【第六話】 研究者と説明書と慰労会

王城で始まる、真琴とクラリスの奇妙な共同生活。
整理整頓も研究も、無駄は許さない――この夜、物語は加速する。

第六話 研究者と説明書と慰労会

「お兄様!」

研究所を出た瞬間、小さな影が駆け寄ってきた。

「クラリス。王城から走ってきたのか?」

「お帰りだと聞いて……はぁ……はぁ……」

息を整えながら、その視線がこちらに向く。じっと観察するように。

「……その方は?」

「高瀬真琴だ。調査先で知り合った」
「今後、研究協力を依頼する」
「しばらく家に泊める」

「えっ」

(私も初耳なんだけど)

「真琴、クラリスだ。一応私の妹だ」

「お兄様、一応って何?」

小さく頬を膨らませてから、こちらへ向き直る。

「クラリス・シュバルツと申します。王城図書館の研究員です」

「あ、すみません。人付き合いあんまり得意じゃなくて……」

(あ、警戒されてる?)

「ごめんなさい、私も目つき悪いってよく言われてて」
「成り行きで、これからお世話になります」



ヴィクトルが颯爽と登場した瞬間、クラリスの手が小さく震えた。

(森で……ヴィクトルがフィオナ様を気絶させた……?)

目が丸くなり、後ろに一歩下がる。
手は膝の前で小刻みにガタガタ震える。

「……お、お兄様……」
声がかすかに震えている。

フィオナは穏やかに微笑むが、クラリスのガクブルには全く気づかない。
私は思わずクスッと笑った。
(……やっぱりクラリス、可愛い)

クラリスは必死に平静を装おうとするが、背筋がゾクゾクするのを抑えきれない。



気を取り直したクラリスに、私は研究室を案内されることになる。

扉が開く。

「どうぞ」

一歩足を踏み入れて——

「……うわ」

壁一面の黒板。
びっしりと書き込まれた文字と図式。

魔法陣の分解図、注釈、書きかけ、消し跡。
机には分解された魔石と細い石片、そして積み上がる本。

(カオスだ)

「現在進めている研究です」

「魔石を筆記媒体として利用する試みで——」

「魔石ペン?」

「……ご存知で?」

「なんとなく」

「報告書は定型文なのに、一から書いているのです」
「非効率的で……だから記述を補助する道具を」

(お役所あるあるだな)



黒板に近づく。ざっと目を通す。

(……なるほど)

「これ、書き方バラバラすぎない?」

「……え?」

「理論はいいけど、再現性が低い」
「この記号、意味二通りあるし」
「工程も前後逆」

沈黙。

「……どこが、ですか?」

(来た)



気づけば手が動いていた。
  •   材料
  •   前提条件
  •   手順
  •   注意点

「まず分ける」
「一緒に書くから分かりにくい」

石が擦れる音が響く。

「この工程はここ」
「条件は先に」
「これは例外処理」

(あーこれ完全に仕事だわ)



「……整理されている」

クラリスが呟く。

「理解が早い……無駄がない……」
「これは能力ですか?」

「ただの職業病」

「職業?」

「説明書書く仕事してた」

「……説明書」

クラリスの目が変わる。

(スイッチ入った)



「……必要です」

一歩、距離を詰める。

「この研究に、その技術は不可欠です」
「協力してください」

「いやもうしてるよね?」

「継続的に、です」



「……無論」

クラリスが一瞬だけ視線を伏せる。

「無断での検証や、身体への負荷を伴うような行為は行いません」

淡々とした口調。

「必要であれば、事前に説明と同意を取ります」

顔を上げる。

「その点は、ご安心ください」

(……一応、線引きはあるんだ)

「同意って、どこまでの?」

「合理的な範囲です」

(その“合理的”が怖いんだけど)

(逃げられないやつだ)



その後、ヴィクトルたちの屋敷へ案内された。

思っていた以上に大きい。

「一応、領地を持たない貴族でな」
「代々王城勤めだ」

「家のことは執事に任せてるのよ」

紹介されたのは、執事のアスター。

「お部屋はご用意しております」

通された部屋には、既に衣服まで揃っていた。

(……手回しが早い)

「王城用の服も用意しておいて」

「かしこまりました」

「メイド服でもいいのに」

「卑下するな」

即座にヴィクトルに止められる。

(……ほんとに囲われたな、これ)



王都の食事処は賑やかだった。

焼ける肉の匂い。香辛料。笑い声。

「皆さま、お疲れ様でした」

フィオナがグラスを掲げる。

「乾杯」

小さく音が重なる。

料理が運ばれてくる。ふと視線を向けると——

隣のテーブルの客が小声でささやく。

「え、何の話?」
「屋根の上を白い仮面の人形が走ってたって」

(……白い仮面?)

レオンハルトと私は視線を交わす。
笑い声や談笑の中に、ほんの少しだけ緊張が混ざる。

「……行くか」
レオンハルトが低くつぶやく。
私はうなずき、そっと席を立った。



外は夜の街。
石畳に月明かりが反射し、屋根や梁の影が揺れている。

(……あれだ!)

白い仮面のファントムが、建物の屋根を駆ける。
軽やかで、人形のような動き。舞踏家のように梁や屋根を滑る姿が、月光に浮かぶ。

「屋根の上だ!」
レオンハルトが声をかける。

私は短い魔法補助で空中に跳び上がる。
それでも追いつけず、手を伸ばすたびにファントムは次の屋根へ滑るように移動する。

街の住民はちらほら見かけるが、何が起きているかは分からず、ただ不安げに家の中に身を潜める。

追跡は数分続いたが——

ファントムは最後の梁を渡った瞬間、忽然と視界から消えた。

(……消えた……)

夜風が、さっきまでの異形の存在を静かに撫でていく。
空気は一瞬、静まり返り、何も見えないのに背筋がざわつく感覚だけが残る。

「……ま、まだ何も分かってない、ってことだな」
レオンハルトがつぶやく。
私は無言で頷くしかなかった。



再び、食事処の明かりの中へ戻る。
賑やかな笑い声が、追跡で感じた緊張感をかき消すかのようだった。

フィオナが穏やかに口を開く。

「先日、辺境の街を訪れたときのことです」
私たちは自然と耳を傾ける。

「妹を亡くした少年がいました。まだ幼く、深く傷ついていました……」

周囲の笑い声が少しだけ遠のく。
言葉の一つ一つが、静かに胸に触れる。

「街の人々は、目に見えない不安を抱えています」
フィオナは私たちを見渡す。
「怪物や人ならざるものの存在は、まだ表には出ていません。でも……小さな影は確かにあるのです」

(……あの白い仮面のことかもしれない)
思わず頭をよぎる。
けれど今は、フィオナの語る世界に耳を傾けるしかない。


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