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【ビジ哲】ニーチェ編 #23 学んだことを、生きることに変える — 知識と実践の間で

─ わかっていることと、できていることの間には、深い溝がある。

■ 「わかってるんですけど、できないんです」

ある研修の後、参加者からこんな声を聞いた。

「今日の話、すごく納得しました。頭では、もう完全に理解してます。でも、いざ現場に戻ると、結局いつも通りのやり方に戻っちゃうんですよね」

知識として理解することと、実際にそれを行動として実践できることの間には、思っている以上に深い溝がある。

わかっているのに、できない。 その溝を、どう埋めればいいのだろう。

■ 対話:恵美と玲子

👩‍🎓 恵美「私も、この#7からのシリーズ、頭ではすごく納得してきたつもりなんです。でも、実際の場面になると、結局元のやり方に戻っちゃうことがあって……知ってることと、できることって、別物なんですかね」

👩‍🏫 玲子「その問い、実は中国の思想家、王陽明が真正面から扱っているの」

👩‍🎓 恵美「王陽明……初めて聞く名前です」

👩‍🏫 玲子「明代の中国の思想家。王陽明的に言うと、そもそも『知ること』と『行うこと』を、別々の二段階として捉えること自体が間違いなの。彼はこれを『知行合一』と呼んだ。本当に知っているなら、それは自然と行動に現れているはずで、行動に現れていない知識は、まだ本当に知っているとは言えない、という考え方ね」

👩‍🎓 恵美「じゃあ、私が『納得したのに、行動に移せない』のは……」

👩‍🏫 玲子「王陽明的に見れば、まだ本当の意味で『知った』段階に至っていない、ということになるわね。厳しい見方だけど、逆に言えば、行動が変わっていくこと自体が、理解が深まっているサインでもあるの」

👩‍🎓 恵美「理解と行動が、両輪みたいな感じなんですね」

👩‍🏫 玲子「そういえば、これって#7からずっと一緒に見てきたニーチェの考え方にも通じるところがあるの」

👩‍🎓 恵美「ここでもニーチェが出てくるんですね」

👩‍🏫 玲子「ニーチェ的に言うと、彼が繰り返し批判したのは、机の上で考えるだけで満足してしまう哲学だった。彼にとって思想とは、頭の中の整理で終わるものではなく、実際に自分の生き方として引き受けて初めて、意味を持つものだったの。『これは正しい』と理解することと、『これを生きる』ことは、彼にとっても別のことだったのよ」

👩‍🎓 恵美「ニーチェも、知ってるだけじゃダメだって考えてたんですね」

👩‍🏫 玲子「そう。王陽明が『知ると行うは本来一つ』だと教えてくれ、ニーチェが『思想は生きられて初めて意味を持つ』と教えてくれたとすれば、もう一人、デューイは、その一致がどうやって育っていくのか、具体的な道筋を示してくれているのよ」

👩‍🎓 恵美「デューイ……教育の人ですよね」

👩‍🏫 玲子「そう。20世紀アメリカの哲学者で、教育学にも大きな影響を与えた人。デューイ的に言うと、人は経験そのものから学ぶわけではなくて、経験を振り返ることによって学ぶの。研修で聞いた話を、そのまま現場で使おうとしても、うまくいかないことが多い。でも、実際にやってみて、その結果を振り返る、というプロセスを繰り返すことで、初めてその学びが自分のものになっていく」

👩‍🎓 恵美「聞いただけじゃなくて、やってみて、振り返る、っていう繰り返しが必要なんですね」

👩‍🏫 玲子「王陽明が『知ると行うは本来一つ』だと教えてくれたとすれば、デューイは『経験を振り返ることで、その一致が育っていく』という、具体的な道筋を示してくれているのよ」

■ 王陽明 — 知行合一、知ることと行うことは一つである

王陽明は、知ることと行うことを別々の段階として捉える考え方に異を唱えた。

多くの人は、「まず知識を得て、その後に実践する」という順序で物事を考える。 しかし王陽明は、本当に知っているならば、それは自然と行動として現れるはずだと考えた。

行動に現れない知識は、頭の中だけにとどまった、いわば「知ったつもり」にすぎない。

これは、学びを厳しく問い直す考え方であると同時に、希望のある考え方でもある。 行動が少しずつ変わっていくこと自体が、理解が本物になりつつあるサインだと捉えることができるからだ。

■ デューイ — 経験に、振り返りを重ねる

デューイは、経験そのものが学びを生むのではなく、経験を意識的に振り返ることによって、初めて学びが生まれると考えた。

研修や読書で得た知識は、そのままでは現場で使いこなせないことが多い。 実際にやってみて、うまくいったこと、うまくいかなかったことを振り返り、次にどう活かすかを考える。 このサイクルを繰り返すことで、知識は少しずつ、体になじんだ実践知へと変わっていく。

一度の理解で終わらせず、行動と振り返りを繰り返し続けること。 それが、知識を生きた実践へと変えていくための、具体的な道筋になる。

■ コンサルの現場で見てきたこと

研修直後は誰もが納得した顔をしている。 でも、現場に戻って一ヶ月後、その学びが実際の行動に残っている人は、決して多くない。

差がつくのは、研修の内容そのものよりも、その後、実践と振り返りを繰り返せたかどうかだ。

私がクライアントに勧めているのは、学んだことを一度で終わらせず、「やってみてどうだったか」を短いサイクルで振り返る場を、意識的に作ることだ。

知識を実践に変えるのは、才能ではなく、この地道な繰り返しの仕組みだ。

■ マネージャーへの3つの問い

① チームの中に、学んだことを実践し、振り返る仕組みがあるか。

② メンバーが「わかっているのにできない」と悩んでいるとき、それを責めずに、行動と振り返りのサイクルを支援できているか。

③ あなた自身、これまでこのシリーズで得た気づきを、実際の行動として振り返る機会を作れているか。

■ まとめ

  • 王陽明は、知ることと行うことは本来一つであり、行動に現れない知識は本当の意味で知っているとは言えないと考えた

  • 「わかっているのにできない」状態は、まだ知識が本物になりきっていないサインでもある

  • ニーチェもまた、机上の理解で満足する哲学を批判し、思想は生き方として引き受けて初めて意味を持つと考えた

  • デューイは、経験そのものではなく、経験を振り返ることによって学びが生まれると考えた

  • 知識を実践に変えるには、行動と振り返りを繰り返す、地道なサイクルが必要になる

  • 差がつくのは学びの内容そのものより、その後、振り返りを継続できたかどうかである

■ 次回予告

👩‍🎓 恵美「知ってるだけで満足してたかもしれません。ちゃんと、やってみて振り返る、を続けてみます」

👩‍🏫 玲子「その姿勢、大事にしてね。次でいよいよ、ニーチェ編の本編も最終回。ここまでの旅を、一度まとめて振り返りましょうか」

次回は ニーチェ編 #24「超えた先に、何があるのか——ニーチェ編、その先へ」

フェーズ4「超克」、そしてニーチェ編全体の締めくくりです。


■ ビジ哲からのお断り 「強くなる」「自分の価値観で動く」——
このシリーズで使うそんな言葉は、個人の努力だけで実現できるものではない場合があります。上司が空気を支配し、声を上げれば潰される——そんな構造そのものが個人の意志を阻む環境は、実際に存在します。
「畜群から抜け出せ」と言うことが、構造の問題を個人に押しつけることになってはいけない、と思っています。 ビジ哲は哲学研究ではなく、哲学をレンズとしてビジネスの現実を考えるコンテンツです。哲学の概念に触れることで、自分の仕事や組織を「少し違う角度から見る」きっかけになれば——それがビジ哲の目的です。
なお、本シリーズに登場する哲学者は、原典の再現ではなく、彼らの思想を借りて描いた翻案上の人物です。語られる言葉は、思想の応用ではなく、物語的解釈だとご理解ください。
ビジ哲は哲学研究ではない——それでも哲学をビジネスに持ち込む理由

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