【第3章】 第70話
【第3章】第70話 過信しない
通信機から、
微かなノイズが流れていた。
『——だから、過信はするな』
潮騒の魔女の声。
静かで、
だが妙に現実的な声音だった。
『特に父親の方は進行が深い。
おそらく、
立っているだけでも相当辛かったはずだ』
その言葉に、
クラリスの肩が震える。
「……そんな」
掠れた声。
通信機の向こうでは、
結晶化が進んだ研究室。
そして、
そこにいるはずの二人。
クラリスは唇を噛み締めた。
ヴィクトルも表情を曇らせる。
「今すぐ戻る」
反射的に出た言葉だった。
だが——
『来るな』
聞こえたのは、
女性の声。
ヴィクトル達の母親だった。
『私達は、もう覚悟は決まっている』
「母さん……!」
『だからこそ、
今やるべき事をやりなさい』
その声には、
不思議なほど迷いが無かった。
むしろ、
揺れているのは——
こちら側だった。
通信が切れる。
部屋に、
重い沈黙だけが残った。
⸻
「とりあえず!
クラーケンの娘捕獲作戦!」
その空気をぶち壊すように、
リオが勢いよく手を挙げた。
「……温度差どうなってんだお前」
ヴィクトルが眉を寄せる。
「でも、
居場所なんてわかるの?」
もっともな疑問だった。
魂の抜けた人間が、
幽霊船に乗って戻ってくる。
それはあくまで“結果”の現象。
クラーケンの娘そのものを、
誰も見つけられてはいない。
「潮騒の魔女がヒントくれたじゃん?」
「ヒント?」
「あの鐘の音の正体。
テュ・ポーンっていう、
蛸の化け物」
リオは指を立てた。
「そいつ、
クラーケンの娘を追っかけ回してるらしいんだよね」
「あー……」
真琴が納得したように頷く。
「じゃあ、
まずはテュ・ポーンを殺さず捕まえる感じ?」
「そそ」
「印つけて、
クラーケンの娘まで案内させる訳ね」
「簡単に言うなぁお前達は」
ヴィクトルが呆れたように額を押さえる。
だが、
リオは気にした様子もない。
「でも、
ヴィクトルって擬似干渉圧かなり上手くなってたじゃん?」
「……あ?」
「テュ・ポーンって、
お父様の干渉圧から逃げてきた化け物なんでしょ?」
リオはニヤリと笑った。
「なら、
今のヴィクトルの擬似干渉圧にも、
反応するかもしれないって話」
⸻
船の操縦は、船長。
今、船に乗っているのは、
真琴、リオ、ヴィクトルとレオンハルトにフィオナ
そして、ルナミナだ。
「何故ルナミナが今いるの?」
「リオに呼ばれた」素っ気なく答えられた。
作戦は、
沖合にまず移動する。
ヴィクトルの擬似干渉圧を展開してもらい、
鐘の音を観測する。
テュ・ポーンが浮上してきたら
レオンハルトに距離をとりつつ、印を打ち込む。
後は、テュ・ポーンがクラーケンの娘まで追いかけるのを待つ。
「わぁ、印ってこれで打ち込むの?」
真琴がリオに渡された道具を見て言う。
照明弾のように銃型の道具に弾が込められている。
ドワーフ道具店に特注したと言うが、
まあ、オルフェウス印と言っても過言でない。
「魔力が必要だから僕が打ち込むよ」
えーって真琴は残念そうだ。
「私とフィオナとルナミナは今回無力ね」とため息をつくと
「ん?私はクラーケンの娘の方で活躍するわよ?」
「私は、治療枠ですからもとより後援ですし」
フィオナは、歌も提供済みだからとそんなことを言う。
「きゃーん、私だけ戦力外!
こうなったら、超ハードモードロックを生歌してやる!」
「俺たちを殺す気か!」って
ヴィクトルとレオンハルトに止められた。
⸻
夜の海は、
昼とは別物だった。
月明かりだけが、
黒い水面を鈍く照らしている。
船体が波を切るたび、
ぎし、ぎし、と木材が軋んだ。
沖合。
陸の灯りは、
もう遥か後方だ。
「……この辺りで十分だろ」
船長が低く呟き、
船を減速させた。
途端に、
静寂が広がる。
いや——
静かすぎた。
海なのに、
妙に音が無い。
風すら、
何かを警戒しているようだった。
「じゃあ、
始めるぞ」
ヴィクトルが前へ出る。
ゆっくりと息を吐き、
右手をかざした。
淡い風の魔力。
それが周囲へ広がっていく。
だが、
普段の魔法とは違う。
重い。
空気そのものが、
僅かに沈み込む。
「……っ」
真琴が眉をひそめた。
圧迫感。
お父様の干渉圧ほどではない。
だが、
確かに似ている。
空間へ“異物”をねじ込むような、
嫌な感覚。
ヴィクトルの額に汗が浮かぶ。
「まだ、
維持出来る……!」
ぎり、と歯を食いしばる。
その時だった。
——ゴォン……
遠く。
鐘の音。
全員の視線が、
同時に海へ向いた。
——ゴォン……
また鳴った。
低い。
腹の底へ響くような音。
「来たね」
リオが目を細める。
次の瞬間。
どぼんッ!!
海面が爆ぜた。
巨大な何かが、
黒い海から飛び出す。
「うわっ!」
真琴が声を上げた。
現れたのは、
異形だった。
巨大な蛸。
だが、
ただの蛸ではない。
鐘のように膨れた頭部。
そこに、
無数の傷。
揺れるたび、
内部から鐘の音が響いている。
——ゴォン……
——ゴォン……
「……テュ・ポーン」
レオンハルトが剣へ手を添える。
だが、
その瞬間。
テュ・ポーンが、
びくりと震えた。
視線。
いや、
感覚器官のようなものが、
ヴィクトルへ向く。
「反応した!」
リオが叫ぶ。
テュ・ポーンは、
まるで何かを恐れるように後退した。
そして——
逃げた。
「レオンハルト!」
「ああ!」
風が爆ぜる。
レオンハルトが船縁を蹴り、
一気に海上へ飛び出した。
黒い外套が夜風を裂く。
「距離維持!」
「分かってる!」
ヴィクトルが干渉圧を維持したまま叫ぶ。
テュ・ポーンは、
逃げる。
まるで、
“あの存在”から逃れるように。
「今だよ!」
リオが銃型の刻印具を構えた。
魔力が収束する。
青白い光。
そして——
バシュッ!!
光弾が夜を裂いた。
バシュッ!バシュッ!
光弾は、数発柔らかい頭部後ろに刺さったようだ。
「上手く行った」
地図板を見ると上手く作動している。
「後は、案内よろしくだね」
今、テュ・ポーンは、黒い海原に姿を消した。
凪いだ海原は、不気味に揺れていた。
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