【第5章】 第113話
【第5章】第113話 クラリスはまだ動いていない
王都外縁区――下町と貴族街の境界に位置する、半ば曖昧な区域。
その一角にある小さな宿の一室で、リオは窓際に立っていた。
外では人の流れが絶えない。だが、この部屋だけは切り離されたように静かだった。
「……結局、全部繋がってきてるな」
ぽつりと呟く。
手元には、シュバルツ家から“非公式に回ってきた情報”があった。
魔法庁の調査記録の断片。王宮からの要請の写し。そして、名前。
クラリス・シュバルツ。
それらは丁寧に並べられているが、意図は明白だった。
“管理対象化”。
リオは紙を軽く叩く。
「正式手続きで固めてくるの、ほんと嫌なやり方だよな……」
ため息混じりの声。
だが、それを単なる圧力とは見ていなかった。
正確すぎる。
崩す余地がないほど整っている。
だからこそ――裏がある。
コンコン、と控えめなノック音。
「入る」
扉が開く。
入ってきたのは、王都の裏側に通じる連絡係の男だった。
「リオ様、例の件です」
「早いな」
男は小さく頭を下げ、封書を差し出す。
王家の紋章ではない。
しかし、それに準ずる“中枢系統”の印が押されている。
リオは封を切らずに一度だけ見つめた。
「……もう逃げ道塞ぎ始めてるか」
封を開く。
中身は簡潔だった。
――クラリス・シュバルツへの調査協力に関する意見聴取の要請。
ただの文面。
だが実質は“接触許可の確認”だ。
リオは苦笑する。
「正式にやってくるのが一番厄介なんだよな、ほんと」
男が問う。
「どうされますか」
少しの沈黙。
リオは窓の外へ視線を向けた。
遠く、貴族街の方角。
「断れる形じゃないな、これ」
椅子に腰を下ろす。
「ただし、“向こうの想定通り”に動くのはやめる」
ペンを取り、書き始める。
返信文は簡潔だった。
――協力は可能。ただし、面会は“本人の意思を尊重すること”。
それ以上でも以下でもない。
封を閉じる。
「これで、まず一枚目だ」
男が目を細める。
「まだ何か?」
リオは軽く笑った。
「本番はここからだろ」
――魔法庁。
――王宮。
――シュバルツ家。
全部が“正しい手順”で動いている。
だからこそ、どこか一箇所でも揺れれば崩れる。
リオは立ち上がる。
「ヴィクトルに伝えとけ。動くなら“今の形のまま”じゃ無理だってな」
「了解しました」
男が去ると、再び静寂が戻る。
リオは窓の外を見たまま、ぽつりと呟く。
「クラリス、ほんと巻き込まれ方が綺麗すぎるんだよな……」
その整いすぎた流れは、誰かの設計を疑わせるには十分だった。
そして――
王都の空気が、わずかに歪む。
まだ誰も気づかないほど、静かに。
――
王都・魔法庁外郭連絡室。
リオの出した返書は、想定より早く“通った”。
正確には、通さざるを得なかった。
「……やっぱり食いついたか」
机に封書を置き、リオは息を吐く。
内容は単純だ。
“クラリス・シュバルツ本人の意思確認を前提とした面会調整を許可する”
形式は慎重。
だが実質は一つ。
接触ルートの公認化。
「ここまでは想定内……いや、むしろ早いな」
外を見る。
王都の空は穏やかだ。
だが、その静けさが逆に不自然だった。
「……もう囲いは完成してるってことか」
その時、扉が開いた。
ヴィクトルだった。
「リオ」
「来ると思ってた」
視線だけ向けるリオ。
ヴィクトルは机の封書を見てすぐに理解する。
「動いたのか」
「動かされた、の方が正しい」
リオは肩をすくめる。
「正式ルートが許可された。これで“会いに行く理由”はできた」
ヴィクトルは拳を握る。
「……遅い」
「遅いっていうか、遅く“させられてる”」
リオは表情を引き締めた。
「逃げ道を全部塞いでから“自由にどうぞ”ってやり方だ」
ヴィクトルは黙る。
理解しているからこそ、腹が立つ。
「クラリスはどうなる」
「少なくとも今は“何もされてない”。外から見える範囲ではな」
「……それが一番怖い」
低い声。
リオは頷いた。
「だから今が動くタイミングだと思う」
「どう動く」
リオは立ち上がり、机に手をつく。
「お前が行く」
「王宮にか?」
「違う」
首を振る。
「クラリスの“周辺”だ」
空気が変わる。
「全部“正規ルート”で繋がってる。だからこそ、その間に“人の意思”を入れる余地がある」
ヴィクトルは息を吐く。
「……俺が行く意味はあるのか」
「ある」
即答だった。
「会える保証はない。それでもだ」
沈黙。
やがてヴィクトルは頷く。
「……行く」
リオも頷いた。
「じゃあ準備だ」
机に地図が広がる。
魔法庁の外郭動線、旧搬入ルート、警備更新情報。
「表から入るな」
「そこは相手の土俵だ」
リオは一点を指す。
「ここ。旧搬入ルート。今はほぼ死んでる」
「そこから?」
「そこしかない」
ヴィクトルは目を閉じる。
開く。
「……行く」
リオは軽く笑った。
「いい顔になってきたじゃん」
ヴィクトルは答えない。
ただ視線はすでに“クラリス”へ向いていた。
「クラリスはまだ動いていない」
リオが呟く。
「だからこそ、一番崩れやすい」
風が窓を揺らす。
王都のどこかで、見えない歯車がまた一つ回った。
そしてヴィクトルは立ち上がる。
「行くぞ」
その一言で、流れは変わった。
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