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【続】~紙の本の良さがわからない人に伝えたいこと

前に書いた記事に対する意見をいただいたのでそのアンサー記事です。



この記事を書いた背景


👇の記事で、lionさんの記事を引用させていただきました。

そしたらなんとlionさんからお返しをいただいた!😄。それが👇の記事。

彼はとても深堀考察がお得意なのでレスもらえたのがこんなにうれしいことはないし、その指摘箇所も「くるだろうなぁ~」予測していた点でもあって😅、これはアンサーを書かねばと再びキーボードを叩くこととします。あ、lionさんは👇の素晴らしい方。

アンサー記事なので引用は全てlionさんの記事からです。これを読む前に👆2つの記事を読んでいただけると、もっと楽しめるかと思いますのでお時間ある方は順番にどうぞ☺。


ディエムの主張の最終的な着地点


最初に結論を匂わせておきます。

lionさんが冒頭で言われている👇の表現(太字箇所)。

あんまり言われていないと思ったこととは、「実は、紙の本よりも電子書籍のほうがことばそのものを先入観なく読める」ということでした。

「紙の本と電子書籍のどちらを選択するか問題について」の記事を書こうと思った理由

ここには私がこのアンサー記事で書きたいことの終着点が含まれています。

それは、言葉は人間が持つ非論理的なモノを論理的なモノに変える手段であるということ。そして、マテリアル(物質)を排除した電子書籍では言葉が持つ論理性が直接人間に訴えかけるので人間はそれに込められた非論理性を体感できるということです。

ちょっとわかりにくいですね😅。でも読み進めてもらえれば、じわじわと理解できるかと思います。


紙の本の代替の唯一性、非論理性について


ここがツッコミポイントとして来るだろうなぁと思ってた点です。唯一性・非論理性の解釈の範囲を明記しなかったのでツッコミいただいて当然です😅。ただ、ここを端折ったのは「読み手」に考えていただきたく、意図的に抜いた内容です。

>紙の本は非論理的なモノの唯一の代替だから。

わたしは、ココがちょっと違うんじゃないかなと思っています(いきなり挑戦的笑)。

まず、非論理的な伝達手段は、紙の本が生まれる以前から、例えば、口伝や体で覚えさせる、書き写させる、などといった様々なものがあるわけで、少なくとも紙の本が唯一ということではないと思います。

もっと本質的なところに突っ込んでみます。

この「紙の本は非論理的なもの」というところの妥当性についてです。

紙の本の質感とか手触りから、「非論理的なもの」を感じ取るという現象があります。これは私もそうだと思っていますし、否定しないところです。

ただ、「紙の本が本当に非論理的なのかどうか」ということについては、ちょっと説明を要すると思っているのです。

仰る通りでございますよ^^。

紙の本が唯一の代替かといえば、文字が生まれたときから現在までさまざまな伝達手段がありますので唯一ではありません。さらに「紙の本が本当に非論理的なのかどうか」については、紙の本をマテリアル(物質)の側面から考える限りはどちらかといえば論理的なものに近い(実在しているから)。

ではなぜ、「紙の本は非論理的なモノの唯一の代替」と書いたのか。

それは、既存の数多あまたある伝達手段を振り返ってみたときに、「それが人間が持つ非論理性を論理性のあるものに変える役割を本当に果たしているか」の観点から消去法で考えていって、紙の本しか残らなかったからです。

人間が持つ非論理性とは、愛や神など人間が考え出した目に見えない概念の塊であり、感情や思考など、さまざまな抽象物がもつ性質。抽象物だから本来これらは言葉では説明できない。岡田氏も言われてますが、非論理性のモノを論理性で説明しようとしてもウソになってしまうわけです。

しかし抽象物を考えていくにあたっては、どうしてもリアルに変換しないといけない。考えるためには論理性が必要ですから。そのみなもとたるやが言葉であるわけです。

ただ言葉も概念ですから、それらをさらに実在化するには別の媒体が必要。その媒体で人間が持つ非論理性を実在化させ、かつ言葉の論理性を最大限に活かして実在化させることができる手段に最も近いとされるものが、現代においては「紙の本」だということを言いたかったのです。

その根拠をひとつ。自分が手書きで作った紙の本を自分で捨てることは躊躇いがあるでしょう。そして同じ内容を書いたWordファイルを消すことには何の躊躇いも感じないでしょう。それが紙の本が人間の非論理性を最大限に具現化していることの確固たる現れだと思います。


紙の本に込められる読み手の創造性


lionさんは👇のように言われています。

大量生産される紙の本に非論理的なものを込めるのは、「書き手」ではなく「読み手」なのです。

しかし私は、書き手も非論理的なものを紙の本には込められると考えています。理由は前にも書いた、人間が持つ非論理性を論理性のあるモノに変える手段が紙の本だから。ただそれ以上に、読み手が紙の本に込める創造性はlionさんの主張に大いに賛成であります。

読み手は紙の本を読んで感動した感覚を、自らが紙の本に込めた創造性と紙というマテリアル(物質)の助けを借りて具現化し、それを自ら意識することでその感動を得続けることができる。その紙の本を手にしている限り、これが可能になるのです。

これが「読書」という行為の中で、紙の本がいまだ廃れない理由のひとつであることは明らかだなと思います。

また、紙の本が大量生産なのか、自主出版なのか、はたまた手書きの唯一性のものなのか。これらは紙の本の形態であって、これらにより紙の本に込められた書き手の非論理性が変わることはありません。しかし、これらは読み手が紙の本に込める創造力に大きな影響を及ぼしますね。

読み手を主役にした場合、紙の本はそれが作られた背景・経緯が読み手の創造に大きく関係します。典型的な例はラブレター。それは、文字に込められた「人間の非論理性を最大限論理性があるものに変えた、たったひとつしかない手紙」。これをたくさん集めていって、見た目をきれいにして、誰にでも読んでもらえるように整えたものが、巷で言う大量生産の紙の本でしょうね。

ラブレターに関しては書き出せば長くなるので、以前に書いた👇の記事をご覧いただくとして、ここでは割愛します。


非論理性のやりとりが面白い


人間が持つ非論理性は、ざっくり言えば感情です。自分が「言葉から生まれたわけではない感情」を他人に伝えること、これはおそらく人間だけができることですね。そしてその具現化の手段である「言葉」を我々は持っている。

その言葉を使って非論理性を自分以外の人に伝えていく、他人の非論理性に触れていくって、やっぱり面白いですねぇ😊。これこそ人間に生まれてよかった、みたいな感覚を憶えてしまいます。

今回たまたま書いたテーマにそって、lionさんとやりとりができたこと。自分にはない視点に気づかせていただいたこと。本当によかったと感じました。

noteを毎日書いていてこんなことに出会えたら、本当に面白い。知らないことに出会うのもそう、知らない自分を見つけるのもそう、noteってやっぱり残していくもんですよ😊。

まだまだnoteを初めて間もないみなさんも、第一線で書かれているみなさんも、どんどん叡智を残していきましょうや(何人やねん?🤣。このお話は👇の記事から読めますので、こちらもよかったらどうぞ。


最後に、lionさん^^。本当に貴重な機会をありがとうございました。

また今後もツッコミどころや深堀りしどころがあれば、ネタとして突っ込んでくださいませ。

こちらも刺激をたくさんいただこうかとアンテナを張っておきます😊。


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