【短編小説】⑥ブラッドオレンジに染まるマンションの給水塔の前で
第6話 影の階段 ― 落ちない場所を探して
朝から校舎は
しっとり濡れていて、
空も窓も、
どこか頼りなく曇っていた。
給水塔へ続く非常階段は
雨に閉ざされ、
行き場所を
ひとつ奪われただけなのに
胸の奥のほうが
そわそわ落ち着かない。
塔は特別じゃないはずなのに
行けないとなると、
そこに置き忘れた呼吸まで
あとから恋しくなる。

氷見も同じ空気の中にいた。
廊下の影に立ち、
濡れた床を
じっと見つめている。
行きたい場所があるのに
天気に封じられる、
そんな日特有の、
言葉にならない重さ。
視線は上がらず、
それでも
心だけが
給水塔の高さを
探してしまう。

海斗は教室の隅で
天気アプリを開く。
「雨雲レーダー」を
何度も更新して
晴れる兆しを
探そうとする自分に
苦笑いしそうになる。
氷見の横顔も、
塔の静けさも、
どちらも
“そこに行ける天気”の
上に成り立っていた。

授業の音が薄まり、
放課後の気配が近づくころ
ふたりは別々の場所で
スマホを開いていた。
アルバムの奥に眠る
幼い自分と親が
屋上で写った一枚。
空は
ブラッドオレンジに染まり
頬が光を吸い、
影が足元に寄り添っている。
夕焼けの境界が
くっきりしていて
まるで世界の端に
立っているようだった。

海斗はその写真を
見つめながら
胸の奥が
ゆっくり跳ねるのを感じる。
あの色は寂しさではなく、
“ここにいていい”と
言われたみたいな
温かさだった。
氷見もまた、
同じ色を指でなぞっていた。
父と並んだ
小さな自分の肩
照らす光の高さ
夕景のオレンジが
体温みたいにやわらかい。
ふたりは互いに知らない。
だけど同じ色を胸に持ち
同じ天気予報を
食い入るように眺め
晴れマークひとつで
呼吸が軽くなることも。
明日の空がひらけば
塔へ続く階段の金属も乾き
あの頃の夕景に
少しだけ似た
ブラッドオレンジの
光に触れられる気がする。

行けないもどかしさで
始まった一日は
「晴れるかもしれない」
と言う、たったそれだけで
ふたりの胸に
そっと灯りをともした。
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