プロジェクトマネジメントは、ボス、トイレ、メシだ
プロジェクトマネジメントの本を、私は何冊読んだか覚えていない。
ガントチャートの引き方。
リスク管理の手法。
ステークホルダーとの調整。
アジャイルとウォーターフォール。
どれも正しかった。
どれも役に立った。
しかし、不思議なことに、本を閉じたあと現場で思い出したのは、それらの知識ではなかった。
いつも思い出すのは、たった三つの問いである。
ボスは誰か。
トイレはどこか。
食事は何時か。
初めて聞いた人は笑う。
「それがプロジェクトマネジメントなのですか」と。
私は笑って頷く。
そうだ。
私はこの三つほど、現場で役に立った知恵を知らない。
なぜなら、プロジェクトとは制度ではなく、人間だからである。
計画は人が作る。
判断も人がする。
予定を遅らせるのも、前へ進めるのも人である。
だから、プロジェクトを理解するということは、人間を理解することなのだ。
ボスは誰か
最初に知るべきなのは、誰が本当に決めているのかである。
組織図は教えてくれる。
しかし、現場は教えてくれない。
肩書きが一番上の人が、意思決定者とは限らない。
発言が一番多い人が、中心人物とも限らない。
本当のボスは、静かなことが多い。
会議ではほとんど話さない。
それでも誰かが発言するたび、その人の表情を皆が見ている。
小さく頷けば前へ進む。
少し眉をひそめれば議論が止まる。
その人の言葉ではない。
その人の沈黙が、プロジェクトを動かしている。
私は、新しい現場へ入ると、最初の数日でその人を探す。
その人が見えた瞬間、組織の力学が見え始める。
トイレはどこか
次に知るべきなのは、困ったときに戻れる場所である。
トイレを知らなければ、人は落ち着かない。
プロジェクトも同じだ。
困ったとき、誰に聞けばいいのか。
どこへ行けば答えがあるのか。
それを知らなければ、人は必ず迷う。
文書には書かれていない情報がある。
共有フォルダには存在しない歴史がある。
「あの顧客は昔こうだった。」
「あの部署には、この順番で話したほうがいい。」
そんなことを知っているのは、会議室の中心にいる人ではない。
十年以上その場所にいる事務担当だったり、寡黙なベテランだったりする。
以前、仕様で行き詰まったことがあった。
解決策を教えてくれたのは管理職ではない。
資料も作らず、会議にも出ない一人の事務担当だった。
「ああ、それなら昔も同じことがありましたよ。」
その一言で、数日止まっていた議論が動き出した。
組織には、地図を持つ人がいる。
私は、その人を早く見つけたい。
トイレはどこか。
この問いは、安心して戻れる場所を探す問いでもある。
食事は何時か
最後に知るべきなのは、その組織が流れている時間である。
時計の針は、どの会社でも同じだ。
しかし、人が動く時間は、会社ごとに違う。
朝が強い組織もある。
夕方に集中する組織もある。
月曜日は慎重になる。
金曜日は結論を急ぐ。
期末は守りに入り、期初は挑戦しやすい。
そうした時間の流れは、ガントチャートには描けない。
以前、金曜日の夕方に重要な意思決定をお願いしたことがある。
資料は完璧だった。
説明も十分だった。
それでも返ってきた答えは、
「来週もう一度考えよう。」
だった。
失敗したのは資料ではない。
時間だった。
人には、人のリズムがある。
組織には、組織の呼吸がある。
その波に逆らえば、正しい提案でも進まない。
その波に乗れば、小さな提案でも驚くほど前へ進む。
食事は何時か。
この問いは、その組織の呼吸を知る問いなのである。
三つの問いが教えてくれたこと
ボスは誰か。
トイレはどこか。
食事は何時か。
この三つは、教科書には載っていない。
だから軽く見られる。
しかし、現場では何度も私を助けてくれた。
振り返れば、この三つは別々の問いではなかった。
権限を知ること。
知恵を知ること。
時間を知ること。
つまり、人間を知ることだった。
プロジェクトを動かしているのは、計画ではない。
ガントチャートでもない。
人である。
だから私は、新しいプロジェクトに参加すると、いつも最初にこの三つを自分へ問いかける。
ボスは誰か。
トイレはどこか。
食事は何時か。
その答えがそろったとき、私は計画を立て始めるのではない。
ようやく、そのプロジェクトに生きている人たちを理解し始めるのである。
そして、プロジェクトマネジメントとは、計画を管理する技術ではない。
人間を理解し続ける営みなのだ。
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