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思い立って、6年ぶりに友人を訪ねることにした

3ヶ月ぶりのnote執筆。案の定、書くならちゃんと作り込みたいという癖が筆を遠ざけてしまっていた。今回は、短くて良いから思いついたまま書くという行動にトライしてみる。

昨日、私は大学時代の友人である「まなみさん」に、6年ぶりに連絡を取った。「こんど、会いたいです。ほぼ1日、まなみんの生活に密着させてください」という、突然の一方的なお願いだった。

まなみさんとは大学のサークルで知り合って、卒業後は都内の散歩や神田川クルーズなどの街歩きをよく一緒にしていた。散歩しながら目に映るごく普通の景色も、二人のフィルターを通すと面白いことがたくさん潜んでいて、好奇心のベクトルが近い友人として充実した時間を幾たびも過ごした。

コロナ禍がブランクとなり、会う機会はしばらくなかったが、SNSでゆるく繋がったままの数少ない友人の一人として、まなみさんのライフステージが変化している様子は目にしていた。それでも、個別に会うきっかけに至ることは、今回のまなみさんのnoteを読むまではなかった。そのnoteがこちら。

厳密には、この記事を読んですぐに「会おう」と思ったわけではなかった。むしろ、読んだ直後は、あまりの生の感情の荒さに正直なところ引いていた。「私が知ってるまなみんじゃなくなったみたいだ」と思った。noteをそっ閉じした。

私は、前向きな気持ちになれない出来事はなるべく思い留めないようにしているが、noteをそっ閉じした時の感情が、この時だけはなぜか尾を引いていた。その違和感が、まなみさんが毎日書き続けている他の記事をおそるおそる覗かせた。

「もうちょっと最近のまなみんのことを知ってから考えよう」と思いながら、幾つか読んだ。その中で、「文章を書くことが一番好きなことだとはっきり自覚」してから生活を変えた様子が分かりやすく書かれたこの記事が、「よし、会いに行こう。あの時の違和感は、相反する感情もありつつ、共感も大きかったからだということを、伝えたい」と思わせてくれた。

1つ目の記事を読んで、そっ閉じしたという話は、実は本人にはまだ伝えていない。2週間後に会う時に伝えるつもりだった。しかし、この記事で彼女の記事を引用しているので、それによる自動通知を通じて知られることになった。(まなみん、ごめん(笑))

友人に敢えてネガティブな話をするのはおかしいと思われるかもしれないが、これはただの悪口ではない。そもそも、自分から会いたいと申し出た相手にそれだけを伝えて気分を悪くさせようだなんて、微塵も思っていない。

私は、ポジティブにしろネガティブにしろ、何かに触れて自分の感情が揺さぶられて反応するということ自体は、いいことだと思っている。なぜなら、そういう時は、自分が大事にしている軸をいつもよりはっきりと自覚する時であり、自己と他者の重なるところと重ならないところの違いを面白がるきっかけになるからだ。

今回、まなみさんは私にそのきっかけをくれた。私はそれが純粋に嬉しかった。そして、私自身に湧き上がった生の感情をシェアしても、面白がって受け止めてくれそうだという安心感があった。だから、会おうと思った。

会社員生活を続けている私が密かに憧れている、「自分のしたいことだけに集中し、自然と共に生きる暮らし」。勇気を持ってそれを実践し始めた友人と会える2週間後、私の感情がさらにどんなふうに変化するのか、今から楽しみだ。


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