【第3章】 第76話

【第3章】第76話  干渉圧の檻(しはい)

「お姉様!」    

「流石にお父様に逆らって、『おいた』がすぎるわよね?」

ルクレツィアの有無を言わせぬ圧は、
セラフィナやルナミナのトラウマをも刺激するのか?
二人は項垂れて動けない。

看板に出た真琴達。特に真琴は、ルナミナ達の様子とルクレツィアの言葉にフツフツと怒りが込み上げてきた。
ルクレツィアに自身の母や姉が重なるのかもしれない。

干渉圧は、船の上から注がれている。
ミシミシと軋む音は、長くここに止まれない船の悲鳴だろう。

「まあ、お仕置きは後にして、その怪物をこちらに寄越しなさい。お父様へのお土産にするわ」

セラフィナ達にヒュドラを差し出せと命令する。

「嫌よ!」

セラフィナ達が返事をするよりも早く真琴が言った。

ルクレツィアは、ここで初めて真琴を見た。
人間なんて、跪き、恐れ慄くのが魔人に対しての礼節と
思ってきたからだ。

「虫ケラが私に意見を言って良いと誰が許可した?」

ルクレツィアの片手が空で切り裂くように弧を描いた。

ズバッと鮮血を撒き散らして、倒れたのは
セラフィナだった。
背中に3本の弧を描いた血の線が浮き出ている。

咄嗟に真琴を押し飛ばして、自身が身代わりに受けたのだ。

「セラフィナ!」
真琴が抱き抱え、ルナミナが駆け寄った。

「大丈夫。致命症ではないわ」
セラフィナの意識はしっかりしているらしい。

「あら?外れたのね。人間かぶれした妹なんていらないわ」
ルクレツィアは、揺れる心情一つ見せずに微笑んだ。

「次は確実にあなたよ」

再び片手が空で止まる。
「許さない!」

「なっ!ルナミナ!逆らうと言うの?」

ルクレツィアの表情が固まる。
今まで、末妹で、城ではビービー泣いていた小賢しい娘だ。
それが今、長女である私に逆らうと言うの?

片手が闇の幕に包まれて止まり、ギリギリと締め上げていく。

「ぐっ…この!」

ルクレツィアの全身から干渉圧の魔法が放たれる。
空はさっきよりも更に赤く染め上げられていく。

「探す!探す…探す、探す!」
真琴が意味のわからない言葉を発している。
しかし、リオがいち早く気がついた。

「ああ、真琴やれ!お前の怒り見せてやれ!」

セラフィナの身体をレオンハルトに渡して、
真琴がゆっくりと立ち上がった。
意識は、空間。
次々に魔法ログが立ちがる。

この干渉圧の隙間を探す。
魔人の強力な魔法を無間にしてやる!

「探す!探す……探す、探す!」

真琴の瞳が、
異様な集中を帯びる。

空間へ、
次々に魔法ログが展開された。

半透明の文字列。

術式構造。

干渉圧の流れ。

赤く染まる空間そのものへ、
無数の観測式が突き刺さっていく。

「何を……」

ルクレツィアが初めて眉を寄せた。

干渉圧を、
“見ている”。

人間風情が。

あり得ない。

「真琴!」

リオの声。

その瞬間、
魔法ログが一斉に回転した。

術式解析開始。

空間固定点——発見。

干渉圧流路——捕捉。

相互接続誤差——検出。

「そこっ!!」

真琴が空間へ手を叩きつける。

バキッ!

赤く染まっていた空間の一部が、
硝子のように砕け散った。

「……なっ」

ルクレツィアの表情が、
初めて揺らぐ。

船を押し潰していた干渉圧が、
一瞬だけ弱まった。

「はぁっ……!」

船長が即座に舵を切る。

だが。

次の瞬間には、
更に重い圧力が降ってくる。

空が、
軋む。

海面が沈む。

「虫ケラが……
私の魔法に触れるなッ!!」

ルクレツィアの魔力が爆発した。

空間そのものが赤黒く染まり、
海面へ巨大な圧力が落ちる。

魔法ログが、
次々に焼き切れた。

「ぐっ……!」

真琴の頬を、
血が伝う。

解析が追いつかない。

干渉圧の構造そのものが、
書き換わっていく。

固定された術式ではない。

感情に応じて、
無限に変質していく魔法。

「真琴!下がれ!」

ヴィクトルが叫ぶ。

だが真琴は、
血走った目で空間を睨み続けた。

「まだ……
ある……!」

砕けたログの奥。

僅かな、
干渉の空白。

「見つけた……!」

干渉圧の最後は、呆気なかった。
薄い硝子の砕けていく様を見ているようだ。

「このっ!」
ルクレツィアは、目の前の状況が信じられないのか、
怒りの矛先は、真琴一人に向いている。

そんな中で…バシャン!

バジリスクの尾が船尾の後方で弾けた。


ヴィクトルがいち早く反応した。

「ルナミナ!ヒュドラが狙われている!」

ヴィクトルの声。

船尾では、
闇の幕へ向かって、
バジリスクが巨大な尾を叩きつけていた。

海面が裂ける。

衝撃だけで、
船体が大きく揺れた。

「っ……!」

ルナミナが魔法維持へ集中する。

だが。

上にはルクレツィア。

下にはバジリスク。

完全な挟撃だった。

「真琴!もういい!」

リオの声が、
初めて鋭く響く。

真琴が振り返った。

その瞬間。

リオの周囲へ、
無数の魔法陣が展開される。

普段の簡略式ではない。

幾重にも重なった、
空間干渉式。

船長の顔色が変わった。

「おい……
まさか船ごとか!?」

「船ごとじゃないと間に合わない」

いつもの軽さは無い。

「ヒュドラ固定!
ヴィクトル、船体保護!
ルナミナ、闇幕を絶対切らすな!」

次々と指示が飛ぶ。

「空間座標固定開始」

魔法陣が回転する。

海面へ、
巨大な光の輪が広がった。

ルクレツィアが目を見開く。

「空間転移……?
人間風情が?」

「違うよ」

リオが静かに笑った。

「僕は、
人間の味方じゃない」

その瞬間。

空間そのものが、
捻じ曲がった。

海。

月。

赤い空。

全てが、
硝子細工みたいに歪む。

バジリスクが吠えた。

ルクレツィアが、
即座に干渉圧を叩き込む。

だが。

「遅い」

リオが、
指を鳴らした。

世界が、
反転する。



次の瞬間。

船は、
潮騒の魔女のいる岸壁へと出現していた。



こちらは、残された海面

反転する空間。

歪む海。

そして、
船の姿が消えた。

静まり返る海上。

残された赤い空だけが、
ゆっくりと揺れている。

「……逃がした」

ルクレツィアが、
静かに呟く。

怒声は無い。

だが。

周囲の海面が、
音もなく沈み込んでいた。

バジリスクすら、
低く唸り、
距離を取っている。

真琴が砕いた、
干渉圧の痕跡へ視線を向けた。

あり得ない。

干渉圧を解析し、
隙間を穿つなど。

そんな真似、
魔人ですら容易ではない。

そして——

『僕は、人間の味方じゃない』

リオの言葉が脳裏を過る。

ルクレツィアの赤い瞳が、
ゆっくりと細められた。

「……なるほど」

口元を覆う包帯へ、
真っ赤な爪が触れる。

月光の下。

彼女は、
愉しむように微笑んだ。

「面白いじゃない」


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