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B29大空襲の司令官ルメイに勲章を授与した日本政府

昭和31年生まれの僕でさえ、戦争の真実を何も知らない

 大石芳野さんと取材を始めて、すぐに痛感したのは、
「僕は戦争に関して、ほとんど何も知らない」
という初歩的な事実だった。
「なぜ米軍は日本の各地をB29で空襲したのか?」
 戦争だから爆撃するのは当然でしょ、やられても仕方がない、くらいの認識だった。でもそこには、理不尽きわまりない背景があった可能性があるし、実際、日本人の命を軽んじているとしか思えない米軍の姿勢がはっきりと浮き上がって見える。
 大石さんと最初に会った時、大石さんが厳しい眼差しで教えてくれた。
「ルメイという司令官がいて、8月1日の富山や長岡の大空襲は、このルメイの昇進直後なんです。まるでルメイの昇進を祝うかのように、焼夷弾を日本中の空からばら撒いた」
 僕は言葉を失った。

ゴミを捨てるように空から焼夷弾を捨てた?

 昇進祝いに? 爆竹を鳴らすかのように? 日本の空から焼夷弾を?
「この時はすでに原爆の完成がわかっていましたから、大量に備蓄している焼夷弾が不要になった。その焼夷弾をどこで処分するかが問題になったのかもしれません」
 つまり、ゴミを捨てるかのように、米軍はすでに不要となった焼夷弾を日本の空から捨てた……。その空爆によって、富山市は街の99%を焼失し、長岡は80%を焼失した。そして、数えきれない大勢の人々が命を失った。
 大石さんの憤り、事実の指摘はさらに続いた。
「もっと許せないのは、日本が戦争をやめる、8月15日に天皇が国民に伝えるというのもうアメリカに伝わっていたのに、米軍は8月14日まで空襲を続けているのです」
 僕らは戦争を知らなすぎる、知らずにいまを生きている。
 戦争になればそこまでされる。それが戦争の恐ろしさだ。
 戦争は、あれだけ陽気で、フレンドリーなアメリカ人でさえ豹変させる。彼らの別の一面を際立たせる〈悪魔の装置〉なのだ。
 何か行動を起こさないと、こんなバカげたことがまた繰り返される恐れがある、とにかく行動を起こさなければと、僕は大石さんの話を聞いてすぐに決意した。

終戦80年でなく、正しくは「敗戦から80年」

 僕は写真展のタイトルを「終戦80年」としたが、最近はあえて「敗戦80年」と表現する人たちが増えている。戦争は終わったが、それで平和になったのではない。敗戦の影響はいまも日本を支配しているという意味だろうし、そのことを忘れるな、という意思表示であり、警句だろう。
 終戦後、大量の小麦が日本に運ばれた。食糧難を救ってくれたといえばアメリカ様様だが、余った小麦の処理に困ったアメリカが、日本人の胃袋に小麦を捨てた」とすれば、まるで焼夷弾と同じ図式ではないか。実際、米を大切な主食にしていた日本人の食文化は敗戦で変わった。アメリカの施策でパン食が普及したのは、日本人にとってどんな必要があったのか。日本人の必要よりも、アメリカの都合で生命の根幹と言っていい食文化さえも駆逐された……。そんな現実を直視すれば、敗戦の影響はまだ日本を支配し続けている。日本は敗戦から脱却していない。

日本政府は、ルメイに勲章を授与した

 大石さんは、もっとショッキングな事実を教えてくれた。
「そのルメイに、日本政府は数年後に勲章を授与しているんです。航空自衛隊の立ち上げに協力した功績に対してだそうです。そんなの許せますか?」
 許せるはずがない。日本政府は何を考えているのか? 多くの犠牲者を出した大空襲の司令官に勲章!?
 確かにそれは事実だった。1964年12月、勲一等旭日大綬章が入間基地で授与されている。当時の総理大臣は佐藤栄作だった。(続く)

ここに書いた話などを大石芳野さんが語ってくださっている対談映像がご覧いただけます!
YouTube小林信也チャンネル「大石芳野・小林信也対談」

スポーツを通じて平和を発信! 大石芳野平和祈念写真展&小林信也トークライブ開催 - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)


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