メディアが報じないウクライナ戦争の裏側⑤ ~ウクライナのネオナチ勢力~
【前回④の内容】
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ウクライナは、過去2回の世界大戦の過程で、ナチスドイツとロシア帝国(ソ連)が、ウクライナの地を巡って激しい奪い合いを繰り広げた結果、国土が分割され、東西地域でそれぞれ異なる歴史的背景を歩むこととなった。

1.ウクライナ民族主義者ステパン・バンデラ
ドイツ・ポーランドに近いウクライナ西部地域では、1929年に設立されたウクライナ民族主義者組織(OUN)のメンバーを中心に軍事組織が結成され、ナチスに協力してソ連に対して徹底抗戦を続けてきた歴史がある。

1941年にOUN指導者となったステパン・バンデラは、ナチスドイツを解放軍とみなしてシンパシーを感じていたため、強烈な反ソ連・反ユダヤの思想の下、ナチス占領下のウクライナ西部において、ポーランド人虐殺やユダヤ人虐殺を行った人物である。

第二次大戦において徐々にナチスが劣勢となり、ソ連がウクライナ東部地域や中部地域を占領してゆくなか、バンデラらOUNのメンバーは、西部地域でゲリラ戦を展開して最後までソ連に徹底抗戦し続けた。
2.バンデラとCIA、MI6との繋がり
機密解除となったアメリカ諜報機関(CIA)の文書によれば、1946年以来CIAが、バンデラとOUN幹部を「ソ連に対する防諜活動ベラドンナ作戦」の一環として支援し続けていたことが明らかとなっている。
また、英国人ジャーナリストのスティーヴン・ドリルは、著書「Mi6: Fifty Years of Special Operations」において「バンデラは、大戦後の1948年4月にイギリス諜報機関(MI6)に採用されてソ連内での破壊活動に従事した」と述べている。

最終的に、バンデラは1959年にソ連国家保安委員会(KGB)によって暗殺されている。
バンデラに対する評価は、ソ連崩壊後のウクライナのなかで大きく分かれている。西部地域の大都市リヴィウや中部地域の首都キエフなどでは「ウクライナ民族解放闘争の英雄」として扱われることが多い一方、ロシア系住民の多い東部地域・南部地域では「ヒトラーの共犯者、ネオナチ、ファシスト」として否定的に評価されることが多い。

3.ウクライナ国家親衛隊のアゾフ大隊
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で注目を集めた存在として、ウクライナ国家親衛隊の第12特殊作戦分遣隊「アゾフ」がある。
通称 アゾフ大隊、アゾフ連隊、アゾフ旅団などと呼ばれるこの部隊は、ウクライナの軍事機構に所属しているものの、固有の指揮命令系統を持ち、民兵で構成された混成部隊(パラミリタリー・Paramilitary)である。

この部隊は、マイダン革命直後の2014年5月5日のマリウポリにおいて、白人国家主義者アンドリー・ビレツキーが、ハリコフのサッカーチームの過激な応援団Sect 82と極右政治団体の右派セクターを束ねて「アゾフ大隊」と名乗ったことで結成された。


ドネツク州のマリウポリの戦いにおいて、親ロシア派武装勢力と市街戦を繰り広げ「ウクライナの英雄」と称されるようになると、その後もアゾフ大隊はマリウポリ市を拠点として、ドンバス戦争で各地に従軍した。
アゾフ大隊は卍をアレンジした隊章に見られるように、ナチズム・民族主義を継承した集団であり、マイダン革命後の親欧米政権に反抗するロシア系ウクライナ住民を弾圧・攻撃・虐殺してきたと言われている。

2019年には、米国The Nation紙が「マイダン事件後、ウクライナは自国の軍隊にネオナチ組織を持つ世界で唯一の国となった」と報道しているが、このネオナチ組織の中心とされているのがアゾフ大隊である。
4.国家親衛隊に昇格したアゾフ大隊
ドンバス戦争では、アゾフ大隊以外にも多くの民兵部隊(パラミリタリー)が結成・動員されたが、2014年9月に結ばれたミンスク合意において、「違法な武装集団・軍事装備・兵士・傭兵をウクライナの領域から撤退させること」が決定されたため、そのほとんどが解散されるか正規軍に再編されることとなった。
しかし、アゾフ司令官ビレツキーの元上司で、マイダン革命後に内務大臣に就任したアルセン・アバコフの庇護を受けたことで、アゾフ大隊だけは「特別扱い」を受けることとなった。

2014年11月、アゾフ大隊は、内務省所属の国家親衛隊の一部に昇格したことでによって「軍からも警察からも指揮命令を受けないパラミリタリー」という異質な存在となった。

2015年1月、アゾフ大隊はキエフ郊外の工業団地跡地に入隊試験場と訓練基地を設立しており、武器の製造や修理も自前で行って、重火器や戦車まで保有する独立した軍事組織となっている。
【⑥に続く】
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