想い
私が「保育の現場に特化した学び」を発信し続ける理由
私は長く保育の現場で働いてきました。その中でずっと離れなかった疑問があります。
いまの保育士試験は、本当に現場に必要な知識を測れているのか?
国家資格としての厳格性は理解しています。
しかし、あまりにも“現場から遠い内容”が多い。
たとえ合格したとしても、その知識が目の前の子どもに生かされるのかと考えると、どうしても首をかしげてしまうのです。
保育士試験は9科目。そのうち60点を取れば合格ですが、受験者はこう思っているはずです。
「この中で実際の保育園で役に立つのは何問なんだろう?」
現場で求められるものと、試験で求められるものが乖離している
近年「不適切保育」が問題になる中で、本来必要なのは
“何が不適切で、何が適切なのかを判断できる力”
“現場で求められる力は極めて実践的な力”
であるはずです。
現場で本当に必要なのは
嘔吐処理の手順
水深3cmでも溺れるという乳幼児特性の理解
食べ物の誤嚥(りんご窒息、ブドウ窒息など)
熱中症の危険性
保護者対応
不審者対応
感染症対策
こうした“命に直結するリアルな知識”を常に求められています。
歴史の並び替えを間違えても子どもは死にません。
しかし、嘔吐処理の順番を間違えれば、感染は一気に広がります。
ところが実際に出題されるのは、
日本国憲法が施行された年
歴史的人物の事績
制度や法律の年表の並び替え
といった、命を守る判断とは結びつきにくい内容ばかり。
私は長く現場を見ていますが、
保育者が年号を口にして保育している姿を一度も見たことがありません。
保育園は歴史で子どもを育てる場ではありません。
保育は「現場」で起きている。
歴史や年号の暗記では子どもは守れません。
嘔吐処理の手順、虐待が疑われる際の初期対応、保護者とのコミュニケーション、子どもの発達の見極め。
そうした力こそ、保育者が現場で“まず”身につけるべき知識です。
試験が原因で「本当に必要な人材」が離れていく現実
ある受験会場で、こんな声を耳にしました。
「あと一回落ちたら保育士やめようかな」
この人が、もし子どもに寄り添える素敵な保育者だったとしたら?
試験の内容が現場に合っていないせいで、本当に必要な人材が保育から離れていく。
本来、保育士という資格は“段階性”であるべきではないか
いまの試験は「入り口に立ちたい人」にも、
「将来園長を目指す人」にも、
同じレベルの深い法律や歴史を問います。
しかし一般社会の資格には「級」や「段階」が存在します。
入り口の保育者 → まずは子ども理解の基礎(3級)
主任クラス → 家庭支援・社会制度の理解(2級)
園長クラス → 組織運営・制度連携の総合知識(1級)
この方が明らかに合理的です。
入り口に立つ人に、園長レベルの知識まで求める必要があるのでしょうか?
新人は事件を一人で判断するわけではありません。虐待対応も法律判断も、園長や主任、複数の保育者と会議しながら判断するのが現場です。
入り口の人には、入り口の知識で十分なはずです。
科目別に見ても「現場で必要な知識ほど簡単」になっている矛盾
大まかな傾向として、
合格率が低い科目=現場から遠い科目
になっています。
一例として、近年の科目難易度はこのような傾向です:
【合格率が低い科目(難しい)】
社会福祉
子ども家庭福祉
社会的養護
教育原理
→ 法律、制度、歴史など記憶中心
→ 現場で直接使う場面は少ない
もちろん大切な領域です。
でも、まず“保育園で働きたい”と思っている人が最初に学ぶべきは、
【合格率が高い科目(比較的やさしい)】
子どもの心理
子どもの健康
子どもの食と栄養
保育原理
→ 発達・健康・安全など現場直結の内容
→ 本来はここが「深く問われるべき」領域
これらではないでしょうか?
つまり、
現場で必要な科目の方が簡単で、現場から遠い科目ほど難しい。
これは構造として逆転しています。
その結果、受験者は“現場で必要な知識”よりも“制度の暗記”に追われる状況が起きています。
だから私は「場面特化の○×クイズ」を作ることにしました
保育士試験の1問は、
実質「5つの○×が合わさったもの」です。
ならば、
最初から一問一答の○×だけで良いのでは?
現場では常に「これは適切か、適切でないか」を瞬時に判断しています。
だから私は、現実に起きる保育場面をもとに
保育者の思考力を育てる○×クイズ
を投稿し始めました。
以下のような問題です。
■ 例:場面14-2(投稿したものより抜粋)
ダウン症のKくんの誕生会。当日話すことが難しいため、
「事前にお母さんから情報を聞き、保育者が代弁する」
これは○? ✕?
これは、法律でも歴史でもありません。
現場で保育者が“悩む部分”に直接触れる学びです。
この発信の目的
私が届けたいのは、
保育者が現場で「すぐ役に立つ知識」
子育て中のママパパが「保育者の考え」を理解できる視点
保育に関わらない人でも「子どもに寄り添う考え」を知れる機会
こうした“本当に使える保育知識”です。
もし少しでも共感していただけたら、
あなたの時間をほんの少し、私に貸してください。
この○×クイズや深掘り考察が、
現場に本当に役立つ学びをつくっていきたい。
想いの続き、そして未来へ
創作小説
⬇️他にもこんな記事が投稿されています。⬇️
タイトル:不適切保育とは?
内容:
「不適切保育」という言葉が広がる中で、本来必要な声かけや関わりまで否定され、現場が萎縮している現実がある。「デザートは最後」「ひと口頑張ろう」といった関わりは、主体性を奪うものではなく、我慢や順序、社会性を育てる経験だ。重要なのは行為の切り取りではなく、意図と関わりの質を見ること。本当に問うべきは、子どもの未来に資する関わりとは何かを、社会全体で考える姿勢である。
タイトル:保育監査の「質」と「視点」はズレている?
内容:
保育監査は本来、子どもの命を守るために必要な制度だが、現場では書類とチェック対応に追われ、保育の時間と心の余白が奪われている。監査は数値や形式に偏り、子どもへの関わりや職員の疲弊といった「質」を十分に見ていない。過度な監査と書類主義は、保育者を追い詰め、不適切保育の温床にもなり得る。罰する監査ではなく、現場と共に改善を考える仕組みへ転換する時期に来ている。
タイトル:「子ども誰でも通園制度」と、どう向き合うべきか
内容:
子ども誰でも通園制度は理念こそやさしいが、慢性的な人手不足と疲弊の中にある現場では、安全に運用できる前提が整っていない。利用児が固定されず関係性が築けないことで、環境は不安定になり、事故や不適切保育のリスクは高まる。その責任が最終的に園へ押し付けられる構図にも強い懸念が残る。制度の是非以前に、現場を守る条件が整っているのかを問わずして、子どもの安全は語れない。
タイトル:行事は誰のためにあるのか
内容:
行事は子どもの成長を支える一方、増えすぎると準備や重なりが日常保育の時間と余白を奪う。慢性的な人手不足の中で行事が加われば、疲労とプレッシャーが蓄積し、保育の質そのものが揺らぎかねない。問題は行事の有無ではなく、量と位置づけだ。現場の体力に見合っているか、日常保育が主役であり続けているかを問い直すことこそ、子どもと保育を守る選択である。
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