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【ビジ哲】ニーチェ編 #13 言葉にできない想いは、伝わらないのか — 語りえぬものについて

── 言葉にした瞬間、こぼれ落ちるものがある。

■ 「うまく言葉にできなくて」という沈黙

ある1on1で、部下がこんなことを言った。

「なんて言えばいいか、うまく言葉にできなくて……とにかく、モヤモヤしてるんです」

その後、彼女はしばらく黙り込んだ。

上司としては、続きの言葉を待ちたくなる。 でも、言葉にならないその沈黙自体が、実はすでに何かを語っているのかもしれない。

言葉にできないことは、伝わっていないことと同じなのだろうか。

■ 対話:恵美と玲子

👩‍🎓 恵美「私、たまに『これ、なんて言えばいいかわからない』ってなることがあって。でも言葉にできないと、相手に何も伝えられていない気がして、焦っちゃうんです」

👩‍🏫 玲子「その悩み、実は言語そのものの限界を突き詰めた哲学者がいるの。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン」

👩‍🎓 恵美「ウィトゲンシュタイン……名前が難しいです」

👩‍🏫 玲子「20世紀の哲学者で、言語について徹底的に考えた人。彼の代表作の最後に、こんな言葉があるの。『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』」

👩‍🎓 恵美「沈黙しなければならない……それって、諦めろってことですか」

👩‍🏫 玲子「そうじゃなくて。ウィトゲンシュタイン的に言うと、言葉にはそもそも扱える範囲と、扱えない範囲がある。扱えない範囲を、無理に言葉にしようとして下手な言葉を当てはめるくらいなら、沈黙のままにしておく方が誠実だ、という考え方ね。沈黙は、空白じゃなくて、言葉にできないものがそこにある、という証拠でもあるの」

👩‍🎓 恵美「じゃあ、さっきの部下の沈黙も……」

👩‍🏫 玲子「何もないんじゃなくて、言葉になる手前の何かがある、っていうサインかもしれないわね。もう一人、この話に別の角度を加えてくれる人がいるわ。ニーチェ」

👩‍🎓 恵美「また出てきましたね」

👩‍🏫 玲子「ニーチェ的に言うと、そもそも言葉そのものが、体験をそのまま伝える道具じゃない。彼は言葉を、体験を大まかに切り取って名づけた『比喩の比喩』のようなものだと考えたの。だから、うまく言葉にできないと感じるのは、言葉の側の限界であって、あなたの感じ方が足りないわけじゃない」

👩‍🎓 恵美「言葉にできない私が悪いんじゃなくて、言葉の方が追いついてないってことですか」

👩‍🏫 玲子「そう考えると、少し楽にならない?」

■ ウィトゲンシュタイン——語りえぬものと沈黙

ウィトゲンシュタインは、言葉が扱えるのは、論理的に整理できる事実の領域に限られると考えた。

一方で、価値観、倫理、生きる意味、深い感情——そうしたものは、言葉の外側にある。 言葉の外側にあるからといって、それが存在しない、あるいは重要ではない、ということにはならない。

むしろウィトゲンシュタインにとって、本当に大切なものの多くは、言葉で「語る」ことはできなくても、態度や行動を通じて「示す」ことはできるものだった。

言葉にできないモヤモヤを、無理に説明させようとするのではなく、その沈黙自体を、大切な何かのサインとして受け止める。 これは、対話における一つの誠実さの形だと言える。

■ ニーチェ——言葉は体験の比喩にすぎない

ニーチェは、言葉が現実や体験をそのまま写し取るものではなく、体験を大まかに切り取って名づけた比喩のようなものだと考えた。

「悲しい」という一言では、実際に感じている複雑な感情の全体を捉えきれない。 言葉は、体験という広大な領域から、扱いやすい一部分だけを切り出して名前をつける道具にすぎない。

だからこそ、うまく言葉にできないという感覚は、決して能力不足のサインではない。 むしろ、体験の方が、既存の言葉の枠に収まりきらないほど豊かである、ということの証拠でもある。

■ コンサルの現場で見てきたこと

1on1やチームの対話で、部下が言葉に詰まったとき、多くのマネージャーは無言の時間を気まずく感じ、代わりの言葉を差し出してしまう。

「つまり、こういうことだよね?」と要約してあげることは、時に助けになる。 でも同時に、本人がまだ言葉にできていない何かを、こちらの言葉で塗りつぶしてしまうリスクもある。

本当に必要なのは、言葉が出てくるまでの沈黙を、急かさずに待てる余白を作ることだ。

言葉にならないものを、無理に言葉にさせるのではなく、その沈黙ごと受け止める。 それができるチームは、表面的な報告以上の、深い対話ができるようになる。

■ マネージャーへの3つの問い

① 部下が言葉に詰まったとき、あなたはすぐに言葉を差し出していないか。

② チームの中に、言葉にならない沈黙を許せる余白があるか。

③ あなた自身、うまく言葉にできない想いを、「言葉にできない自分が悪い」と感じてしまっていないか。

■ まとめ

  • ウィトゲンシュタインは、言葉には扱える範囲と扱えない範囲があり、扱えないものは沈黙で示すしかないと考えた

  • 沈黙は空白ではなく、言葉になる手前の何かがある、というサインでもある

  • ニーチェは、言葉を体験そのものではなく、体験を切り取った比喩のようなものだと考えた

  • うまく言葉にできないのは能力不足ではなく、体験の方が言葉の枠に収まりきらないほど豊かであることの証拠でもある

  • マネージャーに必要なのは、言葉を急いで差し出すことではなく、言葉が出てくるまでの沈黙を待てる余白を作ること

■ 次回予告

👩‍🎓 恵美「言葉にできないことを、無理に埋めなくてもいいんですね。ちょっと、肩の力が抜けました」

👩‍🏫 玲子「その余白を大事にできる人ほど、深い信頼関係を築けるものよ。次は、その信頼そのものについて考えていきましょうか」

次回は ニーチェ編 #14「信頼は、いつ壊れるのか——約束という契約の重み」

フェーズ3「変容」続編。信頼関係を支えるものの正体に迫ります。


■ ビジ哲からのお断り

「強くなる」「自分の価値観で動く」——このシリーズで使うそんな言葉は、個人の努力だけで実現できるものではない場合があります。上司が空気を支配し、声を上げれば潰される——そんな構造そのものが個人の意志を阻む環境は、実際に存在します。「畜群から抜け出せ」と言うことが、構造の問題を個人に押しつけることになってはいけない、と思っています。

ビジ哲は哲学研究ではなく、哲学をレンズとしてビジネスの現実を考えるコンテンツです。哲学の概念に触れることで、自分の仕事や組織を「少し違う角度から見る」きっかけになれば——それがビジ哲の目的です。

なお、本シリーズに登場する哲学者は、原典の再現ではなく、彼らの思想を借りて描いた翻案上の人物です。語られる言葉は、思想の応用ではなく、物語的解釈だとご理解ください。

ビジ哲は哲学研究ではない——それでも哲学をビジネスに持ち込む理由


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