【第七話】 慰労会の夜と白仮面

第七話 慰労会の夜と白仮面


王都の夜は、やけに明るい。

満ちた月が、石造りの街並みを白く照らしている。

その光の下――
研究所の広間では、先ほどの慰労会の余韻がまだ残っていた。

肉の焼ける匂い。酒の香り。響く笑い声。
任務を終えた者たちの、束の間の安息。

――だが、その中に。

わずかな“異物”が混じる。



「聞いたか? “白仮面”の話」

隣の座卓から、妙に通る声がした。

ヴィクトルは杯を傾けながら、意識だけをそちらへ向ける。

「黒いマントに、真っ白な仮面……月の出てる夜に現れるらしい」

「で、そいつが走り去った後、必ず人が死ぬんだとよ」

どっと笑いが起きる。
だが、その笑いはどこか薄い。

「しかも遺体が妙なんだ。血が黒ずんでるとか、肉が……」

「やめろって、飯時だぞ」

軽口で打ち消される。
それでも、ざわめきは消えない。

(私のマスクはペストマスク風だし、黒いマントではなくケープコートだ。そもそも王都では着用していない)

ヴィクトルは無言で酒を飲む。

(形状認識が曖昧すぎる。色彩の識別にも問題があるな)

そのとき――

ふと、視線を感じた。

顔を上げると、隣の座卓の男と目が合う。
男は一瞬固まり、慌てて視線を逸らした。

「……なぁ、お前。ああいう仮面、どっかで見たことねぇか?」

何気ない一言。

だが数人の視線が、こちらへ流れる。

ほんの一瞬。
それでも、十分だった。

沈黙が落ちる。

「……お兄様を、何だと思っていらっしゃるの?」

澄んだ声が、その空気を断ち切った。

クラリスが立ち上がっている。

「王城直属の研究員に対して、随分と軽率なお話ですのね」

柔らかな口調。
だがその芯は鋭い。

「い、いや……別にそういうつもりじゃ」

「では、どういうつもりで?」

一歩、踏み出す。

空気が張り詰める。

「噂話は結構ですけれど、対象を混同なさらないでくださいませ」

淡々とした口調。
感情は抑えられている。

だが、“線引き”は明確だった。

「根拠のない恐怖は、判断を鈍らせますわ」

完全に場を制した。

ヴィクトルは小さく息をつく。

(過剰防衛だな……だが、合理的ではある)

「クラリス」

名を呼ぶと、彼女は一瞬だけ振り返り、表情を緩めた。

「失礼いたしました。少々、無粋でしたわね」

優雅に一礼し、席へ戻る。

張り詰めていた空気が、ゆっくりと緩む。

そのとき。

「あらまぁ……」

柔らかな声が、別の方向から響いた。

フィオナだった。

杯を持ったまま、わずかに首を傾げている。

「そのお話……あまり良くない気配ですわね」

場の空気が、わずかに揺れる。

「気配って、何だよ。怖いこと言うなって」

笑いが戻る。
だが――どこかぎこちない。

フィオナはそれ以上何も言わず、静かに目を伏せた。

まるで、“何か”を感じ取っているように。



「……でもよ、本当にいるらしいぜ」

誰かが小さく呟く。

「昨日も出たって話だ。南区画で……また一人」

今度は、誰も笑わなかった。

ヴィクトルは杯を置く。

(南区画……か)

思考が、静かに動き出す。

(人為的な可能性が高い。しかも制御が甘い)

(……さっきの違和感と、似ている)

真琴の背筋に、わずかな冷たさが走る。



「おっと」

軽い声が割って入った。

「なんか物騒な話で盛り上がってるな」

振り返ると、レオンハルトが片手に酒を持って立っていた。

にやりと笑う。

「俺の事、お忘れじゃないかい?」

場の空気が、わずかに緩む。

「こういう話は騎士様の出番だろ?」

冗談めかして肩をすくめる。

クラリスが小さくため息をついた。

「でしたら、まずは噂の精査からですわね」

「了解了解。じゃあまずは――」

レオンハルトはちらりとヴィクトルを見る。

「頭脳担当と現場担当で分担ってとこか?」

「妥当だな」

短く答える。



「対象の確保が可能であれば」

クラリスが静かに口を開く。

「生体状態での観察を優先したいところですわね」

一瞬、空気が止まる。

「……それ、大丈夫なやつ?」

思わず口に出る。

「ええ、もちろん」

表情一つ変えずに答える。

「事前に同意が得られれば問題ありません」

(無理でしょ、その状況で)



「……皆さま」

フィオナが静かに口を開く。

その声は、先ほどよりもわずかに強い。

「もし、それが本当に“人が変えられたもの”でしたら」

一瞬、言葉を選ぶ。

「……どうか、無理はなさらないでくださいませ。
“戻せない段階”のものも、あるようですから」

「……その場合、“同意”は取れませんわ」

静かに、しかしはっきりと。

クラリスが視線を向ける。

ヴィクトルは何も言わない。

ただ――

「観察する価値はある」

それだけを告げた。



月は変わらず、煌々と輝いている。

王都の夜は美しい。

――だからこそ。

その影は、深い。

そしてその影は――
すでに、人の中に入り込み始めていた。
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