に出していた。

先生は振り返り、少しだけ楽しそうに笑う。

「そう。君が惹かれたのは“書き方”じゃない。
“そうなっている理由が、ちゃんとある”という事実だよ」

胸の奥が、じんわりと熱くなる。

理由がある。順番がある。例外がない。

「……じゃあ、それを分かるようにする人って」

先生は軽く肩をすくめた。

「翻訳者、かな。世界の仕組みを、人の言葉に直す」

その言葉に、なぜか救われた気がした。

誰の都合でもない。
決められた役割でもない。

ただ、そうなっているから、そうなる世界。

「それ、やってみたいです」

小さく呟くと、先生は頷いた。

「いいだろう。ただし一つだけ」

「はい?」

「“分かりやすさ”に逃げるな。
本質を削った説明は、ただの嘘になる」

――その言葉の意味を、まだこの時の私は理解していなかった。

ただ一つだけ、はっきりと思ったことがある。

感情でも、都合でもなく。
理由と順番で、世界が動いているのなら。

せめて私は、それを——
誰かに伝えられる形にしたい。

そうして私は、
“説明書を書く側”の道を選んだ。

それが、この世界に来た今でも
変わらない、自分の在り方だと信じている。
——だからきっと私は、
“理由のないもの”を、そのまま受け入れることができない。

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